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第40話

 沈黙が落ちた。それは摩訶不思議なことに、キャンプファイアの最中にふと流れるような満ち足りたものだった。  ふた筋の紫煙がたなびき、てんでに風と戯れたあとで溶け合う。妹尾は、そのさまに羨む目を向けた。 (おれにをしたのは、お医者さんごっこの延長程度の軽いノリだった……?)  ため息交じりに眼鏡をかけた。紺野を即刻叩き出す場面で、なぜ、まったりする? どんな公式を用いても解き明かすことができないものは、戸惑いと淡い喜びがない交ぜになった自分の心理状態だ。  灰皿は卓袱台の上に置いてあった。妹尾が吸いさしを片手に膝立ちになると同時に、紺野も尻でいざった。  磁石のS極とN極が引きつけ合うように、視線がからんだ。百万言を費やすより雄弁に、見つめ合う。  障害物など小ぶりの卓袱台が一卓あるきり。ちょっと押しやりさえすれば、容易に抱き合える。なのに大河がふたりの間に横たわっているように、お互い一ミリたりとも膝をにじらせることができないでいるうちに時間だけが虚しくすぎていく。  吸いさしがくすぶって指を焦がした。根競べじゃあるまいし、と妹尾はフィルターをひしげた。縮まりそうで一向に縮まらない距離が、まだるっこしい。かといって自分から動くのは、紺野に服従するようで癪だ。  ここに来いよ、と紺野が彼のかたわらを指し示ししだい、不承不承という体を装って応じるだろうに……。  かんかん、と足音が鉄階段にこだました。紺野が夢から覚めたように伸びをした。  ほっとした、がっかりした。どちらの要素のほうがより色濃いだろう。妹尾は、あえて冗談めかして訊いた。 「持ちつ持たれつということで、おれも紺野さんのをすべきなんでしょうね」 「手コキか? 気にするな、俺は見返りは求めない手技だ」  と、一笑に付したわりには、スラックスの前は微妙に膨らんだままだ。 「だったら、妥当だと思う料金を提示してください。借りを作るのは嫌いです。デリヘル嬢の相場がいくらか知らないけれど、サービスに見合った額をお支払いし……」  頬を軽くはたかれた。 「あんまり哀しいことを言ってくれるな」  傷ついた色が精悍な(おもて)をよぎり、妹尾はうなだれた。そこに、ずい、と右手の小指が差し出された。 「さっきの憎まれ口をチャラにしたいなら、約束だ」  その指が茎にまといついて、自分を崩落へと導いた──。  ぬめやかな感触が肌に生々しい状態で紺野に触れるのは自殺行為に等しいように思えて、だが暴言を吐いた直後に拒むのは気がとがめる。結局、妹尾はぎくしゃくと小指をからめて返した。 「あした、風邪が治って出勤できたら茶房に寄ること。バックレたときは拗ねて、わかくさ書房のロビーで『妹尾くんがいじめたよぉ』って、泣きわめいてやる」  ゲンマン、と唱えて小指をほどくと、紺野はにっこりと笑いかけてきた。  それは、大輪のヒマワリのような笑顔だ。頑なな心を解きほぐす威力を秘めた──。

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