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第36話「もっとお前を求めて欲深くなっていく自分が嫌いだ。」

キッチンではカレーの具材が鍋の中でぐつぐつと煮える音がしている。 ダイニングテーブルに向かい合って座り、カレーの具が煮えるまでの時間を使って、愁は瑞樹がお昼の間に修正したという文章を読んでいた。 「ど…どうだ…?やっぱ変か?」 自信がない声で瑞樹が問う。愁はパソコンの画面から目を離さないまま、腕を組んで背もたれに寄りかかった。 「うーん…。変っていうか…なんか、どっかの本とかを参考にして書きました?」 「え、なんでだ?」 「なんか、前はもっと、表現の仕方がソフトな感じだったというか…。こう、例えるならば小学1年生くらいの子が読む少女漫画って感じの初々しい表現だった気がするんですけど。今回は何というか、大人向けでリアルな感じが…。」 瑞樹はドキッとした。 まさか、このキスシーンを修正するにあたって、夢の中で愁とキスをした時の感触や感情をそのまま書いた。なんて口が裂けても言えない。 「そ、そうかな?まぁ、日々進化していかないとだし、ね!」 あははーっと笑って、勢いで誤魔化せば、愁は、おぉ!と関心の声をあげ、ぱちぱちと拍手をした。 「さすが桜庭先生!いつまでも向上心を持っていてすごいです!この言い回しも新しい桜庭みずきって感じで俺は好きですよ!」 「はは…ありがとう。」 頬を引きつらせながら瑞樹は笑う。良心が痛んだ。 「あ、そうだ。昨日言ってた遊園地、明日行きませんか?」 カレーの仕上げをしに、キッチンへと戻る愁の後ろを瑞樹がちょこちょこ歩いてついて行く。 「あれ本当に行くつもりだったのか。てか、明日って急だな。」 「明日急遽シフトが変わってバイト休みになったんですよ。瑞樹さんも明日、特に予定ないですよね?」 「人を暇人みたいな言い方するな。…まぁ、予定はないんだけど…。」 「よっしゃ!それじゃあ決まりですね。明日、十時に駅前集合で!」 嬉しそうに笑いながら、鍋にカレールウを投入する。 愁がお玉で鍋の中をくるくるとかき混ぜれば、さらさらだった液体が、どろっととろみのある液体へと変わっていく。カレーのいい香りが部屋中に広がっていく。香りにつられて、瑞樹のお腹がぐぅと鳴った。 「よっし、完成!ご飯あと一分で炊けるんで、炊けたら好きなだけ食べてください。冷蔵庫の中にちぎった だけですけどサラダ入ってるんで。食べてくださいね。」 エプロンを脱ぎ、いそいそと帰り支度をする愁。 「え…愁は食べないのか?」 玄関へと繋がる扉のドアノブに手をかけた愁にそういうと、愁は少し残念そうな顔をした。 「これから友達と食事する約束してるんです。そいつ九時にバイト終わるんでそろそろ行かなきゃ遅刻しちゃうんで。」 これから会う友達とやらと遊ぶのがよほど楽しみなんだろう。瑞樹と一緒にいれないことが残念そうではあるが、それと同じくらい、うきうきと浮き足立って見えた。 友達と約束があるのならば仕方ない。「そうか…。」と少し暗い声で返事を返した瑞樹の心境にはそぐわない、ポップで明るい音楽が炊飯器から鳴った。 「ちょうどご飯炊けたみたいだし、お見送りはいいんでご飯食べてください。それじゃ、また明日、十時に駅前で。」 ドッドッという、愁の足音が遠ざかっていく。キィッと玄関が開く音が聞こえてすぐにバタンッと閉まる音がした後から、やけに冷蔵庫の音がうるさく感じる。 静かな部屋にぽつんと一人取り残された瑞樹。のそのそと歩き、平皿にご飯とカレーをよそうと、いつも自分が座る方の椅子へ座る。目の前に映るのは壁。 「いただきます。」 手を合わせ挨拶をしてからカレーを一口食べる。 「ん…うまい。さすが愁だな。…毎日作ってほしい。」 返ってこない返事。心にぽっかり穴が開いたような気持ちだ。静かな部屋が居心地悪くて、テレビをつけた。面白可笑しい話をしている芸能人が映った。スタジオではみんなが楽しそうに笑っていたが、瑞樹には何が面白いのかまったくわからず画面から目線を外した。 「そうだ、サラダもあるんだった。」 冷蔵庫を開けると、一人用のサラダボウルにレタスときゅうりとトマトが盛り付けられてあり、ラップがされてあった。 友達との約束があったのに、わざわざ家まで料理をしに来てくれることが嬉しい。大切に思ってくれている。俺は愁の特別なんだ。それだけで充分なはずなのに、こんなに尽くされて幸せなのに、もっと求めてしまう自分がいる。 どんどん欲深くなっていく自分が怖くて、嫌いになっていく。それでも心は、愁をもっと求めてしまう。 「…毎日作ってくれるだけじゃ嫌だ…。毎日、一緒に食べて欲しい…。」 自分の椅子に座れば、目の前に愁がいないのが寂しくて、愁の椅子に座り直してからカレーを掻きこむように食べた。『ゆっくり噛んで食べないと、また喉詰まらせますよ。』頭の中で愁の声が聞こえた。

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