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第7話 玖月
「いや、あの、掃除はいいんですけど…僕は症状が問題なんで」
「え?症状?何かあったの?」
「あの、うちの社長から聞いてますよね?僕の潔癖症のこと」
「ええっ!潔癖症?玖月くん潔癖症なの?全然わからなかった。俺のウィルスが嫌なんだとばっかり思ってたよ。えっ?犬、大丈夫?うわぁ、俺とひまる大変だった?そっか、色々とごめんな」
「あの…ウィルス…ですか?」
世界的に流行していたウィルスは、ほぼ収まってきてるとはいえ、かかる人も毎日たくさんいる。岸谷もその中のひとりで既に感染したと言った。
玖月が初めてここに来た時、岸谷はウィルス感染にかかり、治って復帰後すぐだったらしい。病み上がりで仕事に行き、ひまるの面倒も見ていて大変だったそうだ。
「そっか…手袋してるのはそういうことなのか。てっきり、感染防止だと思ってた。だから、ここに来た時も俺のそばに居たくないんだろうなって思ってたんだ。ウィルス感染から治ったとはいえ、まだ気にする人は多くいるからさ」
「いいえ、岸谷さんのことは知らなくて…感染症予防はしますけど、ウィルス感染は誰でもかかってしまうっていいますし、そこまで極端に反応はしていません。それより、やっぱり過剰ですよね、手袋とかマスクとか。でも僕の潔癖症はマイルールが強くて、そのルールがクリア出来れば問題ないんですけど。中々クリアするのがちょっと難しい…かと。人と一緒に暮らしたこともありませんし…」
やんわりと断りを入れたつもりだったが、玖月の話が終わらないうち、岸谷にガバッと頭を下げてお願いをされた。
「頼む、玖月くん。お願いしたい。今まで来てもらった人は、ひまるが唸ったり吠えたりしてるのに、玖月くんの前だけなんだ。こんなにひまるが良い子になるのが。それに、俺の仕事がちょっと今不安定だから、家に帰る時間がよめないんだよ。勝手で本当にすまない!頼む」
「いやぁ、でも…難しい…無理かなぁと」
強引な感じで岸谷のペースに持っていかれる。それに頭を下げられてしまったので、すぐに断ることが出来なくなってしまう。
「玖月くんのマイルールに合わせるよ。何が出来て、何が出来ないか教えてくれよ。どんな細かいことでもいいよ。俺が合わせるから」
玖月は乗り気ではないが、岸谷の切羽詰まった感じを見ていると気の毒にも思えてくるのは確かだ。しかし、玖月の細かいマイルールに合わせると言うが、大雑把な岸谷には難しいように思える。
とりあえず陽子に報告して、明日仕切り直しをすることを伝え、玖月はその場を引き上げた。
◇ ◇
「…ってことなの。ねぇ、どうしたらいい?」
緊急ミーティングという名の、オンライン飲み会を開催している。岸谷の家から戻り、急いでシャワーを浴び、玖月がみんなを招集した。
今日は金曜日なので、明日は休みとなる。陽子と知尋、そして知尋の嫁、渚の四人で飲み会を開く。
「玖月は難しいだろ?潔癖症なんだから。だからダメだ。行くことは認めない」
「でも知尋、玖月はこの前も今日も行ったのよ?しかも、彼は玖月を指名なんだから」
陽子はあわよくば行かそうとしているが、知尋は、「ダメだ」と繰り返し言っている。
「玖月ちゃんは?行きたくないの?それとも、ちょっとは行ってもいいって思ってる?」
そう聞くのは、渚だった。ポリポリとおしんこを食べている音が聞こえる。
「うーん、乗り気じゃないんだけどさ、犬がさ、心配なんだよ。あの人、ちょっと大雑把で無神経っぽいからさ。だから全部を適当にしそうなんだよ。スーパーで傘を投げて渡してきた時は失礼な人だって思ったけど、ちょっと誤解があったみたいでさ。あの人、ウィルスに感染してたらしくて、だから人との距離をとっていたから傘も手渡しはしなかったみたいなんだよね。気を使ったらしくて。だからって投げるのもどうかと思うけどさ。だから、犬がなぁ…そんな大雑把な人だからさ、犬が心配だから行ってもいいかなぁ…って…犬なんだよね、心配なのは」
「おおう!!」と三人まとめて同時に驚いた声を上げている。
三人もまさか玖月が「行ってもいい」と言うとは思っていなかったのだろう。こう驚かれると、確かに何で行く方向になっているのか、自分でも自分の気持ちがわからない。
岸谷の家にいた時は、絶対無理!と思っていたが、自宅に戻り少し落ち着いたら、行ってもいいかもと考えるようになっていたのは事実だ。それに、岸谷が自分と真逆の人間だとしても、仕事と割り切って行けば問題ないだろうとも考えていた。
「すげえ…玖月が行く気になってるのって何で?無理するなよ。知らない奴の家だぞ?それも潔癖症がひどくなりそうな家なのに」
「本当…珍しいわよね。知尋!いいじゃないよ、行く気になってるんだから」
「そうだよ。いいんじゃない?玖月ちゃんのためにもさ。荒療治になりそうだし。やってみて、やっぱり無理だと思ったら帰って来ちゃえばいいんだよ」
渚が軽く話を締めるが、やっぱりみんな玖月と正反対な性格の家主が心配なようである。
症状が悪化したらどうするかという話にもなったが、こればっかりはやってみないとわからない。
「岸谷社長が金に糸目はつけないって言ってるわよ。それほど玖月に頼みたいって。すごいわよね、住み込みになるからどれだけ出してもいいってさ」
「…うーん、乗り気じゃないけど、やっぱり犬が心配だから行ってくるよ。決めた!じゃあ母さん明日一緒に岸谷さんの所に話つけに行ってくれる?条件はたくさんありますけどって」
咄嗟に甘えが出たようで、母さんと呼んでしまった。仕事の話をしているのだから、陽子さんと呼べと、すかさず言われて言い直した。この辺は厳しい関係だ。
「じゃあ、私から岸谷社長に連絡しておくから、条件だけ決めましょう。玖月頑張って。ダメなら帰ってきていいから」
「わかりました…頑張ります」
「あざーす!」と陽子と渚は喜んでいる。かなり高額な契約が出来るため喜んでいるのだが、知尋は納得がいかないような顔をしていた。
それでも最後は陽子と渚に宥められ、渋々玖月が行くのを、なんとか認めてくれている。
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