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第29話「俺の存在意義」

「大我、おかえり。ご飯にするかい?お風呂にするかい?それとも、僕にするかい?」 帰宅して家のドアを開けるなり、毎日のお決まりのセリフを言いながらノアが出迎える。 「いい。いらない。」 「えっ。今日は大我の好きなグラタンだよ、食べないのかい?」 「いい。体調が悪いんだ。そっとしといてくれ。」 ノアの顔も見ないまま、俺は自室へと入りコートだけ脱いで床に投げるとベッドに倒れ込んだ。やっと1人になれた。 誰の目もないと思うと我慢していた涙が止まらなくなった。時折漏れる嗚咽を必死に殺して、リビングにいるノアに聞こえないように枕に顔を埋めて泣きじゃくる。自分が情けない。どうして俺はこんなに無能なんだ。大人になってもあの頃から何一つ変わっていない。 ずっと誰かにとっての便利屋で、本当に必要とされたことなんてない。期待しないって諦めたけど、それはただの諦めたふりで、本当はどこかでまだ自分に期待している自分がいる。でも結局その期待を自分が一番裏切っている。なんて惨めてかっこ悪いんだ。恥ずかしい。枕を涙でびちょびちょに濡らした俺は、泣き疲れていつの間にか眠りに落ちていた。 ふと目が覚めた0時30分。 泣きすぎて痛む頭を押さえながら、ゆっくり体を起こした。ぼやける視界、机の上に何かが置いてあるのが見えた。部屋の電気をつけて見てみると、お盆の上に小さな1人用土鍋と風邪薬の小瓶と書き置きメッセージが1枚。 『お仕事お疲れ様。体調悪いと言っていたから卵粥を作ったよ。温めて食べてね。早く元気になって僕の大好きな大我の笑顔を見せてくれ。愛してるよ。』 メッセージ文の右下には、俺の頬にノアがキスをしているデフォルメイラスト付き。なんでノアにキスされてる俺の絵が笑顔なんだよ。お前なんかにキスされても嬉しくねぇっての。思わずふっと小さく笑みが零れる。土鍋の蓋を開けると美味しそうな香りが俺の嗅覚を刺激する。 温めて食べてね、と書かれてあるが、リビングではソファでノアが寝ているだろう。起こすのは申し訳ない。俺は冷えた卵粥をスプーンで掬い口へと運んだ。うまい、冷たいのに。また、目にじんわりと涙が溜まる。ふざけんな、ノアのくせに。落ち込んでる時に優しくして恋に落とそうとか、どうせそういう作戦だろ。誰がお前なんかに落ちてやるか。絶対好きになるわけないだろ、馬鹿。 「ぐずっ…なんだよっ…うめぇじゃねぇかよ、ばーかっ…。」 ボロボロと涙を零しながら、俺は卵粥を頬張った。明日、ちゃんと課長に報告しよう。契約は取れなかったと。空っぽになった土鍋の前で、両手を合わせてごちそうさまでした。と呟きながら、俺はそう誓った。 *** 「本当に、すみませんでしたっ!!」 課長席の前で俺は深々と頭を下げる。背中に刺さる大勢の視線が数分前からずっと刺さりっぱなしで痛い。もう何度頭を下げて謝っているのか自分でもわからない。もしかすると、傍観者の中の1人くらいは俺が謝った回数をカウントしている人がいるかもしれない。 頭を上げて課長の顔をを見れば、一番最初に契約が取れなかったと伝えた時よりさらにヒートアップした怒りの表情を浮かべていた。あと何回謝ればこの人の怒りは収まるんだろうか。 「幸坂くんねぇ!さっきからぺこぺこぺこぺこ馬鹿のひとつ覚えみたいに謝ってるけど、謝って何になんの?俺は謝ってほしいんじゃなくて契約を取って来いって言ってるんだよ!わかるか!?」 バンバンといつものように机を叩いて威嚇する。すり減っていく精神。我慢、我慢、我慢…。 「ほんっとうに君は無能だね。君が今回の契約を取れなかったせいでどれだけの利益を失ったかわかるか!?どうせ適当に仕事してるんだろ?俺から上に言って君をクビにしてやってもいいんだよ!?」 「い、いえ!それだけは…!今後、挽回できるように頑張りますので!」 「はぁー…今後挽回…ねぇ…。」 大袈裟に溜息をついた課長は、ゆっくりと席から立ち上がり、俺の元へと歩いてくる。何をされるのかと反射的に全身にぐっと力を入れると、ぽんっと右肩に手を置かれて課長のデスク周辺の人にだけ聞こえるか聞こえないかくらいの声量でぼそっと呟いた。 「幸坂くんさぁー…今まで何の成果も出してない人が挽回なんてできると思ってるの?君、何の為にここにいるの?君って必要あんの?…まぁ、君には期待してないから。安心して。」 怒りの表情からすっと興味なさそうな無の表情に変わった課長。ぽんぽんっと2回俺の肩を叩けば、何事もなかったかのように再び椅子に座り、仕事を始める。 課長が2回叩いた感覚が嫌に肩に残っている。それはまるで、「君、クビね。」と言っているのとほとんど同じように感じた。冷や汗が垂れる。喉はカラカラで声を出そうとしても上手く出せない。無理矢理声を絞り出して、「課長、あのっ!」と声をかけたが、まるで俺のことは見えていないかのような態度で1ミリも俺の方を向くことはなく、わざと別の部下に話しかけ無視をされた。  学生の時も、社会人になっても、俺は同じだ。俺は空気。俺は透明人間なんだ。俺はいらない、必要ない、一番になんてなれない。 はぁはぁ、と浅い呼吸を繰り返しながら、ふらふらとした足取りで自分のデスクへと戻る。力が抜けたみたいにドスンっと椅子に座り、パソコンの画面をただただぼーっと見つめるだけ。 後ろから葉山さんが小さな声で「幸坂くん、大丈夫?」と心配した様子で声をかけてくれたが、俺はがさがさの掠れた今にも消えてしまいそうな声で「大丈夫です…。」と返すのが精いっぱいだった。

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