22 / 69

第22話

「婚約破棄だって? 具体的にいつごろの話なんだ。ちょいちょい会ってたのに内証にしてたとは、水臭いぞ」 「あれ? 妹尾の知り合いだったんだ。それがマジに悲惨な話で、彼女が浮気してたのが発覚したのが式の一週間前だったっけ。こいつ可哀想に、彼女の尻ぬぐいをさせられてあるウツ病寸前までいったんですよ」 「昔の話を持ち出すのはやめてくれ」  声を荒らげざま、掌で小田の口をふさいでおしゃべりを封じた。すると、その手を引きはがされた。妹尾は柳眉を逆立てて止まり木を踏ん張った。そして、骨が砕けるような力で手首を握りしめてくる紺野に冷眼をくれた。 「ただの顔見知りに身の上話をする趣味はありません。干渉しないでください」  と、ケンもホロロにあしらうはしから良心が疼く。赤紫色の痕を手首に刻みつけながら五指がほどかれていくにしたがって、メッキが剝げたという思いが強まっていく。くだらない見栄だ。他の誰に対してより勝ち組然とした紺野に対しては〝怜悧な妹尾柾樹〟というイメージを保っておきたかった。  店主がレコードをターンテーブルに載せた。往年のアイドル歌手の笑顔がジャケットを飾る、その曲の題名は〝けんかをやめて〟。  妹尾は小さくなった。ゆったりした曲調のイントロが終わり、争わないで、という歌詞になおさら丸めた背中をぽんと叩かれた。 「今日は妹尾さんに大事な話があったんだが、興味はないよな。顔見知りが歓談中に邪魔して悪かったな」 「ただの、というのは言葉の綾です。不愉快にさせて、すみません」  紺野は冷笑で遮ると、 「まっ、そっちの彼とせいぜい仲よくな」  小田に顎をしゃくり、ぷいと元の席に戻ると、猛烈な勢いでタブレットをタップしはじめた。それきり背もたれにかけてあったコートがすべり落ちようが、妹尾がアイコンタクトを試みようが、頑なにディスプレイを見つめて取りつく島がない。  すぐそこにあるテーブルが、成層圏の彼方に置かれているように遠い。妹尾は頬杖をついて煙草に火を点けた。銀杏(いちょう)の葉っぱが風にもてあそばれて窓ガラスに張りつき、また風に吹きさらわれていった。 (紺野さんと名刺を交換したころは……)  昼間はまだ汗ばむ日もあった。果肉を煮詰めてジャムを作るように、少しずつ紺野と親睦を深めていったのだが、駄目になるときは呆気ないものだ。もっとも自ら鍋を焦がすに等しい暴挙を犯した以上、嘆く権利などない。  灰が長く伸びて指を焦がした。その指を口にふくんだせつな、絵本を読んで涙ぐんでいたさまが脳裡に鮮明に甦った。

ともだちにシェアしよう!