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第10話

「紺野さんもいまや国民病とも言うべき感動病を患ってる、ひとりですか」  スマートフォンを構えた手が、ぴくりと震えた。 「涙を安売りして、おめでたい人ですね」 「自分の会社の商品にケチをつける……この場合は作者の魂をけなすとは、営業マン失格だぞ。妹尾さんは仕事に対してもっと真摯な人だと思ってた。悪いが、見損なった」 「幻想を壊して申し訳ありませんが、これがおれの地です。勝手に人を美化しておいて幻滅したとわめかれても責任を負いかねます」  睨み合った。険悪な空気が流れ、とばっちりはゴメンだ、というふうに隣のテーブルにいた客が席を立った。木槌を鳴らして静粛を求める裁判官よろしく、店主が焙烙をカウンターに打ちつけた。  妹尾は高々と足を組んで紫煙をくゆらした。不愉快にさせた、と謝るべき場面で、ふてぶてしい態度をとってしまう理由が我ながら謎だった。 「たしかに。一方的に癒やしキャラ認定されるのは迷惑な話だよな。けど、日々の潤いがほしいだろうが。それを妹尾さんに求めるのは俺の自由だ」  声を荒らげると、テーブルを平手で叩く。それから紺野はひたと妹尾を見据えると、沖合いで素もぐりに挑むように息を吸い込んだ。しかし口を開くまぎわにスマートフォンに着信があり、ウヤムヤのうちに茶房を出ていった。  憤懣やる方ない、といった精神状態を反映して、紺野の吸殻は葉っぱがバラけるまでにひねりつぶされていた。面罵されたほうがマシだった。妹尾はそう呟くと、吸殻をきれいに伸ばした。コーヒーはすっかり冷めてしまい、えぐみが味蕾を刺すことも相まって、なおさら後味が悪い。  また、どうぞ、の声に送られて茶房を後にすると、路面に水たまりができるほどの吹き降りになっていた。 (ゆきずりの関係だ、気に病むことはない)  暴言を吐いてしまったのは、ひとえに紺野と縁を切るのはたやすいからだ。あの茶房に行くのをやめた時点で接点もなくなる。後腐れがないのをよいことに、日ごろの鬱憤を晴らす真似をした。  妹尾はトートバッグの上から〝えいえんの原っぱ〟を撫でた。作者になり代わってお礼を言います、と笑いかければ友情らしきものが芽生えたかもしれないのに、惜しいことをした……。 (友だちごっこにうつつを抜かしても一文の得にもならない……)  顔見知り、という枠からはみ出すのはやめておいたほうが無難だ。つき合いが濃密さを増すのに比例して、裏切られたときのダメージは大きくなる。元婚約者に痛い目に遭わされて高い授業料を払った代わりに、教訓を得たじゃないか。  街並が灰色にけぶる。いちどきに(とお)も老け込んだように見える顔がショーウインドウに映し出されて、ゆがむ。

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