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第34話「腕の中で眠る天使の寝顔に何度も…」

「瑞樹さん…。…期待してたんですか?」 「…へ?」 予想斜め上の愁の回答を聞いて、瑞樹は気の抜けた声を上げた。それに合わせるように、持っていたトーストの上から、ベーコンがずり落ちた。 「俺、頑張って抱きしめるだけで我慢したんですけど、瑞樹さんがまさかその気だったとは気づかなくて――」 「いやっ!違う!違う違う違う!そうじゃなくてっ!!」 「次、泊まる時はちゃんといろいろ準備してくるんで!」 「いや、だーかーらー!違うっての!人の話聞けよ!」 バンバンと机を叩くと、衝撃で机の上のお皿がガチャガチャと音を立てた。まだ半分も残っているコーンポタージュの水面がゆらゆら揺れる。 「あははっ、冗談ですって。そんな怒らないでくださいよ。安心してください、別に何もしてないですよ。」 くすくすといたずらっ子の笑みを浮かべ愁が笑う。完全に弄ばれている。年下に朝から揶揄われ、瑞樹はひくひくと頬を引きつらせた。 「っと、俺、そろそろ出ますね。今日、朝から夕方までシフト入ってるんで。バイト終わったら一旦家に寄るんでちょっと遅くなりますけど、また夜来るんで。食べ終わったらお皿はシンクの中に入れといてください。晩ご飯作るとき一緒に、ちゃちゃっと洗っちゃうんで。」 食べ終えて重ねたお皿をシンクへと運び、バタバタと慌てた様子で身支度を整える愁。 また今日も来てくれるんだ…。とぼんやりと思いながら、瑞樹は「あぁ。」と短い返事だけ返した。玄関まで愁を見送りに行く。トントンッとつま先を打ち鳴らして靴を履きながら愁はご機嫌で言った。 「へへっ。なんか玄関までお見送りとか、新婚さんみたいじゃないですか?行ってきますのチューとか言っちゃって。」 「お前…調子に乗るなっ。」 ぺしっとデコピンをすると、愁は「痛っ!」と言いながらも頬をゆるゆるに緩ませ笑っていた。 「ほら、遅刻するぞ。早く行け。んで、頑張ってこい。」 「はいはーい。バリバリ頑張ってきまーす。瑞樹さんも頑張って。それじゃ、また後で。」 ひらひらと手を振り、ドアを開けて眩しい外の光の中へと消えるように愁は家を出ていった。 時刻は九時。まだ太陽が昇ってさほど時間は経っていないのに、既に外の温度は高くなっていた。先程まで冷房のかかった部屋にいた為、温度差の影響でさらに暑く感じてじんわりと汗が滲み出る。 愁は急ぎ足で瑞樹の部屋から離れて、エレベーターとは反対側の端っこに設置されてある非常用の階段に座り込み、頭を抱え蹲った。 「っぶねぇ~~~っ…マジでばれたかと思ったぁ~っ…。」 緊張と焦りと不安で、バックバックと心臓が鳴っている。そっと自分の唇に指で触れると、数時間前に触れた瑞樹の唇の感触がまた微かに残っていた。 「寝込み襲うとかまじで最低だってわかってるけど、あんな可愛い寝顔みたら無理に決まってんじゃん~っ!」 うわぁーっと頭を掻きむしりながらジタバタ暴れる。 昨夜、瑞樹を抱きしめて同じベッドで寝た際、愁より先に瑞樹が眠りについたのだった。 自分の腕の中で、スースーと規則正しい寝息を立てる瑞樹の寝顔を見ていたら、愁は我慢できなくなって、一回だけ、ちゅっと一瞬触れるだけのキスをしてしまった。 その後も、あともう一回くらいなら…を繰り返し、触れるだけとは言えども、合計五回ほど瑞樹にキスをしてしまった。 「最低だ、俺は最低な男だ…。その上、寝込みを襲ってしまったことを瑞樹さんに誤魔化してしまった…。あぁ、神様…どうか俺に罰をお与えくださいっ…。」 愁の心は、罪悪感と幸福感の二つ波が交互に押しては返してを繰り返しながら、不安定な精神状態の中、なんとか一日バイトを終えた。 一度家に帰り、服を着替え、荷物を入れ替えると十一時間ぶりの瑞樹の家へ。

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