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第28話「悪夢と大きなミス」

「…さん…っさかさん…幸坂さんっ!」 「っふわぁあい!!?」 慌てて起き上がると体制を崩してベンチから転げ落ちてしまい、ドンッと鈍い音を立てて背中と腰を強打した。打った場所を擦りながら、痛たたた…と情けない声を上げると、頭上からくすくすと笑う声が降ってきた。 「ふふっ、昼休みもう終わっちゃいますよ。早く戻らないとまた部長に怒られちゃうんですから。」 手を口元に当て、目を細めて笑う葉山さん。冷たい冬の風がぴゅうっと吹くと、葉山さんの腰辺りまである黒くて綺麗な長い髪がさらさらと揺れた。うわ、美人すぎ。これは目が冴える。  その場に立ち上がり、ぱんぱんっとスーツについた汚れを払う。どうやら俺は昼休み、会社のビルの屋上でノアの手作り弁当を食べた後、疲れと満腹感により睡魔に襲われ寝てしまっていたらしい。  それにしても、懐かしい嫌な夢を見てしまった。なんで今更、もう20年も前のことを夢でみて思い出さなきゃいけないんだ。気分が悪い。空になった弁当箱に蓋をして投げ入れるようにランチバックにしまった。 「うっかり寝ちゃってたみたいです。起こしてくれてありがとうございます。」 かっこ悪いところを見せた恥ずかしさを誤魔化すため、あははーっと大袈裟に笑うと、葉山さんはもういちどクスクスと笑って、「それじゃ、戻りましょうか。」と言った。2人で屋上を出る。  あれ、これ時間差で戻った方がよくないか?2人でデスクに戻るとまるで2人でランチしてたみたいになるよな。そうしたら葉山さんにも迷惑がかかるし、葉山さんを狙ってる男からのやっかみにも繋がる可能性が高い。というか、何故葉山さんは屋上にいたんだ?いや、そんなことより、どうにか誤魔化して時間差で戻るようにしないと…。階段をとんとんと足並み揃えて降りながら必死に考えていると、葉山さんはくるっと俺の顔を見上げた。 「お弁当、彼女さんですか?」 「へっ?」 「幸坂さん、ちょっと前から毎日手作りお弁当食べてるじゃないですか。もしかしたら、彼女できたのかなーって。」 「あぁ、これは…。」 これは…どう説明すればいいんだ…?強制的に婚約を交わされて半夫婦(?)状態の同居人に作ってもらった、なんて口が裂けても言えない。いや、夫婦じゃねぇけど!友達でもないし、知り合いだとなんか怪しく聞こえる、実家暮らしじゃないのは知ってるだろうから母親って嘘つくのも無理だし…。 「あー…弟…?かな。」 「えっ、幸坂さんって弟さんいらっしゃるんですね!初耳です。」 「あー、まぁ。はい。今21歳なんですけど、就職先がここら辺周辺になるっぽくって、一人暮らしの部屋見つかるまで俺の家で一緒に住んでるんです。」 よくもまぁこんなすらすらと嘘がつけるもんだ。我ながら感心する。まぁ、弟がいることも、一人暮らしの部屋を探してるのも嘘じゃないし、まぁ8割は本当の事だよな。うんうん、と自分に言い聞かせる。そうでもしないと、罪悪感で胸が張り裂けそうだ。  ポーンと軽快な音がしてエレベーターの扉が開く。エレベーターに乗って3階のボタンを押せば、俺達を乗せたエレベーターはウィーンと音を立てながら動き出して俺達を3階の営業部があるフロアへと運んでくれる。 …しまった!時間差になるようにしようと思っていたのにお弁当の話ですっかりタイミングを失って忘れていた!!ドゥンッと上から圧がかかる感覚がした2秒後、3階フロアへと到着したエレベーターの扉が開いた。エレベーターを降りてすぐ、行きたくもないがトイレに行くので先に戻っててください、と伝えようとした瞬間、ズボンのポケットに入れてあったスマホが鳴った。  誰だが知らないがナイスタイミング。すみません、と断りを入れ、電話に出る。葉山さんはにこやかに微笑み、先にデスクへと戻っていった。電話の相手は取引先の社長からだった。最近俺が熱心に営業をかけている取引先で、これが成功すれば、今後かなり、部署としても俺の立場としても良い方へと進んでいく、大口顧客となる取引先。 この前の最終プレゼンで俺は何度も改善案を出して練りに練ったプランを提案し、相手の方も全員良い方向への検討を考えてくれそうな様子だった。もしかして、もしかすると、俺の提案したプランが通ったのかもしれない。取引成立の連絡かもしれない。わくわくとした心持ちで電話に出て、5秒後、俺の期待も自信も今までの努力も全部、一瞬で打ち砕かれた。 「幸坂さんですか?先日は素敵なプレゼンありがとうございました。その件なんだけどねぇー…やっぱりおたくとの契約は断らせてもらうよ。」 何が駄目だったんだ、俺の考えたプランの何が…。胸がぎりぎりと軋んで痛む。呼吸が浅くなって視覚が狂ったのか、目に映る物が異常に近くに見えたり、逆に以上に遠くに見えたり遠近感覚が崩壊していく。とにかくここは粘らないといけない。ここで引き下がるわけにはいかない。 俺は焦った声で「今すぐそちらに伺わせていただきます。数分だけでも大丈夫ですので、お願いします。」と深々と頭を下げながらそう言うと、走ってデスクに戻り、コートと鞄を乱暴に掴んで会社を後にし、タクシーを使って取引先の元へと向かった。  商談はものの10分で強制終了させられた。着くなり、俺のプランのどこが駄目だったのか、もう一度考え直していただけないかを必死になってお願いした。そんな俺に対して取引先の社長が淡々と言った言葉は、「君のプランもよかったけど、長年お世話になっている電子機器メーカーさんの方でやっぱり引き続き契約しようと思ってね。…君の提案してくれた額よりもさらに御贔屓にしてくださると言うから。」だった。 最後の言葉で俺は全てを理解した。最初から俺は、当て馬でしかなかったのだ。既存の電子機器メーカーとの契約内容をさらに低コストのものに変更させるため、他社である俺のプランを持ち掛けて、既存の契約会社にさらにコストダウンさせる。俺は最初から便利道具でしかなかった。次のアポがあるからと言って、去っていく社長を俺は、ただただ見つめることしかできなかった。  ほら、やっぱり。俺はいつだって腰掛けで、便利屋で、都合良い存在なんだ。何を期待してたんだか…。あの日、カケルとの縁が切れた時自分に誓ったじゃねぇか。誰にも期待しない。自分にも期待しないって。だって、俺は顔さえもないモブなんだから…。 その後、俺はとぼとぼ重い足取りで歩いて会社へと戻った。 タクシーを使えば10分程度で着くが、今は1人になりたかった。外の冷たい空気で頭を冷やしたかった。なにより、戻って課長に契約が取れなかったことを報告するのが怖かった。絶対、全員の前で見せしめのように怒鳴りつけられる。そして、無能だのなんだのと人格否定をされるに決まっている。あぁ、想像しただけで涙が出てくる。 いい大人が外で泣くわけにもいかなくて、下唇をぎゅっと血がでそうなくらい噛んで堪えるが、下唇の痛みのせいか、それとも堪えきれなかったのかどちらかわからない涙が一筋だけツーっと頬を流れた。 その日、俺は課長に契約が取れないことを言えないまま、体調不良で定時に退社した。

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