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第45話

   紺野は窓辺に這っていった。冷たいサッシに額を押し当てて、ファイト、と呟くさまは、大一番を前にして武者震いをしているように見えた。  その間も卓袱台の上をてきぱきと片づけていくさまが窓ガラスに映し出される。卓上コンロが箱にしまわれたのを機に、切り出した。 「クリスマスは、何か予定があるのか」 「特に何も。でも小田……婚約破棄のことをバラしてくれた同僚です。あいつも独り身なので飲み会に誘ってくるかもしれません」 「駄目だ。イブは空けといてくれ」 「命令される謂れはありません」  一蹴しざまスポンジを泡立てた。洗剤を垂らしすぎたのは、ご愛嬌だが。 「なあ……何回、ひとりでした?」  心臓が跳ねた。妹尾はお碗を取り落とし、ぎくしゃくと(こうべ)をめぐらせた。  血の気がひく。いつの間に忍び寄ってきたのだろう、すぐ真後ろに紺野が立っていた。そのうえ妹尾を檻に閉じ込める形に、流し台の(へり)に手を突いてくる。 「ちなみに俺は妹尾さんの強烈なイキ顔に五回、世話になったぞ」  わざと押し殺した声で囁きかけられた瞬間、びっしりと鳥肌が立った。こめかみの両脇を斜めに横切る腕が蔓と化して、全身にからみついてくるようだ。  妹尾は、しゃがみかけた。立ちはだかる躰と流し台の間をくぐり抜けて逃れよう、と計算したのだ。  だが、紺野は反射神経がいい。両膝の間に、つっかい棒を()うように太腿をこじ入れられて、それを梃子に両足を割り開かれた。抱きくるまれると、欲望の導火線に火が点くようだ。  反転して、こちらから紺野に抱きついていきたい。先日の再現は、まっぴらだ。  心が千々に乱れる。妹尾はスポンジを握りしめて、ぎゅっと目をつぶった。  ぷちぷちと泡が弾け、それで呪縛が解けた。妹尾は慎重、かつ冷酷に狙いを定めると、鳩尾めがけて肘鉄をおみまいした。  背後で呻き声が洩れた。肩越しに()めすえると、紺野は嘔吐(えず)きながら、降参、と両手を挙げた。 「今後いっさい、おれを肴にした下ネタは禁止の方向でお願いします」 「善処……する。くそ、隠れ武闘派かよ」  洗い物は後回しにして、妹尾はコートを羽織った。マフラーを巻きつけるのもまだるっこしく、紺野にボストンバッグを押しつけた。 「腹ごなしに散歩しがてら駅まで送ります」 「風邪がぶり返すぞ。やめとけ」 「煙草の買い置きがなくなったのでコンビニに行くついでです」 「あれは蜃気楼の類いなのか? 俺には本物に見えるんだがな」    そう言ってにやつく紺野が顎をしゃくった冷蔵庫の上には煙草が五箱、積んであった。 「あれは……給料日直前に備えての、とっておきのストックです」 「ああ言えばこう言う。歯応えがある人だ」  笑いころげる紺野を置き去りにして、玄関を飛び出した。

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