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第59話

 と、紺野が身を乗り出しがちになりながら言葉を継いだ。 『妹尾柾樹さん。俺はあなたに恋している。火がなくて困ってるときにライターをくれただろう? はっきり言って一目惚れだった。警戒心が強くて打ち解けてくれないところも、強情っぱりな点もひっくるめて、あなたが愛おしい……ご清聴を感謝する』    その十はどうした、と野次が飛び、拍手喝采がそれをかき消した。キューピッドの矢がハートを射貫く図、という、あざといひとコマがフェードアウトした。歌姫のPVに画面が切り替わり、しっとりしたラブバラードが流れるなか、 「その十は直接、伝えたくて省いた」  満を持して、という態だ。紺野が、ビルに直結する地下鉄の入り口から現れた。  隆としたスーツ姿は、成熟した男の色香を漂わせていた。さらに、ひと抱えもある薔薇の花束をぶら下げている、という凝りように、どよめきが起こった。  もともと〝華〟のある紺野が、派手ないでたちで登場したのだ。スポットライトを浴びているように人目を引き、妹尾のもとに歩み寄ってくれば、それにともなって無数の視線も動いた。  あの冴えない男が例の〝妹尾柾樹さん〟だとバレたが最後、失笑を買うのは必至。妹尾は遁走を図るべく、交差点のほうに後ずさりをした。もっとも、あちらこちらで人の輪ができて押しくらまんじゅうをしている状態だ。もたもたしているうちに薔薇の芳香に鼻孔をくすぐられる近さに紺野が迫りきた。 「律儀な妹尾さんはバックレない。けど、ぎりぎりまで迷って最終的に一時間遅刻する公算が大きい。読みがずばりだ。保険をかけておいて正解だった」    そう言って、にっと笑うと街頭ビジョンに顎をしゃくった。 「あれの枠を九時と十時の二回、五分ずつ借りて同じ映像を流してもらう手筈を整えておいた。会心の出来だろう?」  紺野は一転して真顔になると、妹尾の足下にひざまずいた。そして前口上は終わった、作法に則って求愛する瞬間が訪れた、といいたげな恭しい手つきで花束を差し出した。 「おねがい煙草のその十。交際を申し込んでOKをもらう。ぜひ、叶えてほしい」  真空地帯と化したように、あたりが一瞬、静まり返った。その場に居合わせた誰もが、固唾を呑んで妹尾の出方を窺っている気配が、ひしひしと伝わってきた。  がんばれ、とエールが飛んだ。妹尾は声がしたほうを睨みつけるのももどかしく紺野に向き直ると、つけつけとなじった。 「茶番劇につき合わされて迷惑です。おれを好きみたいなことをおおっぴらに言って悪趣味です。いえ、非常識です」 「好き、じゃなくて好きだ」  と、昂然と胸を張ったのもつかのま、紺野は髪の毛をかきむしった。 「くそっ、面と向かって告るのはこっぱずかしいから変化球で勝負したのに台なしじゃないか。俺は照れ屋なんだ」 「照れ屋だ、と威張る照れ屋がどこの世界にいますか」  ここに、と紺野は自分の鼻先を親指でつついた。妹尾から放たれるオーラが冷ややかさを増したさまに口を一文字に結ぶと、女王陛下に謁見をたまわった騎士のように片膝立ちになった。そのうえで、あらためて花束を捧げ持った。

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