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第30話

 電車はかなり混んでいた。紺野はドアの脇のスペースを確保すると、自分の躰で囲いを築く形で、妹尾をバーに寄りかからせた。 「駅に着いたら起こす。寝てていいぞ」  お姫さま扱いが面映い。自分と紺野の組み合わせは、傍目にはフェラーリとポンコツ車のようにミスマッチに映るはずで、かしずかれる側は本来は紺野であるべきだろうに。 (おれに特別やさしいわけじゃない、自惚れるな……)    そう、紺野は誰に対しても分け隔てなく親切なのだ。茶房の店主の件が好例で、野良猫にだって、公園の鳩にだって、惜しみなく愛情をそそぐに違いない。  電車がカーブにさしかかり、大きく揺れた。よろけ、勢いあまって紺野の足を踏んづけると、逆に抱き留められた。  役得、という独り言が、走行音を裂いて聞こえた気がしたが幻聴だったのか。妹尾は謝りながら身をもぎ離しにかかった。ところが、すかさず腕が腰に回されて果たせない。  それは所かまわずイチャつく、バカップルさながらの構図だ。妹尾はうつむき、ドアの窓に映し出される顔を上目づかいに盗み見た。  しばらく会わないでいるうちに、もともとシャープだった頬の線は、いっそうすっきりしたようだ。目の下にクマができていて、疲労の色が濃い。 (年末態勢でいずこの業界も大忙しか……)  仕事に追われて、茶房に顔を出そうにも時間がとれなかったのかもしれない。避けられている、と思ったのは完全に邪推で、今しも紺野が笑いかけてくれば図らずもときめいた。  駅から徒歩十五分の道のりも、今夜は馬鹿に短く感じた。 「これはまた……たいした豪邸だな」  安普請のアパートを指して、紺野はそう評した。外階段の手すりは錆が浮き、モルタルはひび割れて、築三十年という歴史を物語っている。妹尾は、肩をそびやかした。 「あばら家だって住めば都です。散らかってますが、どうぞ」  台所とひとつづきになった玄関はせせこましく、順番に靴を脱いでもどうしても肩がぶつかる。酸素が急激に薄まったような胸苦しさに襲われた。妹尾はふたり分の靴をそろえるのもそこそこに、ウガイ、と呟いて浴室に避難した。  だが、ここは後ろめたい記憶と直結する場所。紺野を自宅に案内するなんて軽率だった、と悔やんでも後の祭りだ。とはいえ、送ってもらった以上、お茶の一杯もふるまうのがマナーだ。  平常心、平常心、と唱えながらざぶざぶと顔を洗った。永遠にここに篭城していようか。ふと、そんな誘惑に駆られてバスタブの(へり)に尻をひっかけた。背中を丸め、足の間に両手を垂らす。

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