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第24話

 だいたい、と欄干に爪を立てた。日本人は〝絆〟という神話に囚われすぎなのだ。絆、絆、と崇めるのは、実は絆がガラス細工さながらもろいものだからだと知っているからだ。  将来を誓った女性さえ、あっさりと別の男に乗り換えた。人の心がうつろいやすいことは、あの一件がいみじくも証明している。  紺野の名刺が財布に入れっぱなしになっていた。それを夕陽に翳すと、写真に収まった彼の笑顔はなおのこと温かみを帯びて見えた。  ひるがえって立ち去りぎわ目にした紺野は、ポーカーフェイスという仮面をかぶった下でせせら笑っているようだった。妹尾の言動の何かが怒りを買ったあの様子では、おそらく金輪際、親しげに話しかけてくることはないだろう。  両手の親指で人差し指を名刺をつまむ。こんな薄っぺらい紙を破ることなど造作もない。なのに左右の手を互い違いにねじっても、まるで鋼鉄の板と格闘しているように裂け目すら生じない。  目をつぶった。努めて頭を空っぽにして、名刺をまっぷたつに引き裂いた。ちぎって、ちぎって、ちぎりつづけた。  目をあけた。豆粒大に変じた紙くずがはらはらと舞い落ちて、花びらのように川面(かわも)に散っていく。 (腕がもげそうだった、馬鹿力……)  手首を摑まれた痕が痣になっていた。紺野がそれほどまでに理性を失った原因は、小田という異分子に縄張りを荒らされたように感じたためだろう。  そう、常連客が集う店に特有の排他性によるものだ。きっと、それが正解で、特段の理由などありっこない。 (〝えいえんの原っぱ〟のウサギは……) 「ここではないどこか」に焦がれて時空の狭間をさすらいつづけ、だが、勇気がある。それにひきかえ自分は、自分でこしらえた繭にくるまって変化することを極度に恐れる。    指の痕跡をとどめる痣をさすった。すんなりした指が煙草を挟み、口許と灰皿の間を往復する。その一連の動きを繰り返すのにともなって指先が美しい軌跡を描くさまに見惚れたのは、すでに遠い昔の出来事のようだ。  逡巡したすえに、袖口のボタンをはめなおす(てい)で指の痕に唇を寄せた。 (いい年して乙女な真似がイタいな……)  心の迷宮の奥深くで芽吹いた、得体の知れない感情。それを恋だともしも認めたら、その時点から恋心が色あせる瞬間に向けてカウントダウンが始まる。傷を負うとわかりきっているなら、ひとところに留まりつづけるほうがマシだ。  そんなふうにうそぶく自分は、あのブドウはどうせ酸っぱいからいらない、と負け惜しみを言うキツネのようだ。  欄干に顔を伏せて、ひとしきり嗤った。  悲観することはない。紺野に出逢う前の生活に戻るだけだ。不完全燃焼に終わった思い出を抱えて迎える今年の冬はひときわ寒いだろうが、大丈夫。ひとりには慣れている。  スーツの衿をかき合わせて、歩きだした。

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