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第43話

  「待てど暮らせど茶房に来やしない。風邪をこじらせて寝込んでいるのかと心配になって来てみたんだが、元気そうだな」 「待ち伏せするとは、ストーカーの素質十分ですね」  などと、皮肉るときに限ってなめらかに動く舌をちょん切ってやりたい。会いにきてくれてうれしい、と言ってもバチはあたらない。そうだ、これが模範解答だ。  ところが、うれしい──が人類最大の禁句であるように、どうしても喉につかえる。  突っ立ったきりの妹尾に業を煮やした、とおぼしい。紺野が、持参の保冷バッグを上げ下げしてみせた。 「田舎から蟹をどっさり送ってきた。ひとりじゃ食いきれない、鍋をするぞ、つき合え」 「先般のあれを後ろめたく思って親切にしてくださるのでしたら。あれは事故です、アフターケアはいりません。それに、うちはろくな調理器具はありません。ちなみに冷蔵庫も空っぽです」 「大丈夫だ。一式持ってきた」  ジャーン、と披露されたボストンバッグの中身は、卓上コンロとガスボンベと土鍋だ。しかも鍋用にカットされた野菜をひとパック買ってきている、という抜かりのなさ。  妹尾は自宅の鍵を開けた。ノブを回し、なおも逡巡していると、顔を覗き込まれた。 「俺とふたりっきりになるのが怖いのか」  図星だ。紺野のこういう核心にずばりと切り込んでくる点が苦手だ、と思う。 「遠来のお客さまです。門前払いを食わせるなんて、えげつない真似はいたしません」    ドアを開け放ち、執事のような恭しさでもって室内(なか)に通した。ともすれば口許がほころび、ポーカーフェイスを保つのは至難の業だ。 「田舎というと、出身はどちらなんですか」 「北陸。実家はおやじが経営する水産加工会社だ。妹尾さんのとこは」 「うちは両親ともに高校の教師で、横浜育ちです。でも、破談になって以来、気まずくて滅多に帰りません」  会話は尻切れトンボになりがちだ。それでも鍋をつつくうちに、なごやかな雰囲気が醸し出された。ただし、それはきっかけひとつで(みだ)りがわしいものへと一変するような危ういものをはらむ。  紺野がソファに寄りかかると、いやでも記憶を呼び覚まされる。そのたびに妹尾は、熱々の豆腐で舌を火傷した。蟹のハサミで指を突いた。 (鍋奉行きどりで、しれっとして……)  鼻歌交じりに灰汁(あく)をすくう紺野が、憎ったらしい。なまじっか唇のやわらかさを知ってしまったのが、失敗だ。蟹の脚を咥えて歯で身をこそげるさまにどきまぎしたあげく、キスを求めて唇がひりつく。  それにひきかえ紺野は自然体だ。ネクタイはゆるめられ、ワイシャツのボタンもふたつまとめて外されているとあって、身じろぎした拍子に衿ぐりがたくれて鎖骨の翳りがちらつく。

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