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第27話「昔の記憶」

小さい頃からずっと、俺は必要のない人間だった。友達からも恋人からも、次に行くためのとりあえずの腰掛けみたいな存在で誰かの一番になるだなんて死んでも叶うわけない。そう気づいたのは、小学3年生の秋だった。  小学校に入学して初めてできた唯一の友達、カケルが転校した。カケルの家庭は、父親が転勤族だったらしく幼児園から小学校に上がるタイミングで北海道から東京へと引っ越してきたのだ。慣れない土地で初めての小学校。方言の違いも関係して、カケルは入学して2週間経ってもなかなかクラスに馴染めないでいた。  休み時間、クラスメイトはみんな校庭に出てサッカーやら鬼ごっこやらを楽しんでいる中、カケルはいつも1人、教室でぽつんと自分の席に座って何をするわけでもなく、ただただじいっと窓の外を見つめていた。  その頃の俺はというと、クラスからハブられるわけでもなく、逆に人気者で目立っているわけでもなく、ただのクラスの中の1人。漫画で例えるならば、顔さえ書いてもらえない背景の1部として扱われているモブだった。当然、台詞なんてもらえない。サッカーに誘われれば参加して、誘われなければ教室で大人しく過ごす。昔から変わらず、俺はただの人数合わせ要因の都合のいい存在でしかないのだ。  そんな俺は、いつも1人ぼっちでいるカケルが気になっていた。もしかしたら、友達になれるチャンスなんじゃないか、と。友達と呼べる存在がいない同士、仲良くなれるかもしれない。という期待を込め、勇気を出して俺から声をかけた。「友達になろう。」と。  それが俺とカケルの出会いだ。  カケルと俺は戦隊ヒーローが好きという共通点で、その後一気に仲良くなり、1年後にはお互いがお互いを“親友”と呼ぶほどにまで関係は発展した。「僕達、親友だもんなっ!」とカケルが無邪気な笑顔でそういう度、俺の心は幸せに満ち溢れていた。あの感覚は今でも忘れられない。それほど俺は嬉しかったのだ。自分が誰かの一番であるということが。  カケルの転校をカケル本人から告げられたのは、小学3年生の夏休み前日の朝だった。今日が終われば明日から夏休み。宿題は面倒だけどお祭りだったり家族旅行だったり、夏休み期間中のイベントは既に目白押しでわくわくしながら、俺は朝食のトーストを頬張っていた。 ピンポーン インターホンが鳴る。 こんな朝早くから来客だなんて…誰かしら…。不審そうな顔をしながら、キッチンでお弁当を準備していた母さんが玄関へと向かう。その数秒後、大我ー!と玄関から大声で名前を呼ばれた。口の中いっぱいに詰め込んだトーストをもぐもぐと咀嚼しながら玄関へと走って行けば、そこに立っていたのはランドセルを背負ったカケルとカケルの母親だった。 カケルは目線を下に落として、しゅんっと萎れている。状況が読み込めず、俺は咀嚼する動きを止めてじっとカケルを見つめた。「ほら、カケル。ちゃんと言うんでしょ。」背中をぽんっと優しく母親に押されたカケルは、何度が口をぱくぱくと動かして、決心がついたのか真っすぐ俺の顔を見た。 「大我…僕、大阪に引っ越すんだ…。」 強い力で殴られたような痛みが後頭部に走る。それと同時にさっき胃に入れたトーストと牛乳がせり上がってきて油断したら口から全て吐き出しそうだ。 引っ越す…?嘘でしょ…?嫌だよ、そんな…!吐きそうな感覚を無理矢理奥底に追いやるように、口の中に残っていたまだあまり咀嚼できていないトーストを無理矢理ごくりと飲み込んだ。 「この後クラスでも言うんだけど、カケルがどうしても大我くんには先に自分で伝えたいって言うから。朝早くからごめんなさい。」 カケルのお母さんが申し訳なさそうに言うと、「いえいえ、わざわざ来ていただいてすみません。」と母さんが言う。 「大我と離れるなんてっ…本当は、ぼくっ…嫌だよっ…うぅっ、ずっと一緒にいたいよぉっ!」 大粒の涙が、一粒、二粒と零れ、最終的にわんわんっと止めどなく涙を流しながら泣きじゃくるカケル。それに釣られて、俺も大声で泣いた。俺達2人の泣き声に驚いて、リビングで新聞を読んでいた父さんが何事かと飛んできて俺の背中を優しく擦ってくれたが、俺の涙は止まらなかった。 夏休みの間はまだこっちにいるんで、どうかカケルと遊んでやってください。と、玄関から出る寸前にカケルのお母さんが言った言葉通り、俺達は夏休みの間、俺が家族旅行に行っていたお盆期間を抜いて毎日遊んだ。 そして夏休み最終日。俺は母さんと一緒にカケルのお見送りに新幹線口まで会いに行った。  大きなリュックを背負ったカケルを見つけた瞬間、これが最後なんだと痛いほど実感して俺はたくさん人が行き交う東京駅でわんわんと泣いた。泣く俺を見てカケルも泣き始めて、きっと母さんもカケルのお母さんもあの時は随分困っただろう。  離れるのが、会えなくなるのが寂しかった。それと同時に、泣くほどカケルも俺と同じくらい俺のことを大切に思ってくれてることが嬉しかった。俺はカケルの一番なんだと感じた。 「ママの携帯借りてっ…まいに、ちっ…ぐすっ、電話とかメールとか、する、からっ…うぅっ…離れ離れになってもっ…俺達、絶対絶対ぜぇーったい!親友だから、なっ!」 涙でぐちゃぐちゃになった顔でカケルが笑った。俺は大きく首を縦に振り、うんっ!と返事をした。カケルのお母さんに手を引かれ、改札口を通って小さくなっていくカケルの背中に俺は手が千切れるくらい必死になって振り続けた。 見えなくなってからも数分間、母さんが「もう帰ろっか。」と言っても、なかなかその場から動かず、黙って涙を流し続けながらじっとカケルが消えていった方を見つめ続けた。  改札の向こう側へ行く前、別れ際にカケルのお母さんが俺に言った。「この子、人見知りでなかなか友達作れないの。だから、これからもずっと、カケルの親友でいてやってね。」その約束はたった3か月で破ることになってしまった。  いや、正しくは破られたのだ。カケルに。  カケルが引っ越して1か月は、夜遅くまで母さんの携帯借りてカケルと電話したりメールをしていた。時には、「やりすぎ!もう寝なさい!」と怒られてしまうくらいまで、密に連絡を取り合っていた。だが、カケルが引っ越して2か月が経とうとしていた頃から、だんだんとカケルからの返信回数が減って、3か月を過ぎた時にはぱったりと連絡は取らなくなっていた。 《大我:今度の日曜電話しよ!》《カケル:ごめん!クラスの友達と遊びに行くんだ!僕のことは気にしないで大我もクラスの人達と遊んでいいよ!》 これがカケルとの最後のやりとりとなってしまった。俺はこの時察した。もうカケルの中で俺は一番じゃない、親友ではなくなったのだ、と。胸がぎりぎりと軋むように痛み、呼吸が浅くなって上手く酸素を吸うことができない。ぼろぼろと零れる涙は毎晩無条件に溢れ出てきて、止め方さえもわからない。俺は必要ない人間なんだ。 クラスでペアを作る時だって、いつも俺が最後に残って、いくつかあるグループにも所属さえできない。人数合わせの時だけ都合よく使われて、必要ない時にはみんな俺のことを見えていないみたいな態度をする。俺は空気、俺は透明人間なんだ。鬱々とした気持ちで過ごす日々が続いた。  俺は一人っ子だった。8年間、父さんと母さん、どちらからの愛も独り占めして生きてきた。父さんと母さんの中では俺が1番、そう思っていたのに。そんな時に俺に弟ができた。弟ができても俺のことをないがしろにすることなんて、一度もなかった。 でも、8年もの間2人からの愛を独占していた俺にとって、弟ができたことにより独り占めではなくなった事実があまりにも苦痛でそれをどう受け止めればいいのか、まだ幼い俺にはわからなかった。  俺は誰かの1番になんて一生をかけてもなれない。所詮、顔の書かれてないモブなんだから。そう自分に言い聞かせて諦めることを覚えたのは小5だった。誰にも、自分にさえも期待しない。それが一番楽に生きれる方法なのだ。

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