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第17話「サインに握手!?図々しすぎるだろ!!」
「瑞樹さん、待ってってば!」
たった数歩走ったところですぐに愁に追いつかれ、がしっと、右手首を掴まれる。
「や、やめっ、離せっ!」
「なんで隠してたんですか!!」
愁の怒鳴り声に瑞樹はビクッと肩をびくつかせ、きゅっと肩をすぼめた。瑞樹の右手首を掴む力が強くなり、ミシミシと骨が痛む。
「しゅ、愁…。ち、違うんだ、隠してたつもりはなくて、そのっ!」
弁解しなくては、と思っているのに、どんな言葉を選んでもただの言い訳にしか聞こえない気がして、どんどん声が淀んでいく。愁は、瑞樹の手首を解放すると、俯き黙りこくってしまった。完全に嫌われた。そう悟った瑞樹の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「愁、ごめっ…その、俺は…き、嫌いにならないでほしくて――」
「俺がどんだけ桜庭みずき先生の事好きか、知ってますよね?」
「…え?」
「俺にとって、桜庭みずき先生は恩人で、尊敬してる人で、本当に…本当に大好きな人なんです…。それなのに…それなのに、なんで…。」
「愁…ごめん、俺なんかが桜庭…。」
「なんでもっと早く瑞樹さんが桜庭みずき先生だってこと教えてくれなかったんですか!もっと早く知ってたらすぐにサインもらってたのにぃ!はい!これ桜庭先生が出した本全冊!ここにサインしてくださいね!あと色紙も買って来たんでこれにも!あと握手も後でお願いしますね!!」
背負っていたリュックを肩からおろすと、押し付けるように桜庭みずき作の五冊の本と色紙とサインペンを瑞樹に渡す。何が何やらわからないまま無理矢理ペンを握らされた瑞樹は、「早くサインください!」と愁に急かされながら、必死に今この状況を理解しようとしていた。
「愁…お、お前…。はぁ~~~!!??図々しすぎるだろ!?本五冊と色紙ってお前どんだけサイン書かせるんだよ!普通こういうのはどこか一か所のみが礼儀だろ!?本当に俺のこと尊敬してる!?普通尊敬してる小説家を前にしてこんな図々しくいられるものなの!?まぁ書くけど!書くけどね!?あーあ!メッセージも書いてやろうかなぁ!?愁くんへーって名前入りでさぁ!!」
大声で文句を言いながらも渡された本と色紙にさらさらっとペンを滑らせ、サインを書いていく。丁寧にメッセージもそれぞれ違う言葉にして。
「ほら、全部書いたぞ。あとなんだ、握手だっけ?ほら。…まったく、かなり図々しくてびっくりしたわ。」
瑞樹が手を差し出すと、愁はゆっくりと手を伸ばし、瑞樹との握手を噛みしめるようにぎゅっと握った。
「だって…。だって俺、ずっと、ずっと桜庭先生のこと憧れて、ずっと大好きだったんですよ?そんな人が目の前にいるこのチャンスを逃すわけにはいかないでしょ。それに…それに、もう会えないかもしれないじゃないですか…。…桜庭先生がバズって、俺が瑞樹さんのこと、桜庭先生って気づいたから、先週ファミレス来なかったんですよね?」
「…。」
図星で何も答えられなかった。愁の言う通り、気まずくてどんな顔をして会えばいいのか、何を言われるのか、何を言えばいいのか、何もかもわからなくなって怖くて逃げだしたのだ。
あぁ、本当にかっこ悪い。でも、そんなかっこ悪い俺を、愁は待っていてくれたのだと思うと、申し訳ないと思いながらも、嬉しく思う。何も言えず、黙ったままの瑞樹に、優しく語りかけるように愁は言う。
「桜庭先生の執筆する場所、俺のせいで潰しちゃってすみません。ずっと、これからも応援してるんで。ずっと、新作楽しみに待ってるんで。サイン、ありがとうございます。一生大切にしますね。それじゃ、執筆頑張ってください。桜庭先生。」
愁の手が離れていく。肌と肌が触れ合っていた手のひらは、お互いの汗が混ざり合っていてべたついて気持ち悪い。
気持ち悪いはずなのに、離れたくなくて、もう一度触れたいと思った。
少しずつ遠く離れていく愁の背中がゆらゆらと陽炎のように見える。行かないでほしい。そんな、もう二度と会わないみたいなこと言わないでほしい。“桜庭先生”じゃなくて、いつもみたいに“瑞樹さん”って呼んでほしい。自分の中で決めた“愁とはもう会わない”という約束が崩れていくのがわかった。
でも、そんな約束もうどうでもいい。ただ、もう一度…少しでも長く、愁に触れていたいと思った。
「瑞樹…さん?」
愁の困った声ではっと我に返った。瑞樹は言葉より行動が先行してしまい無意識で愁の腕を掴んでいた。
「…言っただろ。俺は恋愛がわからないんだ。ましてや担当編集から同性愛者を書けなんて無茶振りされて、もうどうしていいかわからない…。俺の新作、一番最初に読みたいんだろ。じゃあ、手伝ってくれ。愁にいろいろ聞かないと、続きが書けそうにない。…あと…俺も、愁に一番最初に読んでほしいから。」
怖くて顔が上げられない。ぎゅっと目を瞑り愁の返事を待っているが、愁は黙ったままで何の反応を見せない。自分から避けておいて、やっぱり手伝ってくれだなんて都合が良すぎることはわかっている。
今更何言ってんだ、こいつ。ときっと愁も思っている。さっきから黙ったままなのは、呆れて言葉も出ないからで、俺に嫌気がさしたんだ。愁の腕から、そっと手を離す。
「ごめん、今のは忘れて――」
「俺、なんでもします!!!」
愁は、瑞樹の両腕をがしっと力強く掴み、まるで小学生の男の子がずっと欲しかった物をプレゼントされた時のような、きらっきらの瞳で嬉しそうに興奮気味で言った。そのテンションに圧倒された瑞樹は、「お、おぅ…。」と歯切れの悪い返事を返した。
てっきり瑞樹は、愁はもう自分の事が嫌いになったとばかり思っていた為、予想していた反応とはまったく違う反応をされ、困惑していたが「よろしくお願いします。“瑞樹さん”」と、“桜庭先生”ではなく、“瑞樹さん”と愁に呼ばれてしまえば、どんなことでもどうでもよく思えた。
何はともあれ、これからも愁と今まで通り仲良くすることができる。瑞樹にとって唯一の友達である愁は、いつの間にか失いたくない大切な存在になっていた。
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