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第20話「忘れたふりをしていた深い傷」
「いっけね、飲みすぎた…。」
ぷはっと息を吐きだし、ペットボトルの水の残量を確認すると、四分の三あった水が残り四分の一にまで減っていた。コロッケを食べれば確実に喉が渇く。瑞樹が飲み物が欲しいと思ったときに自分のせいで水がなくなってしまっただなんて、絶対あってはならないことだ。
「自販機…ここらへんにあったっけ…。」
愁が地元を最後に訪れたのは二年前、祖父の葬式以来。その時は葬式が終わったらすぐに帰ったため、当然商店街になんて来ていない。
つまり、商店街を歩くのは中学生の頃以来で約五年ぶりだった。中学生の頃はよく、友達と部活の帰りにこの商店街に寄って、買い食いをして小腹を満たしながら帰っていた。既に薄れかけている当時の記憶を必死に思い出す。
「思い出した!確か、着物屋の隣にあったはず!」
部活帰り、食べ物は商店街でよく買ったが、飲み物は基本学校を出てすぐにある自動販売機で先に買っていたため、商店街の自動販売機を利用した回数は少なかった。
だが、片手で数えれる程度ではあるが何度か利用したことがあった。右を見ても左を見ても、シャッターが閉まっている店ばかりでわかりやすい目印がないため、本当に着物屋の隣だったか定かではないが、着物屋ならここからそう遠くない。
瑞樹の方を見れば、どうやら、店主と何か話をしている様子でまだ戻ってきそうになかった。一瞬、水を買いに行くくらいなら大丈夫だろうと思った愁は、残りのペットボトルの水を飲み干し、走って着物屋へと向かった。
「おっ、あったあった。ビンゴ~。」
走っている途中、もしかしたら着物屋が既に閉店しているかもしれない。と思ったが、着物屋はまだ現役で今日も営業していた。愁の記憶は正しく、自動販売機も着物屋の隣に設置されてあった。空になったペットボトルをゴミ箱へぽいっと投げ捨てると、ポケットから財布を出しながら販売しているドリンクの種類を把握し、何を買うか考える。
無難に水でもいいけど、揚げ物を食べると無性に炭酸が飲みたくなる。
「瑞樹さんの好きなコーラにするべきかなぁ…。」
「さすが、愁は気が利くな。」と褒めてくれる瑞樹の顔を思い浮かべて口元を緩ませながら、小銭を自販機
に入れてからコーラのボタンを押す。ガコンッという音と共に、自販機からペットボトルのコーラが出てきた。腰を曲げ、取り出し口の中で横になって転がっているコーラを取ろうとした時だった。
「愁…?」
聞きなれない、それなのに、どこか懐かしく感じる声が愁の名前を呼んだ。声がした方を見る。
愁は、そこに立っている人を見て言葉を失った。
嘘だ、なんでここにいるんだ。違う、きっと本人じゃない。でも、なんで俺の名前を知ってるんだ。頼む、違う人であってくれ。激しい動揺のせいで、ぐにゃぐにゃと曲がる視界の中、振り絞って出した声は掠れて、言葉というよりは、ガサガサしたただの音に近かった。
「光也…?」
ドクンドクンと心臓が大きく動く。呼吸が浅くなり、余計に心拍数が上がっていく。安定しない視界の中、光也が笑ったのが見えた。
「やっぱ愁だよな?うっわ、久しぶりじゃん。中学卒業以来だから五年ぶり?」
馴れ馴れしく話しかけながら光也は愁に近づいた。愁は一歩、後ずさる。逃げたい。今すぐに走ってこの場所から逃げてしまいたい。それなのに、足は小刻みに震え、頭の中は真っ白になってしまってその場に立ち尽くすことしかできなくなっていた。
「おい、光也帰ってくんの遅すぎだろ。地元で迷子か~?…って、誰そいつ。」
「あ、悪い悪い。ちょっと久しぶりに愁に会っちゃって。」
「愁…?愁って、あの?」
逃げることもできずその場に呆然と立ち尽くしていると、続々と光也の友達が一人、二人と集まってきた。多分、みんなでどこかへ行く予定だったのだろう。気づけば愁は、光也含め、四人の男に取り囲まれる状態になっていた。
「まじ?お前、荒田愁?うっわー!超懐かしいんだけど。見た目結構変わってるから気づかなかったわ。俺
のこと覚えてる?ほら、三年の時同じクラスになった。」
「さ、佐伯だろ。お、覚えてるよ。あと、上澤と吉野…だよな。」
目を合わせるのも怖くて、ちらりと一瞬だけ顔を確認して名前を当てれば、本人たちは覚えられていたことに驚いた様子で、「すげー!」と言った。
「み、みんなもすごい見た目変わってたから、一瞬わからなかったよ。こ、光也も…。名前呼ばれたとき、全然、声だけじゃわからなかった…。」
光也達と会うのは中学の卒業以来だった。お互い、五年の時を経て、声も低くなり、身長も伸び、見た目も髪は明るく、服はいまどきの服装をしているため、当時の面影は多少残っているものの、人でごった返している都会ですれ違っても確実にわからないくらいには変わっていた。
だが、人一人見つけるのにも苦労するくらいの殺風景な田舎で、それも地元で会ってしまえば当たり前に誰か判断がついてしまう。
五年間ずっと近寄らないようにしてきた地元に、五年ぶりにたった数時間だけ帰ってきただけで、どうしてこんな、一番起こってほしくないことが起こるんだ。だからここには二度と来たくなかったんだ。
震える拳をぎゅっと強く握りながらそう思っても、後の祭り。瑞樹の為とは言えども、ずっと近づかないようにしていた地元に近づいてしまったことを深く後悔する。
「てゆーか、なんでお前同窓会来なかったんだよ。その後の中学の同窓会もすげぇ盛り上がって楽しかったのにさー。」
「あはは…ごめん、あの頃は、ちょっと忙しくて…。」
居心地が悪くてきゅっと狭めている愁の肩に、光也が腕を回すと、佐伯が茶化すように言った。
「おいおい光也。あんまべたべたしてやんなよ。愁のこと勘違いさせてお前どうするつもりだよー。あ、それとも光也も実はまんざらでもなかったり~?」
「はぁ?やめろって、昔から何回も言ってるけど俺はそっち系じゃないから。」
回した腕をぱっと離し、慌てて光也が愁から距離を取った。ジクジクと痛む古傷をスコップでぐさぐさと躊躇なく刺しえぐって、前よりさらに傷口を大きく広げられているような痛みが全身に走る。
この街から、この人達から距離を取ることで、時間が経つにつれて全て忘れ、既に傷も癒えていると思っていた。でも、それはただ、自分がその物事から目を背け、忘れたふりをしていただけだったのだと思い知らされた。
佐伯、上澤、吉野の囃し立てる声と、その声に反応して心底嫌そうにする光也の声で、一瞬にして中学生の頃のもう二度と思い出したくもない、辛くて苦しい記憶がぶわっと脳裏に浮かび、フラッシュバックする。
結局、自分は逃げただけで何も変わっていない。下唇を噛み、中学生の頃と同じようにただ耐えることしかできないんだ。
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