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第29話

   あまつさえ快感を貪っている間中、繰り返し脳裡をよぎった情景は、しなやかな指が自分のに巻きついてくるというものだ。  その指の主は、紺野。  ひと口に妄想といっても、紺野にいかがわしい役を割り当てるのは限度を超えている。あまりの下劣さに自分で自分にようで、そのくせ罪悪感がスパイスになって、常より濃厚な淫液が迸った。  ねっとりとタイルの目地にへばりついた残滓を裸のままブラシでこすり落とすのは、みじめさの極みだった。風邪をひいたのは、バチがあたったのだ。  トートバッグの肩紐がずり落ちた。吐く息は熱く、だが氷の塊をうなじに押しつけられたように寒気がする。早く家に帰ろう、と改札口を見やっても、肩紐をずりあげることすらかったるい。  こめかみが疼く。指の腹で揉んだ直後、頭上に影がさした。 「他人の空似かと思ったが、やっぱり妹尾さんか。ぼさっと突っ立って、どうしたんだ」    心臓が跳ねた。まさか、まさかと思いながら、妹尾はぎくしゃくと顔をあげた。  即座にそっぽを向き、防御を固めるようにトートバッグを抱え込んだ。茶房の店主にあやかって、紺野がここを通りかかりついでに介抱してくれる、という幸運に恵まれたい。それが実現しそうになると、うれしいと思うより先に震えあがった。 「えらく顔色が悪いな、失礼」  よける暇もなく掌が額にかぶさってきた。 「いまは微熱程度だが安静第一だ。迎えにきてくれるアテはあるか? 家族と同居なのか、看病してくれる人は」  大きな掌の下で、発火したように額が火照る。妹尾は固まった。手を払いのけたい、だが紺野の手はひんやりしていて、頬ずりしたいほど気持ちがいい。 (でも、この手を想像の中で(けが)した……)  指が、眼鏡のフレームをかすめると金縛りが解けた。身を翻したはずみに視界を斜線が走り、膝がくだける。腕が素早く伸びてきて、くずおれかけた躰を支えた。 「危なっかしくて見ちゃいられない。ほら、おぶされ」  そう言うが早いか紺野は背中を向けてしゃがみ、妹尾はトートバッグを揺すりあげた。 「好意はありがたいのですが、ひとりで帰れます。では、また」 「送っていく、意地でも送り届ける。ストーカーと呼ばれても家までついていくぞ」  と、息巻くと、妹尾に続いて改札を抜けた。 「ふらふらと歩いてて線路に落っこちたところに電車が来たらバラバラ死体のいっちょあがりだ。常識家の妹尾さんは……」  顔を覗き込んできて、にやついた。 「線路にこびりついた肉片を駅員に拾わせるなんて真似はしないよな。それに列車遅延にともなう賠償金の請求が親にいくぞ」 「……かけひきの巧さを見習いたいものです。今夜のとこは甘えます、送ってください」  妹尾が降参したときにはトートバッグは、なかば力ずくで紺野の肩に移ったあとだった。

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