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第3話 玖月

広い家なのでキッチンも広い。キッチンの隣にはダイニングテーブルがあり、その前はバーカウンターで、カウンターチェアも並んでいた。 (さすが、ペイントハウス。キッチンは広いし、おしゃれだな…) 犬のイタズラの掃除に目処がついてきたので余裕が出たのか、玖月は辺りを見渡す。 しかし、おしゃれなキッチンにある食べ物はインスタントばかりが目につく。キッチンのゴミ箱付近には大量のインスタントやレトルトの空箱ばかり。自炊はしないのだろう。 色々と考えながらも手は動かしているので、残りは穴が開けられボロボロになっているいくつかの段ボールを片付ければいいだけとなる。 段ボールの中身は、カップ麺や水のペットボトルなどが多かったが、玖月がスーパーでよく買う『あのお酒』も入っていた。やはり自社の商品を好んでいるのかと、それらをキッチン台に置き片付けいく。 犬を綺麗に洗いドライヤーをかけ終わった岸谷が近づき、玖月に話しかけてきた。 「そういえば君、あのスーパーでこの酒をいっぱい買ってたよね」 「あっ…そう…ですね」 しまった、見られてたんだっけと、雨宿りした日を思い出す。 玖月がよく好んで飲んでいるお酒を販売している会社の社長が、この前スーパーで傘を投げつけてきた失礼な男で、その男は玖月のマンションの最上階ペイントハウスに住んでいた。 今、目の前にいる男がその人で、自分は家事代行の仕事をしに、その男の依頼でここに来ている。 こんな偶然あるのだろうか。何かの嫌がらせなのか、それともこれから何か起きる前触れなのか。いずれにしても良いことは起きそうにない。 岸谷の会社のお酒は大好きだが、岸谷とは出会いも印象も良くはなかった。 「ホームパーティで使ってくれて嬉しいよ。ありがとうございます」 「はっ?」 「えっ?」 先日の玖月は三本程購入していたので、岸谷はホームパーティに持参したんだと思っているようだ。しかもあのスーパーでは、パーティ袋に入れてくれたので、なおさらそう思わせたはず。 「ホームパーティじゃないですよ。全部自分用で、自宅用です」 「ええっ!それはすごい。ありがとう」 間違えられてムッとし咄嗟に答えたが、大酒飲みと思われただろうか。答えた後、急に恥ずかしさが襲ってきた。玖月は適当なことは言えず、正直に伝えてしまったことを少し後悔する。 そんなことを考えながら片付けをしている玖月の足に、フサァっと柔らかい何かが触れた。何だろうと思った瞬間、トンっと、お尻を押されてしまった。 「うわぁっっ」 四つん這いで床に向かい掃除をしていたので、後ろから押された勢いに驚き、大きな声を上げ、そのまま前にドンっと玖月は倒れてしまった。 うつ伏せになった玖月の背中に、ピョコンと飛び乗る物体があり、更に驚いた玖月は「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げて、目をかたく閉じた。 「こら、ひまる!びっくりしてるだろ?ほら、降りて」 岸谷の声で、背中から物体はいなくなった。物体は『ひまる』と呼ばれているイタズラした犬だとわかる。 恐る恐る目を開けると、目の前には犬がいて、その犬にペロッと玖月はマスクを舐められた。 「ぎゃぁぁっっ」 舐められたことで咄嗟に起き上がり、そのまま後ろに尻餅をつく。我ながら、驚き過ぎて忙しい行動を取っていると、わかっているが止まらない。 「ははは、ごめんね。犬は苦手?」 「は…いえ…ちょっとびっくりして。すいません、大声出してしまって」 尻餅をついたままでいると、犬はまたピョコンと玖月の膝の上に乗ってきて、尻尾をフリフリとしている。 「こら〜ひまる。おいで、お兄さんが動けないだろ?」 全く叱るつもりがない口調で岸谷が犬に向かって話しかけている。その間も犬は玖月の上から退かずにいる。 困った。 犬とどうやってコミュニケーションを取っていいかわからない。 玖月は、恐る恐る犬に触り持ち上げ、岸谷に渡してみた。手袋越しだけど犬は暖かい。それに思ったより大きく重かった。 「ひまるくん?ですか?」 何となくやんちゃな犬は男の子かなと思い、岸谷に聞いた。岸谷は「うん、そう」と笑いながら頷いている。 「妹のとこの犬なんだけどさ、出産と骨折が合わさったから、俺が面倒みることになったんだよね。だけど…いや〜難しい」 岸谷の話によると、岸谷の妹が現在妊娠中だと言う。そろそろ出産なので準備をしていたら、そこに妹の夫が足を骨折するというアクシデントが追加で発生してしまった。 妹が、新生児と犬、更に骨折している夫の面倒をいっぺんに見るのは難しいと岸谷が判断して、犬を一時的に引き取ったという。 「引き取ったけど、俺の仕事が急に忙しくなってきてさ、コイツがちょっとかわいそうなことになってるんだよな」 仕事をしながら犬と生活するのは意外と大変だ。犬はゴールデンレトリバーだという。運動量もそれなりに必要なのではないだろうかと思う。 「まだ子供なんですか?ひまるくんは」 「そうだな、赤ちゃんじゃないけど、まだ子供だから遊びたがって戯れついてくるんだよ」 企業の社長でもあり、仕事も忙しい時は遅くまでかかることもあるようだ。大変なんだなと思いながらも玖月はさっさと片付けを済ませていく。 岸谷に抱っこされていた犬は、するりと降りてきて、また玖月の近くまで寄ってきてしまう。 近くで尻尾をフリフリして構って欲しそうにしているのはわかっていたが、声をかけず無視をして玖月は黙々と片付けをしていた。 ひと通り片付けを終えて、岸谷の家を後にする。結構時間がかかってしまったが、綺麗に片付けは出来た。だけど、あの調子だとまたイタズラされてしまうんだろうなと玖月は岸谷のキッチンを思い出していた。

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