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第8話「魔法少女ストレス解消法」

「うぉらああ!!!」 モンスターに強烈な蹴りをお見舞いしてやれば、モンスターは「ぐあぁっ」と苦しそうな声を上げて一瞬たじろぐ。その一瞬の隙を突いてさらに追い打ちをかけるように間髪入れずに顔面にグーパンチを何発も入れてやれば、モンスターは半泣き状態で必死に俺から逃げようと藻掻いた。 「くそっ!くそ課長が!何が『容量が悪いから定時に仕事が終わらない』だぁ!?仕事が終わんねぇのはなぁ!!お前が!大量の仕事押し付けてくるからだよ、このくそがぁ!!!お前も働け!この給料泥棒!!殺すぞ!!!」  俺がブチ切れながらモンスターをボコボコにしている理由。それはついさっきのことだ。 定時まであと2時間、もちろん今日も俺は既に残業確定していた。 デスクの上に山積みになった資料に埋もれた状態でキーボードをカタカタと打っている時だった。「幸坂さん。」と後ろから名前を呼ばれて振り返ると、俺の真後ろの席の葉山さんが眉を八の字にして心配そうな顔でこちらを見ていた。 葉山さんは数か月前に中途採用で入社してきた女性社員で、前職も営業をしていたらしい。が、会社によって当然ながら仕事の仕方は違う。何かわからないことがあるのかと思い、どうしたのかと尋ねると、葉山さんは俺のデスクの山積みの資料を指さした。 「あの…それ、今日もまた残業してやるんですよね…?私でよければ手伝いましょうか?」   俺は驚いて、思わず「えっ?」と聞き返した。 俺が課長にこっぴどく叱られたり、大量の仕事を押し付けられていても、全員見て見ぬふりを決め込んでいた。まぁ、それが当然の対応だろう。俺の事を庇えば、自分にとばっちりが来ることなんて目に見えている。 俺の事を庇って自分まで課長に目を付けられてパワハラを受けることになるだなんて堪ったもんじゃないだろう。俺も俺のせいで犠牲者が増えるのは申し訳なさ過ぎて胃に穴が開きそうだ。 だから、皆が見て見ぬふりをしていることがある意味安心ではあった。 でも、どうやらそれは俺の単なる強がりで、本当は誰かに助けてほしいと思っていたのかもしれない。葉山さんの放った「手伝いましょうか?」の一言で俺は思わず涙が出そうになった。 じんわりと心が温かくなる。なんて優しい人なんだ。葉山さんが入社した日に居酒屋で歓迎会をした時、同期の岸本が言っていた言葉を思い出した。 『葉山さんって前の職場で超仕事できる営業マンだったらしいぞ。美人で仕事できるってさ、なーんか取っつき難くねぇー?プライド高そうだし、人の事見下してそうじゃん。俺は断然新入社員の御影ちゃん派♪仕事できない、社会のことなーんにもまだ知らないってとこが可愛いじゃん?俺が育ててあげなきゃって感じがさー。なによりも、顔可愛いし、スタイルもいいし。』 ベロベロに酔った勢いで、完全にハラスメントに引っかかる発言を平気な顔で俺に言っていた岸本だったが…。岸本、お前の見立ては大間違いだ。葉山さんはお前が思っているような人じゃない。仕事ができる上に優しい、俺には女神に見える…! 「…ありがとうございます。でも、あのお気遣いだけで嬉しいので大丈夫ですよ。」 本心を言えば手伝ってほしい。だが、俺のせいで女神である葉山さんを残業させるわけにはいかない。 涙で潤んだ瞳を隠すように少し下を向いてそう言ったが、葉山さんは引かなかった。キャスター付きの椅子に座ったまま、俺の方へぐいっと近寄ると、周りに聞こえないように顔を近づけてひそひそ声で話してきた。 …ち、近すぎないか…? 整った綺麗な顔がすぐそこにある。ぱっちりと開かれた大きな瞳と綺麗な二重。瞬きするたびにくるんっとカールしている長いまつげが葉山さんの美しさを際立たせている。 白い肌はすべすべで触り心地が良さそうで、ピンク色の口紅が塗られた形の良い唇は妖艶で、俺はごくりと唾を飲み込んだ。緊張して、どこを見ていいのかわからず俺はふいっと目線を明後日の方向へとそらした。 「課長、幸坂さんに対してのパワハラ酷くないですか?私見てるだけでいつもムカついちゃって。本当、課長最低ですよね。」   葉山さんのカラコロと甘い飴玉を転がしたような高くて綺麗な声が耳をくすぐる。「そうですよね。」とぎこちない笑顔で笑いながら返せば、葉山さんがにっこりと笑ったのが視界の端に見えた。 「私もう急ぎの仕事は終わったんで気にしないでください。2人でやっちゃえば定時まで上がれちゃいますよ。」 「そ、そう、ですね。…じゃあ。」 俺が、デスクの資料をいくつか取り、葉山さんに渡そうとした時だった。 「幸坂クン!!」 課長の怒り交じりの声がフロアに響いた。俺は反射的にビクッと肩を大きく揺らした。周りの社員は一瞬、突然の怒鳴り声に驚いてピクリと反応したものの、すぐに何事もなかったかのように仕事を続けている。あぁ…また今日もパワハラタイムだ…。 俺は課長にバレない程度の溜息を吐くと、葉山さんに断りを入れ、席を立って課長のデスク前まで行った。偉そうに椅子の背もたれに背中をつけてふんぞり返るようにして座り、俺を見下した目で見てくる。バンッとデスクを叩いて威嚇する態度を取れば唾を飛ばしながら、日課とも言える俺へのパワハラタイムが始まった。…最悪な日課だ。 「自分の仕事を葉山さんへ押し付けるとは何事かね!?自分に与えられた仕事は最後まで責任もって自分で成し遂げないかっ!」 その言葉、あんたにそのままバッドで打ってお返しいたします。 「大体、入社したばかりの葉山さんに押し付けるだなんて、ありえないだろ。お前は何年この会社で働いてんだっ!おいっ!大体、お前は毎日毎日残業ばかりしてもっと仕事の効率を考えて仕事をするべきだ。容量が悪いから仕事が終わらずもうこんな時間だってのにあんなに仕事が残ってるんだろう。なぁ、そうだろ?そうだろって聞いてるんだよ!」 机をバンバンと叩きながらまくし立てるようにして怒鳴り散らす課長。 はぁ?容量が悪い?毎日残業ばかり?ふざけんな!俺だってやりたくて毎日深夜まで残業してるわけじゃねぇんだよ! 容量もくそも、お前が毎日嫌がらせで大量の仕事を押し付けてくるから悪いんだろうが!お前こそ責任もって最後まで自分の仕事を成し遂げろよ!このごみくそ課長!!   …と、本音が喉元まで上がってきていたが、ごくりと無理矢理飲み込み、俺は怒りで震えた声で「申し訳ありませんでした。」と言い、深々と頭を下げた。 あぁ…なんて情けない。拳をぎゅっと固く握って感情を必死に押し殺す。 自席に戻る途中、葉山さんをちらりと見ると、申し訳なさそうな、心配している表情で、俺のことを見ていた。 あぁ、せっかく葉山さんが気を使って助けてくれようとしたのに、余計に変な気を使わせてしまった。本当に申し訳ない。どんな顔をすればいいのかわからず、ふいっと葉山さんから目線を外して、俺は椅子に座り、パソコンに向き直した。その瞬間だった。

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