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第5話 玖月
ペイントハウスは、解放的であり、大きめの家具や高級感溢れる内装…と、前回来た時は思っていたが、今はただ広いだけの部屋になっている。
いや、広くて、めちゃくちゃ物が散乱している部屋だ。
前回とは比べ物にならないほどの荒れように玖月は目を見張る。
「玖月くん、来るの早いね。助かったよ。またさ、イタズラされちゃってさ…」
「これ…今日イタズラされただけじゃないですよね?」
「えっ?あ、うん…そう。わかる?何か、もう片付けてもコイツがすぐにイタズラするから、そのままにしちゃっててさ…」
「イタズラされたのは、ここだけですか?他にもありますか?」
「うーん、ほぼ全部の部屋をイタズラされた」
「わかりました。とりあえず全部やりましょう。水道やキッチン、バスルームも使ってよろしいですか?」
広いリビングとキッチンだけが荒れてるなんて思わなかった。恐らく他の部屋も同じように犬が遊んだ形跡があるだろうと思っていた。
やっぱりこの人は大雑把な人。こんなに部屋が荒れてても平気だなんてと、玖月は内心呆れていた。
だけど、犬も遊びたいが、岸谷も仕事があるからこうなってしまうのだろう。犬との共同生活は難しいというのがよくわかる。何だか両方とも、可哀想には思う。
玖月がエプロンをし、片付けに取り掛かろうとしたところでまた岸谷から声がかかった。
「今からちょっと仕事なんだけど、オンラインだからやってきていい?」
「もちろんです。どうぞお仕事してください。どちらでお仕事されますか?ここを掃除してても大丈夫ですか?」
「ベッドルームで仕事してるから、後はどこを掃除してもらっても全く構わないよ。玖月くん、ありがとうね。よろしくお願いします」
犬と同じで人懐っこい人だなと岸谷を見て思う。会って二回目なのに『玖月くん』と下の名前で呼ばれた。下の名前で呼ぶのは、家族を抜きにして、いつも指名してくれるお客様だけだ。
岸谷を見送り、玖月は頭の中で計算し、部屋全体の掃除スケジュールを立てた。これだけ荒れている部屋は久しぶりに腕が鳴る。思いっきり掃除をやってやろうと、実はマスクの下で笑っている。スッキリと掃除が出来るのは大好きだ。
そんな玖月をジッと見ている目があった。
犬のひまるが、尻尾をフリフリしながら玖月に近寄ってくる。
「ひまるくん、こんなにイタズラしちゃったの?今から僕が片付けするから、ここにいるんだよ?わかった?」
犬と目線を合わせて声をかけてみた。
わかってるような、わかっていないような顔をしている。
この前ひたすらネットで犬のことを検索していたので、なんとなく犬が気になり、自ら犬と触れ合ってみたいという気持ちが玖月の中にムクムクと大きくなっていた。
それに玖月は犬に対しては潔癖症が発動しないと、ひまるで何となくわかった。ヨダレや抜け毛があるので、潔癖が出て病的に許せなくなるかと思ってもいたが、前回の時に何ともなく大丈夫であったし、気にならなかった。
玖月の潔癖症は、人とのスキンシップがマイルールの中で一番厄介なようだ。
犬のひまるは、ダラッと寝そべって玖月を見ている。そこに居座るつもりらしい。
ひまるを横目に、玖月は一心不乱に掃除を始めた。
◇ ◇
「おお!すげぇ!綺麗になってる。ありがとう、玖月くん。ひまる〜もうイタズラしちゃダメだぞ〜」
オンラインミーティングが終わったのだろう。岸谷がリビングに戻ってきて、すぐにひまると遊ぼうとしている。可愛がってはいるようだ。
「リビングとキッチンはひと通り終わりました。この後、別の部屋も掃除してよろしいですか?」
「はい。お願いします。俺も今日は仕事が終わりだから、指示してくれればいいよ」
掃除を手伝おうと思っている発言を岸谷はしている。それは結構ですとハッキリと言いたい。
大雑把な人と掃除をするなんて、卒倒しそうである。気が付かれないように玖月はため息をついた。
それより、犬を構ってあげて欲しい。ひまるだって岸谷が遊んでくれると期待して見上げているではないか。何て伝えようかと、玖月は岸谷を見つめていた。
「トイレとバスルームもイタズラされちゃってんだよな…」
「あの…ちょっとよろしいですか?」
「うん?なに?いいよ」
ニッコリと玖月に向かい岸谷は笑う。屈託がない笑顔ってこんなだろうな。
疲れているようだが、ニッコリ笑う岸谷はイケメンだとわかる。それに体格も大きく、ガッチリとし背が高い。細っこく背もそれほど高くない玖月は、近くで岸谷を見るとコンプレックスになる程だ。
「ひまるくんですけど…運動ってどこでしてますか?それと、食事がちょっと気になります。イタズラしてる割には、ご飯の量がこの前からあまり減ってないような気がします。余計なことなんですが…」
片付けていて、犬のご飯が前回からそんなに減っていないことがわかった。あれから数日経つのに、ご飯のパッケージには、かなりの量が入っている。
動かないからお腹が空かないのか、ご飯が気に入らなくて食べないのかわからないが、あまり食べていないのではないかと玖月は心配になった。
「ええ?マジで…食べてないのかな。毎日あげてたはずだけど。ほら、アレで」
岸谷がアレという方を見ると、時間で自動的に犬のご飯が出てくるマシーンだった。
「これ、一回の量当たってますか?よくわかんないですけど。ひまるくんの食べる量が出てきますか?」
「ヤバい…違ってるのかな。そうだ!聞いてみる。飼い主に今聞いてみるから、玖月くん一緒に確認してくれない?」
スマホを片手に岸谷がどこかに電話をかけ始めた。
「…あっ、彩?俺…うん。あのさ、ひまるのこと聞いていい?」
彩と呼ぶのは岸谷の妹のようだ。妹に電話をし、ひまるのことを聞く。スマホの通話からビデオ通話に岸谷は切り替えている。
画面には小柄な女性が映っていた。その隣には男性もいる。
「彩?見える?あ、玖月くんね、彼が家事代行で来てくれて、部屋を片付けしてくれたんだ」
急に紹介されたので、画面越しに挨拶をした。もうすぐ出産と言っていただけあり彩は、ぽこんとお腹が大きくなって映る。隣には足を骨折している彩の夫だと紹介された。
「ああ!今回は本当にすいません!兄もひまるもよろしくお願いします!」
元気な人のようだ。兄妹だけあって似ているなと感じる。
ひまるの食事の量と、運動量を確認する。やはり、食事は足りず、運動も毎朝の散歩だけでは足りないようだ。それと、ブラッシングの方法や、おもちゃなど、ひまるが好きな物も教えてくれている。
「わかった。俺が間違ってたんだな。ごめんな、ひまる〜」
電話中だが岸谷は、ひまるを抱きしめて謝罪している。
「玖月さん、ひまるはイタズラ好きなので厳しくしてやってください!」
「あっ、いえ。僕は岸谷さんに今日だけ雇われている家事代行の者なので…」
「わっかりました!玖月さん何かあれば連絡下さい。出産してる時じゃなければ電話は大丈夫です!」
それだけ言って慌ただしく、彩の電話は切られた。彩は元気がよく、感じのいい人だった。
「やっぱり食事も運動も足りてないのか」
岸谷が呟いた時、犬の自動ご飯マシーンが動いた。ガシャンと大きな音を立てて、一回分のご飯がザァッと出てきた。
その音を聞き、岸谷の横で寝そべっていたひまるが突然大騒ぎをし始めた。
部屋の中をぐるぐると走り回り、ソファやクッションの上で跳ねている。玖月は呆気に取られ見ているだけだが、岸谷が懸命にひまるを宥めている。だが、興奮しているひまるは一向に落ちつかない。片付け、掃除をし終わった部屋がまた荒れてしまうようだ。
「岸谷さん、わかりました」
「へっ?なに?わかった?」
「ひまるくんは、この音が苦手なんですよ。きっと」
犬のご飯自動マシーンは大きな音を立てるので、ひまるはその音に怯え、騒ぎ立てるから、部屋の中をめちゃくちゃにしてしまうようだ。
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