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第22話「慣れてきた日常」

街の光がまだたくさん灯っていて眩しい。 飲食店が軒並む駅前通りを歩けば、飲み放題半額キャンペーン!と書かれた大きな看板を持った居酒屋の学生バイトに、お兄さんどうっすかー?と声をかけられた。無言でコートのポケットから手を出し、結構です。という意味のジェスチャーをして通り過ぎる。 空気が冷たい。この前まで夏の暑さがまだ残っているなぁ、なんて思っていたのに、いつの間にか季節はすっかり冬になっていた。ケーキ屋の前を通ると、クリスマスケーキ予約受け付けております!と書かれたポスターが視界に入った。もうそんな季節か…。 まぁ、俺にはまったく1ミリも関係はないのだが。俺は、歩くスピードを変えることなく、まっすぐ家へと向かう。自宅から一番近いコンビニが数メートル先に見え始めた頃、俺のお腹がきゅるるっと鳴った。腹が減った。何か買おうかな…。 チキン、コロッケ、肉まん…うーん、どれも捨てがたい。 レジ横に設置されてあるファストフードを思い浮かべるとさらにお腹が鳴った。…いや、やっぱやめておこう。あと数分で家だしな。 コンビニを通り過ぎ、自宅マンションの6階を見上げる。右から3番目の603号室の灯りを確認すると、俺は少しだけ足を早めた。 「ただいまー。」 鍵を開けて部屋に入る。部屋の中は暖かかった。冷たい風から守られる、それだけでなんだかホッとする。壁に手をついて靴を脱いでいるリビングからドタバタと足音が聞こえガチャっと扉が開いた。 「大我、おかえり。外は寒かっただろう。僕が温めてあげるよ。さぁ、僕の腕の中においで。」 両手を広げて玄関へと向かってくるノアを俺はしゃがんで交わすと、何食わぬ顔でリビングへと向かう。 「今日もそっけない大我…。でも、そんなツンデレなところも僕は愛しているよ。」 「誰がツンデレだ。いつデレをみせたことがあるっていうんだよ。」 脱いだコートとジャケットをソファーの背もたれにかけてから、ドカッとソファーに座った。暖房で過ごしやすい温度に設定された室内は最高に居心地が良い。もうここから動きたくない。 「確かに、ツンツンの間違いだったね。まぁ、それでも好きなことに変わりはないんだけどね。…ところで、今日は珍しく帰ってくるのが早かったけど、何かあったのかい?」 「あぁ、今日はくそ課長が出張だったからな。おかげで定時で上がれた。」 後ろを振り返ってにぃっと笑いながらノアにピースをして見せる。ノアは俺が脱ぎ捨てたコートとジャケットを丁寧にハンガーへかけていた。 「あぁ、なるほど。それでか。お昼過ぎに、今日は18時頃には帰るって連絡が来た時には何かあったのかと思ってびっくりしたよ。」 「連絡しておかないと、急に俺が早く帰ってきたらお前困るだろ?」 「あぁ、困るね。大我が帰った時には、完璧な状態で待っていたいから。で、ご飯にする?お風呂にする?それとも――」 俺の横に座ると、ノアは俺に手を伸ばす。頬を撫でるノアの手がくすぐったくて、俺は目を細めて少し身をよじった。 「僕にするかい――?」 綺麗な顔が少しずつ近づいてくる。何度見ても1つも欠点のない綺麗な顔。こんなに超至近距離でみてもシミシワどころか、毛穴もないもんな。まるで人形じゃねぇか。そう思いながら、俺は容赦なく、その人形みたいに綺麗な顔を鷲掴んで強い力で押し返す。 「お前なぁ…毎日毎日、俺が帰って来る度にそれ聞くのやめろよ。気持ち悪いんだよ。俺がお前を選ぶ日なんて今後一生ねぇんだからな。」 「そんなのわからないじゃないか。もしかしたらいつか大我が僕を求めてくれる日が来るかもしれないっ!僕のことが欲しくて欲しくて堪らなくて、もういっそ大我が僕のことを襲う――」 「あああああああ!!!ないないない!!!絶対ない!!変な妄想すんなよ!気色悪い!!!」 慌ててソファーから立ち上がりノアから距離を取ると、ノアはいたずらっ子のような顔でくすくす笑った。こいつ、俺で遊んでやがる。俺は怒っているんだということを伝えるためにキッと睨んでやったのに、ノアは楽しそうな顔でにっこりと笑った。まったく、こいつと一緒にいるとノアのペースに振り回されてばっかりで疲れる。 「で、ご飯とお風呂、どっちにする?」 「あー、飯で。腹減った。」 俺がそう言うと、ノアはOKと返事をしてキッチンへと向かいテキパキと夕食の準備をし始める。 本当にマイペースなやつだ。ノアが俺の家に来てからというもの、俺は今のように毎日ノアに振り回されてばかりだ。そもそも俺は、ノアが俺の家に住むと言い始めてから数えきれないくらい幾度となく、早く出ていけと伝えている。 が、奴は一向に出ていこうとしない。そして、いつしか出ていけと口うるさく言うのが面倒になった俺が折れた、というわけだ。まぁ、家事は全部してくれるし、料理も上手いし、隙あらば俺を口説いたりべたべたと触ってくること以外は感謝してもしきれないほど助かっている。仕事で疲れて帰ってきてすぐに、お風呂にも入れてご飯も用意されてある。 まさに実家のような快適な暮らしを突然失うだなんて、今更無理だ。ノアという家事代行ロボットを失うのは俺にとってかなりの大ダメージになる。不本意ではあるが、ノアが俺の生活の一部になってしまったということだ。 …ただの家事代行ロボットとして、だけどな。 地球で生活する上であのまま魔王の姿だといろいろと不便だろうと思い、俺の服を貸してやった。どれもサイズが合わなかったためオーバーサイズで着るように購入してあったパーカー2着ほどしか貸してやれなかったけど…。まぁ、ノアが外に出ると言えば食材の買い出しくらいだろうからラフな格好で構わないだろうと思いそのまま放置していたが、いつの間にかノアは自分で服を購入しファッションを楽しむようになっていた。ブランドに無頓着な俺でも知っているようなブランドロゴが入った紙袋を両手いっぱいに提げて帰ってきた時には、俺は恐怖で青ざめた。 まさか、俺の金で買ったんじゃないかと疑ったが俺の金には手を付けていないと言う。財布と通帳を確認したが、確かに1円も減っていなかった。お金の出どころが気になりしつこく聞いてみたが、秘密の一点張りでまったく教えてくれる様子はないので最終的に俺は諦めた。 犯罪に手を染めているわけではないらしいし、俺の金じゃないならノアが何を買おうが俺には関係ない。それ以上の詮索はやめた。ちなみに、ファッションに目覚めた理由は「好きな人の前では常にかっこよくいたいから」らしい。無駄な努力だ。 「大我、準備できたよ。」 テーブルに並べられた美味しそうな料理を見て、俺はごくりと喉を鳴らした。今日はビーフシチューだ。いい香りが俺の食欲を煽る。席に着くと手をあわせていただきますと言い、さっそくスプーンでビーフシチューを頬張る。 「ん~!うまっ!」 冷え切った体に美味くて温かいビーフシチューが染み渡る。 「よかった。前に大我がテレビでビーフシチューを見て、美味しそう、食べたいって呟いていたから作ってみたんだ。」 そんなこと俺言ったか?記憶にない。多分何の気なしに独り言で言っただけだろう。多分、ノアはその俺の言葉を聞き零さず今日まで覚えていたのだ。俺のしょうもない言葉1つ1つをいちいち覚えているだなんて、なんて面倒くさい事をしているんだか。愛が重すぎて呆れる。だが、正直なことを言えば認めたくはないが嬉しいって気持ちも少なからずある…。 「あー…その、ありがとう、な。」 照れくさくて顔が見れない。俯き、ビーフシチューを見ながらぼそぼそとお礼の言葉を言えば、ノアは、うん。と嬉しそうな声で返事をした。

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