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第10話「バレる前に伝えないと・・・」

「バレる前に伝えないと…だよな。」 コーヒーを一口飲み、喉を潤すと、はぁっと悩み交じりのため息をついた。アイスコーヒーの冷たさが外の暑さで上がった体温をゆっくりと下げてくれる。 「――せい…せんせい…。先生!」 口の中で広がる苦味をゆったりと味わいながら、ぼんやりとしていた脳が、女性の大きな声で、はっと我に返り覚醒する。 「先生、話聞いてますか?」 目を見開き、声がした方をみると、眉をひそめ少し怒り気味の河野がいた。 「あ、す、すみません。ちょっとぼーっとしてました…。」 「新作の執筆、捗ってはいるみたいですがあまり無理はしないようにしてくださいね。」 「ありがとうございます。」 瑞樹は、元気だとアピールをするように、あはは、と空笑いをした。言えるはずもない。五歳年下の友人兼ファンの子にいつ自分が桜庭みずきだと伝えるかを悩んでいるか、なんて。 とりあえず、今は仕事に集中だ。切り替えろ俺。仕事モードのスイッチをONにするため、深呼吸をして椅子に座りなおす。 「で、話の続きなんですけど、先生のデビュー作『青、そして春。』が、数年前に放送されたドラマのリメイク版として来月から全国上映されるのはちゃんと覚えてますよね?」 「さすがに覚えてますって…。自分のSNSでも軽く宣伝しましたし。」 「それで、七月十四日が上映初日なんですけど、その日の舞台挨拶に先生も出てもらうのでスケジュール空 けておいてくださいね。」 「はいはい、七月十四日ですねー。七月十四日に舞台あいさ…。」 スマホのカレンダーアプリに“舞台挨拶”と打ち込み、登録ボタンを押す寸前で、手を止めた。 「ちょ、ちょっと待ってください河野さん!ぶ、舞台挨拶って何ですか!?」 ガタッと勢いよく椅子から立ち上がり大きな声を出すと、河野は驚いた顔で瑞樹を見上げた。 「先生、舞台挨拶知らないんですか?舞台挨拶っていうのは、監督やキャスト陣が舞台に上がって見に来てくださったお客さんの前でトークをしたり――」 「いや、そんなこと聞いてるんじゃないんですよ!」 ばんっと両手で机を叩くと、衝撃でアイスコーヒーの表面がゆらゆらと波打つ。 「なんで俺が映画の舞台挨拶に出ることになってるんですか?俺、あの映画製作に全然関わってないし、関係ないじゃないですか。」 「関係ないって言っても、原作は先生の作品じゃないですか。それに、一年ほど前に映画の撮影現場、行ったんですよね?」 「行ったには行ったけど…。」 行った。確かに一年前、前任の担当編集と一緒に瑞樹は映画の撮影現場へ行っていた。だが、そのたった一回しか関係していない、むしろほとんど関係ないといっても過言ではない自分が、舞台上で何を語れというのだ。 そもそも、桜庭みずきは今まで顔出しを一切してこなかった。それなのに、ここにきて突然舞台に上がって顔出しをしろだなんて…。 脳裏に愁の顔が浮かぶ。舞台挨拶にもし、愁が来ることになれば、青山瑞樹と桜庭みずきは同一人物だと即バレだ。 「あ、あの…その舞台挨拶、出演しないっていう選択肢は…。」 「無理ですよ。私もう出演しますって先方に言いましたので。」 はらわたが煮えくり返る。何勝手に決めてくれてんだ!このど新人が!と、怒鳴り散らかしそうになるのをぐっと耐える。 「…じゃ、じゃぁ、その、マスクをして舞台に上がるとかは…?」 ちらりと河野の顔を伺うと、何言ってんだ。というような呆れた顔をしていた。 意味不明で無茶苦茶なことを言っていることは理解している。だが、元はと言えば俺の許可を取らずに勝手に出演を承諾した河野、お前にだって非はあるんだぞ。マスクの着用くらい、先方に何度も頭を下げてでも取ってこいよ!という、 パワハラになりかねない発言が喉までせりあがってきていた。慌ててコーヒーでその言葉を流し込む。 「先生。」 河野のいつもと違う声色にドキリ、とする。 「先生、デビュー作品から長らくずっと、なかなか上手く思うように執筆できていませんよね。今はようやく新作を書き始めてはいますけど…。正直それもデビュー作を超えられるかの保証って、ありませんよね?こういう時って同じことを繰り返してても意味がないんです。何か新しい風を吹かせないと。」 諭すような声は、言葉の節々に小さな棘が仕組まれており、瑞樹の一番突かれたくない部分を容赦なくぐさぐさと刺していく。理にかなってない理由ならば、すぐに反論して論破してやろうと思っていたが、弱い部分を突かれ瑞樹はぐうの音もでなくなってしまった。 河野の言うことは痛いほどわかるが、やはり顔は出したくない。二つの気持ちが揺れ動き、言葉にできず、うぅっと小さく唸る事しかできない。 「今回の舞台挨拶への出演は、今書いている新作をヒットさせるための作戦でもあるんです。どんな人が書いてるかって、意外と大切なんですよ。この舞台挨拶で、先生自体をたくさんの人に知ってもらえば、次の新作も売れやすくなるはずです。それに、先生顔悪くないんで、前面に顔を出して行ったほうが絶対いいです。イケメン小説家って言ったら食いつく人いますから。」 それでもまだなお、うぅーっと唸って煮え切らない態度の瑞樹。そこで河野のもう一押し。 「先生。次作、ヒットさせたいですよね?」 ギラリと河野が目を光らせた。 その目は、獲物を狙うサバンナのチーターのような鋭い目つきで、思わず瑞樹は、その威圧感に圧倒され、ぞくりと背筋を凍らした。完敗だ。チーターに目をつけられたガゼルの気持ちがわかった気がする。 なんて、恋愛小説に必要のないサバンナで暮らす生き物の気持ちに、深く共感を抱きつつ、瑞樹は氷で薄まったアイスコーヒーを飲み干した。

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