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第32話
「紺野さんが無駄にガタイがよくて面積をとるので、布団を敷くに敷けません」
「邪魔くさくて悪かったな。だいたい何を好きこのんで、こんなボロアパートに住んでいるんだ。それなりの給料はもらってるんだろ、もうちょい小ぎれいなとこに引っ越したらどうなんだ」
借金があって、と妹尾はぼそりと言った。崩れ落ちるようにソファに腰かけると、両手をよじり合わせた。
「恥をさらすようですが、フィアンセがおれと、おれの親友を二股かけていたのが発覚したのが式の一週間前でした」
一週間、と鸚鵡返 しに繰り返すと、紺野は口をあんぐりとあけた。
「内訳は、そうですね……新居にと借りたマンションへの引越し費用に、新たに買いそろえた家具や家電のローン。それに婚約指環と結婚指環の代金」
淡々と列挙していくにつれて、紺野の表情は険しさを増していった。
「式場と新婚旅行のツアー料金にしてもキャンセル料が発生する時期に入っていたし……貯金をはたいてもアシが出た分を完済し終えるまで、あと一年弱でしょうか」
「なんで妹尾さんが貧乏くじを引く必要があるんだ。諸経費はもちろん、相手方に慰謝料を請求できるケースだろうが」
「双方の親を交えて善後策を話し合ったのですが泥仕合で、『おれが肩代わりする』と啖呵を切ってしまったんです。寝盗られ男 の烙印を押されるまで、彼女のことを微塵も疑っていなかった自分のマヌケさかげんに呆れ果てて民事訴訟を起こす気力を根こそぎ持っていかれた、というのもありますね」
素面 でするには重い話だ。発泡酒をふた缶、取ってきてひと缶を紺野に渡した。
「結局、泣き寝入りする道を選んだのは、くだらない男のプライドのなせる業です」
乾杯、と缶を掲げてプルタブをひいた。
「おれと別れて半年後に子どもが生まれたと人づてに聞きました。おれとは必ず避妊をしていた……強い遺伝子を伝えていこうとするのは動物の本能です。つまり、おれは男として能力不足だというレッテルを貼られたわけで、さすがに人生観が変わりました」
くく、と喉の奥で嗤って発泡酒を呷った。
どんなふうに慰めればいいのか皆目見当がつかない。紺野は、そういいたげに髪の毛をかきむしり、かちかちとプルタブを親指で弾いた。ややあって訥々と言葉を継いだ。
「絵本のウサギが言ってただろう。『永遠の原っぱは絶対に見つかるんだ』──って。妹尾さんにも必ずいい人が現れるさ」
「おためごかしは、けっこうです。程度の差はあっても人間は誰しも嘘つきで、彼女はとびぬけて嘘をつくのが上手かった、というだけのことですから」
図らずも声が潤んだ。妹尾は眼鏡を外した。丁寧にレンズを磨きつつ、定例会議で発言するときのように、はきはきとつづけた。
「『柾樹はカタブツすぎる、退屈な人生が想像できてうんざり、あたしの幸せのために別れて』──挙式前の最後の打ち合わせにブライダルサロンに行く途中に彼女に三段論法で人格を全否定された男を選ぶ物好きなんて、いっこありません」
ご清聴感謝と、ぺこりと頭を下げた。それから妹尾はねじ切るように空き缶をへこませると、体育座りに縮こまった。
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