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第23話「人を好きになる素敵な心を持ってる。ただそれだけだ。」

ぐちゃぐちゃになった頭の中の物をからっぽにしたくて、ひたすら走り続ける。 商店街を抜けると、川沿いの大通りに出る。一台も走っていない二車線の大通りを、少し先にある横断歩道を無視してそのまま真っすぐ突き抜ける。川沿いまで辿り着くと、フェンスに両手をつき、はぁはぁ、と全身で息をする。 時々、胃から何かがせりあがってくる感覚に襲われ、おえっと、嗚咽を漏らした。 上がった息が少し落ち着き始め、川沿いの風景に目をやると、川沿いの歩道は五年前と同じ、整備されていない凸凹道のままだった。小学生の頃を思い出す。 この道は通学路だった。毎日光也と一緒にこの道を歩いて学校へ行っていた。帰り道も二人で一緒に、いろんな話をしながら。ツーっと愁の頬に涙が伝う。 俺が光也のことを好きにならなければ、俺があの日好きだと伝えなければ、俺が男じゃなくてちゃんと普通に女を好きになっていれば。今更どうしようもないことを考え、ボロボロと涙を流す。 「愁っ!お前、突然いなくなるなよな!こんな知らない土地で置いてけぼりやめろよ!迷子になって帰れなくなるだろ!」 きっと、必死に走って追いかけて来てくれたのだろう。額から汗を流しながら、はぁはぁと息を切らして瑞樹が駆け寄ってきた。 「おい、愁聞いてんのかよ。」 フェンスに手をかけ、川の方をじっと見つめたまま何の反応もしない愁の腕をぐいっと引っ張って、無理矢理自分の方へと向かせると、瑞樹ははっとした。 「愁…お前、泣いて…。」 苦しそうに顔を歪ませ、涙でぐちゃぐちゃになった愁の顔。こんな愁を見るのは初めてで、瑞樹は言葉を詰まらせどうすればいいかわからず、ただ、また愁がどこかへ行ってしまわないよう、愁の腕だけは離さないようにしていた。 「さっき聞いたでしょ…。あいつらの言う通り、俺、男が好きなんです。俺、中学の頃、さっき声かけてきた奴のこと好きだったんです。どうしようもないくらい好きで好きで…。それで、つい好きだって伝えたんです。そしたら、次の日からいじめられるようになって。…当たり前ですよね、だって、男が男を好きってどう考えてもおかしいし、気持ち悪いですよね。わかってるんです…俺だって、そんなことわかってるんです。でも、やっぱり、俺は男が好きなんですよ…。」 「愁…。」 「なんでっ…もう二度と人を好きにならないって、決めたのにっ。あの日ちゃんと、自分に誓ったのに…。なんでっ…。」 溢れ出る涙を、腕でごしごしと雑に拭いながら、怒りの混ざった声で愁が呟く。 その姿は痛ましく、どうしたらその辛さを取り除いてあげることができるのか、瑞樹はわからないでいた。なんて声をかけてやればいいのか、どうしてやれば楽になれるのか、わからないけど、わからないまま何かを言うのは無責任かもしれないけど、大丈夫だと安心させてやりたくて、そっと愁の頭に手を伸ばす。 あと少しで愁の髪に触れる時だった。愁はぱっと顔を上げ、止まらない涙を流しながら虚ろな目で喋り出した。 「そうだ、さっき瑞樹さん、夕日に照らされた商店街で告白するのがエモいって言ってましたよね。俺、光也に告白した時、まさにそのまんまの状況だったんです。俺、いろいろアイデア出せると思うんですよ。俺なんかでよければ全然、そのまま俺の話書いてくれていいですし、俺、いくらでも参考資料になれるんで、全然書いてくれていいですよ。」 「愁。」 「俺、少しでも瑞樹さんの役に立ちたいんです。俺なんかのくそみたいな恋愛話でいいならいくらでも語りますよ。ほら、親友に告白とか、まさに小説の主人公と俺ってリンクしてるじゃないですか。」 「愁。」 「本当俺、気にしてないんで。参考にしてください。俺の事利用してくださいよ。どんな風に書いてくれてもいいですから。ホモだっていじめられた時の話とかも、詳細教えれるんで参考になると思うんです。だから――」 「愁!!」 掴んでいた腕をぐいっと引っ張ると、瑞樹は愁を強く、それでいて優しく包み込むように抱きしめた。頭をゆっくりと優しく撫でると、瑞樹の指に、愁の茶色の髪がふわふわと絡まる。 「書かない。絶対書かないから。」 ぎゅうっと抱きしめる力を強める。耳元で愁の泣く声が聞こえた。 「でも、俺っ…俺、瑞樹さんの力にならないと…!」 「今でも充分力になってるよ。こうして一緒についてきてくれて、アイデアだって一緒に出してくれて、家事なんかほとんど愁がやってくれてるだろ。」 「でもっ…でも、俺、男が好きでっ、うぅっ、へんだ、しっ…ひっく、普通じゃないしっ」 「愁は変じゃないし、気持ち悪くもない。」 「でもっ!」 強い力で愁に肩を押され、無理矢理引きはがされる。ばちっと目が合うと、愁は顔を歪ませ、大粒の涙をまたぼろぼろと地面に落とした。 「でも…きっと瑞樹さんも俺の事気持ち悪くなる…。」 瑞樹の両肩を掴む愁の力が強くなる。瑞樹の肩は華奢なため、掴まれた跡が残ってしまいそうなくらいの強さで掴んでいるが、今の愁はそこまで気を回せるほどの余裕は一ミリもなかった。 「気持ち悪いなんて思わないよ。」 「絶対思います。」 「なんでだよ。俺が思わないって言ってんだから思わないだろ。」 「そんなの嘘に決まってます。」 「なんで嘘ってお前が決めるんだよ。」 「俺にはわかるんです!瑞樹さんも、光也みたいにどうせ俺の前からいなくなるんです!」 「はぁ?お前、ふざけんなよ!俺はいなくなんねぇよ!」 「俺が瑞樹さんのこと好きって言っても、そんなこと言えるんですかっ!」 「言えるよ!!」 すごい剣幕で瑞樹は言い切った。近くを通った四十代の主婦が驚いた顔をして、二人をガン見しながら通り過ぎていったが、二人はそれさえも気づかないくらい、お互いがお互いに必死になっていた。 「俺は愁のこと気持ち悪いとも思わないし、嫌いになったりいじめたりなんてしない。愁の前からいなくなったりも絶対しない。愁、お前はちゃんと、人を好きになる素敵な心を持ってる。ただそれだけだ。」 真剣な瞳で真っすぐ愁を捉え、瑞樹は諭すように愁に語り掛ける。 涙は収まったようだが、まだ浮かない顔をして「でも…。」と俯く愁。瑞樹は仕方ないなぁ、という表情をすると、フェンスに体を預けるようにもたれかかり、太陽の光を反射させて眩しくキラキラ光る川を見た。

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