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第14話「怒りと悲しみが消えた後に残った言葉――『好きでした。』」
「瑞樹…さん?」
口に入れた焼きそばをすすることも忘れ、口から焼きそばをはみ出させた状態でテレビの端っこに映る瑞樹によく似た人物をじぃっと凝視する。
嘘だ。他人の空似に決まっている。瑞樹さんが桜庭みずき先生なわけ…。
ドクドクと脈が早まる。焼きそばの麺を、ぶちっと噛み千切るとろくに噛みもしないまま、水で流し込む。
――落ち着け、そんなわけない。だって瑞樹さんはゴーストライターで、恋愛経験がないから恋愛小説が書けないんだぞ。そんな人が、あの素敵な恋愛小説を書く桜庭みずき先生なわけ
ぱっと、画面が変わる。
「…嘘…だ、ろ…。」
二十四インチのテレビいっぱいに映し出された桜庭みずきの顔は、どこからどう見ても、愁の友人であり好きな人、青山瑞樹とまったく同じ顔をしていた。
部屋がぐわりと一瞬、半回転して見えた。持っていた箸がカランカランと、皿にぶつかり机の上をころころと転がる。
――『「青、そして春。』の良さは、やっぱり学生ならではの初々しい恋愛です。青春真っただ中の方は共感ができると思いますし、社会人の方は、学生時代を思い出して懐かしい気持ちになっていただける作品だと思います。映画アレンジとして、原作にはないエピソードもありますので、原作と見比べたりしたらより楽しめるかと思います。ぜひ皆さん、本も映画も、どちらも見てください。
瑞樹のいつもの笑顔と比べれば、きゅっとあげた口角は不自然で、目も一応笑ってはいるが、確実に作り物というような笑顔だった。
だが、顔も、声も、髪も、仕草も。全て瑞樹と同じだ。愁の思考が追いつく前に、VTRは終わり、番組は次の話題へと変わっていく。
愁はスマホを手に取り、まだ状況を理解できていない頭で、“桜庭みずき”とSNSで検索をかける。
掌の中で無数の情報がぶわぁっと溢れる。愁が検索をかけて数秒しか経っていないのに、桜庭みずきに関連した内容の投稿文は、一つ、二つ、三つ、とどんどん湧いて出るかのごとく増え続けていた。スマホをスクロールして流れていく文字はどれも同じような内容ばかりだった。
《桜庭みずきかっこよすぎ!》
《桜庭先生まじイケメン。今まで顔出ししてなかったのが謎。》
《桜庭みずき笑顔良すぎ~!ファンになりました!》
《今テレビみてたらイケメン映ってたんだけど!誰!?桜庭みずき!?小説家!?》
《桜庭先生の新作出たら絶対買う!サイン握手会とかやるのかな?》
下から上へと流れていく文字と、テレビ画面を撮影した桜庭みずきの顔写真は、どれだけスクロールしても終わらない。
「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!」
青山瑞樹と桜庭みずきが同一人物だということが嫌というわけでも、逆に嬉しいわけでもなかった。ただ、とにかく愁は混乱していた。
憧れの桜庭みずきと好きな人である青山瑞樹が突然同一人物だと言われても、どうすればいいのか、どんな感情になればいいのかわからない。瑞樹に聞き飽きるほど語った桜庭みずきへの思いや作品の評価は、愁が知らなかっただけで本人に直接伝えていたことになるのだ。
「何偉そうに、本人を目の前に評価なんかしてんだよ…俺は…。」
スマホを強い力でぎゅうっと握りしめると、小さくミシッとスマホが悲鳴をあげた。
時刻は十三時四十五分。まだ十四時になっていなかったが、愁は電話帳アプリから瑞樹を選び、人差し指で通話ボタンをタップしようとした。だが、あと一センチのところで、思いとどまる。
瑞樹さんに電話して、俺はどうしたいんだろうか。何で言ってくれなかったんだ!と、怒る?テレビ見ましたよ!って、嬉しそうにする?知らなかったとはいえ、今まで偉そうに評価をつけるような発言をしたことについて謝る?
全部違うような気もするし、全部正解のような気がして愁の頭は余計に混乱していく。
どれも間違ってはいない。瑞樹に対して、怒り、喜び、驚き、申し訳ないといういろんな感情が、全て同時にボコボコと音を立て噴火している状態なのだから。でも、きっと本当の感情はこれじゃない。
はぁはぁ、と肩で息をして気持ちを必死に落ち着かせようとする。とっ散らかった脳内を必死に片付け、自分の本当の気持ちを探す。ぽたりと一滴、足に冷たい何かが落ちた。
その量は一滴、二滴と次第に増え、どんどん足を濡らしていく。愁は泣いていた。自分の頬にそっと触れると、ようやく自分が泣いていることに気づく。頬を伝って顎から落ちていく涙を数秒間見つめると、はっと、何かに気づいた顔をした。
「俺…悲しいんだ…。」
震えて今にも消えそうな声でぽつりと呟く。自分の本当の感情に気づき、言葉に出してしまうと、悲しいという感情が、ぶわっと胸の奥底から溢れだし、愁の心を支配していく。
――信頼してたのに、どうして…。なんでそんな大切なこと、瑞樹さんの口からじゃなくて、テレビで知らなきゃなんないんだよ…!
再び電話帳アプリを開き、瑞樹を選択すると通話ボタンを押す。次は躊躇することなく。
ただ、瑞樹の口からちゃんと聞きたかった。“俺が桜庭みずきだ”と。例え、それが先にテレビで知ってしまい理想とする順番が逆になってしまっていても、ちゃんと、瑞樹の言葉で、声で、聞きたい。
トゥルルルル、トゥルルルル
コール音が鳴り続ける。十回、いや、もう二十回目かもしれない。出る気配がない。
土曜日は暇だと言っていたから用事はないはず。いや、もしかしたら急用ができたのかもしれない。一度切って、数分後にかけなおそう。
十四時十分、出ない。十四時二十分、出ない。十四時四十五分、出ない。十五時、出ない――
その後も、間隔を開けながら愁は何度も瑞樹に電話をかけた。だが、瑞樹は一度も出なかった。
「なんで出ないんだよ…くそっ!約束したじゃん!」
勢いよくスマホを地面に叩きつけると、ガシャンっと嫌な音を立てた。床に転がったスマホは、画面にびしびしとたくさんの白い線を作り割れていた。画面が割れないようにいつも気を付けながら使っていたのに、今の愁にとって、瑞樹との電話を繋げてくれない役立たずのスマホがどうなろうとどうでもよかった。
電話が駄目なら直接会えばいい。だが、瑞樹の家がどこなのか知らない。知っているのはファミレスの近くということくらい。
たったそれだけの情報じゃ、見つけ出すのは無理に決まっている。月曜日、いつもの時間に瑞樹がファミレスへ訪れることを待つしか、愁が瑞樹に会う方法はなかった。
「絶対来る…瑞樹さんは、絶対来る。月曜日必ず…いつもの時間に…。」
祈るように何度も何度も愁は呟いた。何度も何度も、言霊になることを信じて。
そして月曜日。瑞樹は来なかった。
その二日後の木曜日も、瑞樹はファミレスに姿を現さなかった。
愁は途方に暮れていた。もう二度と会えない。そう思うと、目頭が熱くなり視界がじんわりとぼやける。もう諦めるしかない。そう分かっていても、諦めたくないと、まだ抗おうとする自分がいた。
桜庭みずきの公式SNSを開く。元からあまり更新しないタイプのため、六日前の舞台挨拶のお礼文の投稿から、新しい投稿はない。
何をしているんだろうか、どこにいるんだろうか。こんなにも会いたいのに、なんで会いに来てくれないのだろうか。
やり場のない怒りを物に当てることくらいしかできず、家の中にある物をいくつか壊してしまった。
殴った衝撃で穴が開いた本棚にそっと触れる。視界に入るのは桜庭みずきが書いた五冊の本。『青、そして春。』を手に取ると、表紙を開く。何度も何度も、暗記してしまうくらい読んだ本。お気に入りのセリフが書かれたページは開き癖がついてしまっている。
一ページ、二ページと、何度読んでも読み飽きない文字を読み進めていく。気づけば、五冊全て読み終わっていた。
読み始めた時は、バイトから帰ってすぐだった為、外は真っ暗だったのに、気づけば薄っすらと空が色づき始めている。
明るくなっていく空をぼんやりと窓から見つめる。本を読み進めていくうちに、ここ数日間、ずっと愁の心を蝕んでいた怒りや悲しみの感情は、嘘のように薄れ消えていった。空っぽになった心に最後まで残った言葉を、ぽろりと吐きだす。
「瑞樹さん…好きでした…。」
愁は、スマホでとあることを検索すると、桜庭みずきが書いた五冊の本を、リュックにしまった。
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