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第41話「こんな気持ちも感覚も…俺、初めてだ。」

――あぁ、愁は本当に桜庭みずきが好きなんだな…。 自分のことだというのに、まるで青山瑞樹と桜庭みずきは別人だというような、他人事っぽい言葉が頭に浮かぶ。 「いつも通りこの場所に来たら、そこのベンチに白い小さなバッグが置かれてることがあったんです。中を確認したら貴重品は入ってなかったから家に帰るタイミングで交番に届ければいいやーって思って、いつも通り、何をするわけでもなくぼーっとしてたんです。でも、毎日やることもなく、ただここに来てぼーっとしているのはさすがに暇で。…で、その忘れ物のバッグの中に一冊の本が入ってあったんで、良くはないとわかってはいたんですけど、暇つぶしと思って、読んだんです。」 「もしかして、その本が…?」 「はい。桜庭みずき先生の本、『青、そして春。』でした。俺、本なんて読書感想文の時に短い簡単な本を読んだことあったくらいで、それまで全然読んだことなかったし、正直本って面白くないって思ってたんです。漫画とか映像作品の方が見やすいですし。」 「そ、そうなのか。」 小説家として“本って面白くない”という言葉がグサッと刺さる。幼いころから本が好きで自ら積極的に読んでいた瑞樹にとって、愁のその気持ちはあまり共感できるものではなかった。 「でも、桜庭先生の本を読んで、俺の世界が変わったんです。あんなに面白くて、一つ一つの言葉と文字が綺麗な本、初めて読みました。桜庭先生の手によって描かれるキャラとセリフは全て俺心に刺さって、もう、なんて言葉にすればいいかわかんないんですけど…こう…とにかく、すごいやばいって感じなんです!」 両手をばっと大きく広げ、言葉にできない感情を体で表現する愁。その動きが可笑しくて、瑞樹は笑った。 「お前、最後アバウトだな。全然伝わらないぞ。」 「んんー…伝えるって難しい…。とにかく、桜庭先生の紡ぐ言葉全部が好きってことです!俺に勇気と元気を与えてくれるんです。それから俺はずっと、桜庭先生のことが好きなんです。」 「…そうか。」 「俺、一番好きなセリフがあって、『初めましてを何度でも』の主人公が言ったセリフなんですけど、『何度俺のことを忘れたって良い。その度俺はユリに何度でも初めましてを言う。誰だって一回の人生のうち、何度もリセットしてやり直して生きている。ユリだって同じだ。可笑しくなんてない。何度リセットしても、俺は必ずユリの隣にいるから。だから安心して明日に向かって歩けばいい。』ってセリフです。もう好きすぎて何度も読んでるから暗記しちゃってるんですよね。」 声はあははっと笑っているが、小説のストーリーを思い出したからなのか、それとも、この高台での記憶を思い出してなのか、愁の目は少し潤んでいた。 「誰だって一回の人生のうち、何度もリセットしてやり直して生きている…。この言葉にはっとさせられて、俺もちゃんとリセットする勇気が出ました。それからは学校で友達も作って、普通に楽しい高校生活送ったんで安心してください。でも、それからもこの場所には定期的に来てました。桜庭先生の新作を読むときは絶対ここって決めてたんです。ベンチに座って何度も本を読んで何度泣いたことか…。」 愁が桜庭みずきと出会った大切なベンチに愁が腰かける。隣をぽんぽんっと軽く叩いて、瑞樹が座るよう促す。瑞樹は愁の誘導通り、ゆっくりとベンチへ腰かけた。 愁と桜庭みずきが出会ったベンチだと思うと、なんだか感慨深いな…。と思っていると、隣から「うわぁ…。」とどういった感情か読み取りにくい感嘆の声が聞こえた。 「うわぁってなんだよ…。」 「だって…俺、桜庭先生と出会ったベンチで今、桜庭先生本人と一緒に座ってると思ったら、なんか、混乱しちゃって…。」 「お前が座れって合図してきたんだろ。」 「そうですけど…えっ、夢?本物?桜庭先生本物ですよね?」 「おまっ!おい!人の体をべたべた触るなっ!本物!本物だ!ちゃんと俺は桜庭みずきだ!」 ふざけた様子じゃなく、至って真面目な顔をして、顔やら肩やらをべたべたと確認するように触る愁。 その手が体に触れる度、瑞樹は体温を上げた。ドクドクとうるさい鼓動が、隣にいる愁に聞こえないように、ぎゅっと胸を押さえつける。ベンチの背もたれにトンッと軽く持たれると、愁はキラキラと光る夜景を指さした。 「あんな建物や人でひしめきあってる街で、桜庭先生と出会って、今こうして隣にいられるの、奇跡ですよね。へへっ、俺、一生分の運使い果たしちゃったかも。」 「…愁って、桜庭みずきの話してる時だけしか、そういう幸せそうな顔しないよな。」 「あったりまえですよ!本当に本当に大好きなんですから!」 少し嫌味を含んだ言葉だった。それなのに、愁は一ミリも卑屈に捉えることなく、淀みのない綺麗な瞳で真っすぐ瑞樹を見て笑うのだから、瑞樹は余計に、惨めな思いに苛まれる。 イライラムカムカして、腹の奥底辺りから、黒くてどろどろした変なものが喉へとせり上がってくる感覚が気持ち悪くて吐きそうだ。 それなのに、胸はぎゅーっと締め付けられ、息ができないほど苦しい。 こんな気持ちも感覚も、瑞樹は初めてで、これ以上愁と二人きりでここにいると、自分が壊れてしまうんじゃないかと怖くなった。

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