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第33話

 親切ごかしに事の顛末を根掘り葉掘り訊いてくる友人にはもちろん、両親にも黙して語らずのスタンスを貫き通してきた胸の(うち)をさらけ出す。  露悪趣味などないにもかかわらず、紺野にはあけすけに話してみる気になったことが不思議だった。 (体調が悪いと思考能力もダウンするから、口が軽くなるんだ……)  そうだ、風邪のウイルスがおかしな作用をもたらしたにすぎない。べつに口がすべったわけじゃない。特別な理由なんか、あるはずがない。 (ボランティア精神を発揮しておれを送り届けたばかりに愚痴られて、紺野さんもツイていない……)  それは自己欺瞞だ。どういう経緯があって現在(いま)のひねくれ者が誕生したのか、それを紺野に知っておいてほしくて洗いざらいぶちまけたんじゃないのか?   トラウマといえば陳腐だが、人生の落とし穴にはまったきり這いあがることができない〝妹尾柾樹〟を。  膝の間に顔を埋めた。座面が沈み、紺野が真横に腰かけた気配にいちだんと縮こまった。 「世界の総人口は、ざっと八十億。確率的に物好きの一万人や十万人は絶対にいる勘定だ。なんだったら俺が、りっこう……」    咳払いで濁されると同時に、頭を抱え込まれた。視界がダークグレイに染まり、丸いものが頬にめり込んだ。それが堅牢な躰を包む上着で、頬をひしぐものがボタンだと意識するより先に、泣き笑いにゆがんだ顔が胸に押しつけられていた。 「やせ我慢を張りっぱなしで損な性分だな」  とびきり優しい声が、細胞の隅々にまで染み渡っていくようだ。 「妹尾さんのキャラじゃないが、自己チューなくそったれ女は一発、ぶん殴ってやればよかったし、その権利もあった。ストレスをため込むばかりだと、ハゲるぞ」    そう続けて胸元を掃く髪をひと房、梳きとると三つ編みに結った。  紺野にしがみついて涙ぐむ。恥辱以外の何ものでもない構図にうろたえて、妹尾は身をよじった。とたんに後ろ頭に添えられた掌に力が加わり、鼻梁がひしゃげた。  じたばたする一方で、上着を通して伝わってくる心音に気持ちが安らぐ。飛びのくつもりが、逆に胸に額をすりつけてしまうほどに。  にわかに鼓動が乱れた。鬱陶しい、と思われたのだろうか。妹尾は、おずおずと上目をつかった。すると紺野は赤らんだ顔をひとこすりすると、胸元で揺れ惑う頭を力任せに抱え込んだ。 「泣いちゃえ。その調子じゃ、踏み台にされたときもまともに泣いていないんだろ」  ぶっきらぼうで、その実、いたわりに満ちた囁きが、清流と化して心の中の澱みに流れ込んでくるようだ。しゃっくりとも嗚咽ともつかないもので喉が痙攣した。妹尾は眼鏡を外し、それをぶら下げた手で目許を覆った。 「泣き虫だなんて、けなさない。(はな)をつけられても文句は言わない。安心して泣けよ」 「もしもスーツを汚したときは、ちゃんとクリーニング代をお支払いします」 「まったく、可愛げのない。けど、それが妹尾さんの持ち味で、歯ごたえがあっていい」  くしゃり、と髪の毛をかき乱された。ひとたび妹尾を支える土台に亀裂が生じたのを見計らって、痛いの痛いの飛んでいけ、と唱えるように頭を撫でるのは、あざとい。  ほろり、と涙がこぼれ落ちた。忍び泣きは次第にむせび泣きへと激しさを増していく。それは極悪人でも、もらい泣きに瞳を潤ませるような哀切な響きをはらんでいた。 「……向こうを向いていてください。三十にもなって人前で、みっともない……」  よしよし、と背中をさすられると、なおさら泣けてくる。ダークグレイの上着が湿り気を帯びていく。  妹尾は、紺野にすがりついた。恥も外聞もかなぐり捨てて、泣きじゃくった。

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