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第18話「よし、田舎に行こう!」
それからは、桜庭みずきの新作完成に向けて、今までは月曜日と木曜日のバイト終わり限定で開かれていた“小説を書くための恋愛についてのお勉強会”は“桜庭みずき新作完成のための作戦会”へ改名され、
月曜日と木曜以外にも、二人の都合が合う時はファミレス、または瑞樹の自宅でいろんなアイデアやを出し合ったり、実際に情報収集のために街へ繰り出した。
二人で試行錯誤を重ねたおかげで、作品は中盤に差し掛かっていた。これからさらに話の展開に盛り上がりが出てくるシーンを書き進めている時のことだった。
「愁。田舎に行こう。」
瑞樹の家のキッチンで晩御飯を作っている愁の元に、バタバタと走ってやってきた瑞樹は、突然思い立ったようにそう言った。
執筆に没頭している時の瑞樹は、部屋は荒れ散らかったまま放置し、食生活も乱れまくる。それを心配した愁が、いつの日からかバイトがない日はこうして瑞樹の家に来て、掃除洗濯から料理まで、全ての家事をするようになった。
「はぁ…いいですけど。」
ピーラーで人参の皮をシャーっと剥きながら、愁は答えた。
何故瑞樹が突然、田舎へ行こうと言ったのか。それは、新作の舞台が田舎だからだ。
田舎に住む男子中学生が親友の男友達に恋をする。そして、これから書き進める中で出てくる重要な告白シーンでは、田舎ならではのエモい情景を言葉で表現したかったのだが、都会生まれ都会育ちで、田舎に馴染みのない瑞樹にとってはまったく想像のつかないものだった。
いい言葉を選んで文字で表現する。その為には実際田舎に行き、自分の目と心を使って全身で体感するに限る。
早く行こう!今すぐにでも行こう!という瑞樹のやる気を折りたくなくて、愁は、本当は次の日はバイトだったが、急遽、同じ学生バイトの女の子にシフトを変わってもらい、瑞樹が理想としている田舎へと日帰り旅行することになった。
「んんーっ、空気おいしいー!」
すぅっと大きく息を吸えば、都会とは違う澄んだ空気で肺がいっぱいになる。都会とは違って田舎は、見上げるような高いビルやマンションは一つもなく、どこへ行っても人も車も少なかった。
コンビニは街に片手に収まる程度の数しかなく、その分都会ではありえない広い土地を利用したスーパーが立っており、随分繁盛しているようだった。
都会のように人や物でごちゃごちゃしていない田舎は、都会に慣れている瑞樹にとっては少し侘しさを感じた。
だが、家の庭先でご近所さん同士で井戸端会議をしている姿や、小さな子供がすれ違う大人一人一人に「こんにちは」と挨拶をしている姿を見ていると、田舎ならではの温かさを感じた。
さて、この田舎の良さをどう言葉で表現するか…。
メモを取るために、スマホを取り出し、うーん、と頭を悩ませる。
「瑞樹さーん!お待たせしました!はい、水です。」
持っていたコンビニの袋をガサガサと漁り、ペットボトルの水を瑞樹へ渡す。冷たい水と暑い外気の温度差のせいで、ペットボトルは汗を掻いていた。
「あぁ、ありがとう。悪いな。」
「全然いいですよ。瑞樹さんはインスピレーションを沸かせるのに集中してください。おっと、そうだ。アイスも買ってきたんですよ。バニラ味、食べます?…暑さでちょっと溶けちゃってますけど…。」
申し訳なさそうに袋からアイスを取り出した愁の手には、容器をパキッと二つに分けてシェアするタイプのアイスだった。
「おっ、さすが愁。気が利くなぁ。アイスはちょっと溶けてるくらいが一番うまいんだよ。」
「ですよね。俺もちょっと溶けてるくらいが好きです。」
パキッと二つにわけると、瑞樹に一つ差し出し、もう片割れは愁の口へと咥えられた。
受け取ったアイスを加え、ちゅうっと吸い上げると、溶けかけて吸いやすくなったアイスが口の中に入り、じんわりと舌の上で溶けてなくなった。甘さと冷たさが、歩き疲れた体に染み渡る。
「…帰り道にアイスをシェアするのって青春だよな。」
「確かに。てか、俺それ友達と高校の時よくやってました。うわー、懐かしいなぁ。」
もう既に半分もなくなったアイスの容器を落とさないように軽く歯で噛んでから、いそいそとスマホを取り出す。“帰り道に1つのアイスをシェアする”とメモした。今後のシーンでどこか入れられそうな場所があれば、アイスをシェアするシーンを入れたいが、どこでいれようか。と考えながら、残りのアイスをちゅうちゅうと吸い上げる。
「瑞樹さん。ここからまたちょっと歩くことになるんですけど、告白シーンのイメージが沸きそうな場所があるんです。告白スポットで有名な場所なんですけど、行ってみますか?」
「へぇ、そんなスポットがあるのか。行ってみようかな。」
「わかりました。えーっと、それじゃあこの先にバス停があるんで、そこで…。」
「愁、なんかお前詳しすぎないか?」
今日初めて来た場所なはずなのに、まるでここの住民かと思うくらいこの街についてあまりにも愁が詳しいため、瑞樹は不信に思った。田舎へ行こうと言ったのは昨日のこと。
その為、下見には絶対来ていない。どれだけスマホを駆使したとしても、全国的に有名なわけでもない田舎にある告白スポットの情報なんて、簡単に手に入るものではないだろう。
瑞樹は、既に空になったアイスの容器を、まだ吸い続けながらじーっと愁を見た。愁は明後日の方向を見ながら、少し気まずそうに言う。
「あー…実は、俺の地元、ここから近いんです。子供の頃とか、チャリ乗って友達とよくここまで遊びに来てたんで簡単な案内くらいはできるんです。」
「へぇー、地元近いんだ。」
「はい。あ、瑞樹さんゴミ貰いますよ。」
吸いすぎて捻じれたアイスの容器を愁に渡すと、コンビニの袋をゴミ袋の代わりにして、愁は袋の口をぎゅっと縛った。
「よし、じゃあ愁の地元に行こう。」
「…は?」
「愁の地元どっち?右?左?バス乗った方が早い?」
行く方向がわからないまま、瑞樹は適当な方向へ歩き始めた。愁は慌てて瑞樹の手首を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってください!なんで俺の地元に行くんですか!」
「なんでって、気になるじゃん。愁の地元。どんなとこで育ったのかなーって。」
「別に…この街とさほど変わんないですよ。何にもないところです。」
「何にもないのいいじゃん。今書いてる小説の舞台にぴったりだし。ほら、早く行くぞ。」
「ちょ、ちょっと!俺の地元は別にいいじゃないですか!それよりさっき言った告白スポットに!」
「いや、気が変わった。愁の地元に行く。そっちに行った方がいい作品が書けるような気がしてきた。いや、絶対書けるな。」
「適当なこと言わないでください!とにかく、地元には行きませんからね。」
「なんでそんな嫌がるんだ?」
「なんでって…それは…。」
目を泳がせ、困った表情の愁。
愁が自分の唇にトンッと軽く触れたのを瑞樹は見逃さなかった。
長い時間一緒にいて気づいた愁の癖。愁は何か隠し事をしている時、自分の唇に軽く触れる。多分無意識だろう。
触れられたくない話題なのだということは理解していた。だが、隠し事をされているということが瑞樹は気に入らなかった。自分が桜庭みずきだということを隠していた時は「なんで隠してたんですか!」と怒ったのに、自分は隠したままだなんて、フェアじゃない。周りに人がいないことを良いことに、瑞樹は大きな声で駄々をこね始めた。
「いーやーだー!愁の地元行くー!!」
瑞樹の手首を掴んでいる愁の手首を、空いている方の手で掴み返せば、無理矢理連れていこうと引っ張って愁を引きずる。
見知らぬ土地に来て、もういい歳しているのに俺は年下相手に何をしているんだろうか。と一瞬脳裏を過り、我に返りかけたが、そうまでして愁の隠し事の真相を知りたかった。
「駄々こねないでください!もう大人なんですから!」
「やーだー!愁の地元行くまで俺帰らないー!」
愁が逃げないよう、手首を掴んで離さないまま、瑞樹はその場にしゃがみ込んだ。青山瑞樹(二十五歳)の駄々をこねる言動は、おもちゃを買ってもらえなくて店内で駄々をこねている五歳児の男の子とまったく同じで、愁は困りながらも可愛いと思ってしまい、つい口元が緩む。
「愁がうんって言うまで、俺ここ動かないからな。」
ぷくっと少しだけ頬を膨らまし、上目遣いでそう言われてしまえば、愁は渋々ではあるが、「わかりました。」と言うしかなかった。
好きな人にこんな可愛くおねだりされて、NOと言える男がこの世にいるのだろうか。いるわけない。
例えそれが、ただの我儘に過ぎない内容だったとしても、愁がYESと言った後の瑞樹の嬉しそうな顔を見てしまえば、どんな我儘でも許して叶えてあげたいという気持ちになる。
「へへっ、愁ありがとな!楽しみー♪」
ぎゅーっと両手で感謝の気持ちを込めた握手をし、にぱっと、まるで真夏の太陽の下で咲いている向日葵のような明るい笑顔で笑う瑞樹。
――あぁ、瑞樹さんは本当にずるい。
きゅうっと締め付けられた胸が、好きだと叫んでいる。瑞樹への想いが溢れて、触れている手からその思いが本人に伝わるような気がして、愁は慌ててスッと瑞樹の手から離れた。
「ほら、行きますよ。バス待つより歩いた方が早いんで。」
愁は誤魔化すように、瑞樹より先に地元がある方向へと歩き始める。瑞樹はその後ろを小走りで追いかける
と、ぴたっと隣についた。大好きな人と大嫌いな街を歩く。そんな日がまた来るなんて、夢にも思っていなかった。
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