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第12話「俺が忘れてしまえばいい」

あてられたスポットライトで暑い。 ラフな白Tシャツの上に羽織った紺色のクールビズのジャケットに汗が滲み、汗を吸った部分の色が変わらないか心配になる。 劇場内はクーラーを十分に効かせ、快適な温度になっているため、たとえ舞台の上で照明に照らされていても、そこまで汗を掻くことは普通ない。 では、何故瑞樹はこんなにも汗を掻いているのか。それは、数分前、舞台挨拶が始まってすぐの出来事が理由だった。 スペシャルゲストとして登壇する瑞樹は舞台袖で、客席側から華やかに登場した後、舞台の上で撮影の秘蔵話などを司会進行役の女性の持っている台本通りに、キャスト陣が話すのをゆったりと落ち着いた様子で眺めていた。 が、そんな穏やかな心境から一転、司会進行を務める女性の口から出た一言で、瑞樹の心境に大嵐が吹き荒れた。 「今日は各テレビ局のカメラが入っているということで、画面の向こう側のファンに向けて、主人公ヒロになりきって高本さん。何か、青春っぽい甘い言葉をいただけますか?」 主人公役を務めた今人気急上昇中と話題のイケメン新人俳優は、一切戸惑うことなく、ヒロになりきりカメラ目線で甘い言葉を囁く。 会場にいる女性は黄色い声を上げ、会場は大盛り上がりだ。 そんな中、舞台袖の瑞樹は、自分に向けられた言葉じゃない発言に大きく戸惑いを見せ、えっ、と思わず声を漏らした。 各テレビ局のカメラが入っている…? 数秒間、その言葉の意味を理解できずにいた。いや、理解したくなかったのだ。嘘であってほしかった。客から見えないぎりぎりのラインまで移動し、恐る恐る客席を確認する。 「う、嘘だろ…。」 驚愕した。テレビ局のカメラがざっと数えて四台はいた。 「河野さん!テレビのカメラが入るなんて聞いてないですよ!」 すぐさま河野を舞台袖のステージから一番遠い端っこの方へ連れていくと、小声ではあるものの、怒りの声をあげた。目をぎゅんっとつり上げて怒っている瑞樹を、河野は驚いた顔で見ているが、どことなく呆れた表情にも見えた。 「先生、舞台挨拶にテレビ局が来るなんて当たり前じゃないですか。そんな当たり前な事わざわざお伝えしませんよ。」 瑞樹と大して歳が変わらないというのに、この堂々とした河野の態度。 この女、肝が据わりすぎだろ…。と若干引き、たじろぐ。が、瑞樹だって負けていられない。 自己主張をしたり、強く言ったりするのは得意ではない瑞樹だが、ここは何が何でも折れるわけにはいかない。 今後の自分の執筆活動の為にも、このまま河野に言い負かされるばかりだと、あらよあらよで良いように使われるマリオネットにされてしまう。言ってやる!と、強い意志を心に、瑞樹はすぅっと息を吸った。 「当たり前ってそんなの知りませんよ!」 「知りませんって言われても…。主人公役を務めるのは今をときめくあのイケメン俳優、高本雄大ですよ?しかもヒロイン役は人気アイドルグループのセンター、鳥川ゆなの。そんなの、テレビ局が黙っておくわけないじゃないですか。」 知らん!俺はテレビを見ない!!今すぐ大声でそう叫びたかったが、今は舞台挨拶の真っ最中。 それに、そんなことを言ってしまうと、河野がいうには今をときめく有名人の二人がまるで、無名と言っているように捉えられかねない。 下唇を噛み、喉元まで出かかっている言葉をなんとか堪える。何か、何か河野を論破する言葉はないか。必死に頭をフル回転させ考える。くそ!ダメだ、まったく何も思いつかない。奥歯をぎりっと噛み締める。 そもそも元を正せば、勝手に出演を承諾した河野さんが悪い。そうだ、そうだよ! 「だいたい、事の発端は河野さんなんですから河野さんが――」 “悪いじゃないですか”と言おうとした瞬間だった。 「桜庭先生、登壇のスタンバイお願いします。」 STAFFと書かれたネームプレートを首から下げた小柄な若い女性に声をかけられた。ごうごうと燃えたぎる怒りの炎は、ここからさらにヒートアップしていくつもりだったのに、突然大量の冷たい水をぶっかけられて鎮火してしまい、ぷすぷすと情けない音を立てていた。 女性スタッフに「舞台横でお待ちください。」と促され、瑞樹の反撃ターン、強制終了。 正直今すぐにでもこの場から逃げ去りたい。嫌だ、登壇したくない。そう思いながらも、こんなにもたくさんの大人達に自己都合で迷惑をかけてしまえば、自分はその後どうなるのか。ということを考えると、重い足取りでのそのそと、指示された舞台横に歩いていくしか与えられた選択肢はなかった。 「それではここで、スペシャルゲストに登場していただきます!なんと、『青、そして春。』の原作者、小説家の桜庭みずき先生です!」 声高らかに司会進行役の女性がそう言うと、瑞樹は舞台袖にいるスタッフに合図をされ、白く眩しい照明に煌々と照らされた舞台上へと足を踏み入れた。 ――そして、今に至る。 びっしりと人で埋め尽くされた客席。明るく照らしてくる照明よりばしゃばしゃと容赦なくたかれる記者たちのカメラのフラッシュの方が数倍眩しくて、目がチカチカしてくる。あの大量のカメラによって撮影された自分の顔が、明日には世界中にばら撒かれるのだと思うと恐怖で冷や汗が止まらない。 「実は桜庭先生、今日が初めてお顔を解禁されたとのことで。何故、顔出しすることをお決めになられたのでしょうか?」 台本に書いてある言葉をすらすらと司会が読み上げる。事前に行った打ち合わせでは 「作家にとって新しい刺激はとても大切なことです。けど、どうしても日頃、執筆のために部屋に籠り切りなので、新しい刺激と出会うことって少ないんですよね。そんな時に舞台挨拶にスペシャルゲストとして呼んでいただいたので、これは新しい刺激を得るチャンスだと思い、せっかくなら自らも刺激を作っていきたいと思って、顔出しすることを決めました。」 という、いい言葉をひたすら並べただけの文章を言う予定にしていた。 だが、今の瑞樹は、先ほど河野に反撃をし損ねたことにより、不完全燃焼状態だ。どうして思ってもいない嘘を、あたかも自分の言葉のように大勢の前で語らなければならないのだ。心の中で、河野にべーっと舌を出して見せた。 「そうですねー。正直に言うと、担当編集者が勝手に出演の承諾をしちゃいまして…。だから、別に顔出しをした理由はとくにこれと言ってないんです。あ、もちろん、僕のデビュー作をまたこうして、リメイク版として映画化していただいたことと、僕なんかをスペシャルゲストとしてこの場へ呼んでいただいたことは大変感謝しています!ただ、本当に僕がスペシャルゲストでよかったんですかね?初め聞いたときは荷が重いー!って軽く不眠症になったくらいです。」 瑞樹の小さな抵抗。ただ、嫌味だけで終わるとイメージダウンしかねないので、最後は、自分を下げた発言をして、あははっと軽い笑い声を出せば、会場はくすくすと、小さな笑いで包まれた。 「桜庭先生、どんな人なのかと思ってましたが意外とおちゃめな方なんですね。そんな桜庭先生。実は今、新作の執筆に勤しんでいらっしゃるようで。」 「そうなんです。まだ書き始めたばかりなのでまったくお伝えできる内容はないんですけど。勿論今回も恋愛小説です。発売が決定しましたら、ぜひ皆様書店にてお買い求めいただけたらと思います。」 「是非皆さん。桜庭先生の新作を楽しみにお待ちください。それでは桜庭先生。最後にカメラ目線で、『青、そして春。』の見どころをお願いします。」 会場内の全てのカメラは、ずっと瑞樹を映していたのだろうが、改めて全カメラが自分に集中していると実 感し、ごくりと息のむ。 ――あのレンズで映したものが明日、各テレビ局の番組にて放送され、テレビの画面に映し出されそれを大勢の人が見る。その大勢の中にきっと愁も…。 愁の顔が、脳裏に浮かびあがりそうになったが、無理矢理押し込むようにして記憶の奥底へと追いやった。 愁のあの笑顔を思い出せば、きっと、すぐにでも泣いてしまいそうだったから。 今更どう足掻いたって無駄だ。もう既に、あのたくさんのカメラの中のデータに、俺の顔はしっかりと保存されている。今更どうしようもない。俺が今ここで泣いても怒っても、そのデータは明日、きっちりと全国に流れる。それならば、俺が愁のことを忘れてしまったほうが早い。 大丈夫、恋愛についてはしっかり教えてもらった。きっと愁がいなくても新作は書き上げれる。愁が待っているのは青山瑞樹じゃない。桜庭みずきの新作だ。直接、喜ぶ顔は見れなくなってしまったけど。 それでも、どこかで俺の新作を読んで喜んでくれるのなら、それだけで十分じゃないか。 数秒間、目を瞑り、ぱちっと目を開いてカメラのレンズを真っ直ぐと見つめる。すぅっと息を吸えば、なるべくいい印象が残るようなにっこりと愛想のいい笑顔を浮かべた。 「『青、そして春。』の良さは、やっぱり学生ならではの初々しい恋愛です。青春真っただ中の方は共感ができると思いますし、社会人の方は、学生時代を思い出して懐かしい気持ちになっていただける作品だと思います。映画アレンジとして、原作にはないエピソードもありますので、原作と見比べたりしたらより楽しめるかと思います。ぜひ皆さん、本も映画も、どちらも見てください。」 会場中が拍手でいっぱいになる。盛大な拍手を浴びることがこんなにも気持ちいことだと初めて知った。高揚感に溢れる。 だが、その高揚感は一瞬のもので、舞台から降りれば、まるで魔法が解け、高揚感の副作用と言わんばかりの大きな喪失感が瑞樹に襲いかかった。 帰り道、とぼとぼと歩く瑞樹の心は、雲一つないじりじりと肌を焼く熱い太陽がのぼっている現実世界の空とは裏腹に、ザァザァと大粒の雨が降りしきり、心のタンクはあと少しで尽きようとしていた。

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