19 / 52

第19話「こ、これって間接キス・・・」

歩いて約三十分。愁の地元に着いた。 愁の言った通り、さっきまでいた町とそう変わらない街並みだったが、大きい商店街があるのが唯一の違いだった。 無論、今ではシャッター通りとなってしまっているが、そのままにしてあるボロボロになった看板を見る限り、娯楽施設も多く入っていたようで昔は栄えていたことがわかる。 「俺、田舎の商店街初めて来た。なんか、いいな。」 参考資料として、スマホのカメラで瑞樹がパシャッと商店街の風景を数枚撮る。 「ただの寂れた町ですよ。何にもないし、つまんない場所です。」 「そうか?確かにシャッターが下りてる店がほとんどだけど…。でも、俺が求めてる田舎ならではのエモい景色はまさにこんな感じだ。すごい参考になる。」 物珍しそうな顔で首を四方八方へ振り、時折カメラのシャッターをきる瑞樹の動きは、まるで小動物のようで、可笑しくて愁は瑞樹にバレないようにくすりと笑った。久しぶりに訪れた地元の景色に目をやる。田舎は都会と比べて変化していくスピードが遅い。 「あの頃から何も変わってないなぁ…。」 駅前にある唯一のチェーン店のファミレスも、街に一店舗しかないコンビニも、その駐車場でたむろする学生も、商店街の入り口にある小さいころからずっとやっている駄菓子屋も、全部。全部何一つ、愁がこの町を離れた時から変わらないまま、今もある。 まるで、タイムスリップしたような違和感を覚える。きっと、変わらないままそこにあり続けることは、瑞樹の言う“田舎ならではの良さ”なのだろうが、愁にとってそれは、苦痛を与える元凶でしかない。 「夕日に照らされた商店街…そこで主人公が親友に告白。どうだ?結構エモいと思うんだが。」 「…。」 「愁?おーい、聞いてんのかー?」 優しく肩を揺すられ、愁は我に返った。いつの間にか昔のことを思い出し、感傷に浸ってしまっていた。 「すみません、ちょっとボーっとしちゃって。」 「大丈夫か?熱中症とかまじで怖いからな。ほら、水飲め。」 瑞樹が飲みかけのペットボトルを愁に差し出すと、愁は息を呑んだ。 「その、でも、俺がそれ飲んだら…関節キス、に、なるじゃないですか…。」 動揺で目が泳ぐ。ドクドクと鳴る心臓の感覚は、小さい頃悪いことをして、バレないか不安になりつつも、いけないことをしているドキドキわくわく、ひりついた高揚感に似ていた。 「あのさぁ。」 瑞樹の声に過剰に反応し、びくっと肩を上下に揺らした。ごくりと、唾を飲み込む。 「男同士に間接キスもクソもあるか。ぶっ倒れられても、俺貧弱だから絶対愁のこと運べないからな。いいから飲んどけ。」 瑞樹が、飲みかけのペットボトルを無理矢理ぐいっと押し付けるように愁に渡す。愁の心がズキンッと痛んだ。 ――瑞樹さんの言う通り、男同士に間接キスもクソもあるわけない。大学の友達とはよく飲み回しをしているし、至って普通のことなのに。それなのに、俺は何を考えているんだ…。 瑞樹は至って普通のことを言っただけなのに、その言葉で傷ついてしまう自分に腹が立つ。瑞樹の親切心を下心を持って受け取ってしまう自分が恥ずかしくて仕方ない。瑞樹からペットボトルを受け取ると、黙ったままじっとペットボトルを見つめる。 落ち込んでいるような、怒っているような表情の愁。そんな愁を見て、瑞樹は慌てていた。“嫌がっている愁に我儘を言って地元に連れて来させたから怒っている”そう解釈した瑞樹は、どうにか愁の機嫌を取ろうと必死に考える。 「そ、そうだ!さっき言った話なんだが、夕日に照らされた商店街で主人公が親友に告白するっていうの良くないか?帰り道で、二人で半分こにしたアイスを食べながら、とか?ど、どう思う?愁。愁の意見が聞き たいんだ。」 「…帰り道の商店街…。そう、ですね…。いいんじゃないですか。」 愁の瞳の光がふっと消えた。その顔は、いつもの人懐っこくて瑞樹の暗い心を照らしてくれる笑顔からは想像できないほど、暗くて重く、大きな闇を抱えているような淀んだ瞳をしており、何かに体を乗っ取られたのかと思うくらい、別人に見えた。 今まで見たこともない、冷たく、闇に包まれた愁の顔があまりにも怖く、瑞樹は思わずぞっと背筋を凍らせた。 何か、もっと明るくなる話題を―― キョロキョロと辺りを見渡すと、『肉屋のコロッケ』と大きく書かれた看板が目に入った。声のトーンをいつもより少し上げ、なるべく明るい雰囲気を作る。 「しゅ、愁!見ろ!コロッケがあるぞ!ちょうど小腹がすいてきたし、コロッケ食べないか!?肉屋のコロッケだってさ、絶対うまいに決まってるよな!前に街ぶら番組で、商店街のコロッケを芸能人が食べて、おいしいと言っていたのを見た時から、俺ずっと気になっていたんだ。食べてみたいなーって!な、愁も食べるよな!?安心しろ、ここは年上である俺が奢ってやるからな!お兄ちゃんに任せとけ!」 「えっ?ちょ、待ってください瑞樹さん!」 愁の止める声を無視して、数メートル先にあるコロッケ屋へと瑞樹は振り返ることなく走っていった。瑞樹の手を掴み損ねた手が、宙に浮かんだままに虚しく置き去りになっている。 「…だめだな、俺。何、瑞樹さんに気ぃ使わせてんだよ…。」 ぎりっと下唇を噛みしめ、宙に浮かんだままの手を下ろして拳を強く握る。瑞樹から押し付けられるように受け取ったペットボトルのキャップを回して、ひと呼吸置くと、飲み口に口をつけて、ごくごくと喉を鳴らして水を飲んだ。 ――男同士で関節キスもクソもあるかよ。 瑞樹が言った言葉を頭の中で何度も唱えながら水を飲む。いけないことをしている高揚感と過去に捕らわれ、暗く病んだ気持ちを一緒に流し込むように。

ともだちにシェアしよう!