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第13話 玖月

朝起きて、シャワーを浴びてスッキリした。さあキッチンを片付けようと向かう。 昨日はかなり飲んでしまったから、掃除は張り切ってやりたいたところだ。 キッチン近くでボソボソと声が聞こえてきた。小声だから聞き耳を立ててみる。 「…なっ、お前は…これ、どうすんだよ。玖月に怒られるぞ?いや、一度見てもらった方がいいな。ひまるはこんなにイタズラするんですよ〜って。でもなぁ…お前どうすんだよ。こんなにしやがって…」 「おはようございます」 玖月が後ろから声をかけると、岸谷は「いっ!」と驚き、ひまるは「キャンッ」と小さく鳴いた。二人は座ってコソコソと何かしているようだった。 「お、おはよう!玖月。よく寝れた?二日酔いになってない?大丈夫か?」 「今、何を言ってました?何か隠してます?どうしたの?ひーくん」 ヤバイと顔に書いてあるとはこういうことだ。ひまるは上目遣いで玖月を見てキュウーンと鳴いており、岸谷は両手を後ろに隠して目を逸らしている。何かあったと言っているようなもんだ。わかりやすい。 「どうしました?大丈夫ですか?」 座り込んでいる岸谷の後ろを覗き込むと、何かを両手で掴んでいる。 「玖月…ごめん。これ…」 大変申し訳ないと、言いながら岸谷が後ろ手に隠していた物を出した。 「え?これ、僕のTシャツです。あっちのランドリーに入れてたのに」 ゲストルームのランドリーコーナーに置いてあった玖月の洋服だ。朝起きたら洗濯しようと、ランドリーバスケットに入れてあったやつだった。 「ひまるが咥えて歩ってたから、こりゃ大変だと思ってさ。離せよって言い聞かせてたらこんなになっちゃって…」 いつも行動を横目で見ているので、何となく状況はわかる。恐らく、ひまるが咥えてきたから慌てて岸谷が引っ張ったんだろう。それをひまるが抵抗して… とにかく、二人が戯れ合うと何かを壊したり、破いたりと、いちいち行動が大きくなり派手になってしまう。 「だからビリビリになっちゃったんですね。ひーくん?こっちおいで?」 隣で岸谷が「ああぁ、ごめん」と小声で呟いている。 「ひーくん、よく見て?これは僕のTシャツです。もう着れなくなりました。こんなにビリビリにして…洋服で遊んじゃダメでしょ?もうしないように。わかった?」 キューンキューンと鳴いているひまるにTシャツを見せて言い聞かす。真剣な顔で言う玖月を、ひまるはずっと上目遣いで見て鳴いている。悪いことをしたとわかっているようだ。 「ひまる、わかったか?ダメだぞ!」 「優佑さんも!やたらと戯れ合うからです。ひーくんは言い聞かせればわかるんですから、引っ張ったりすると遊んでると思うんですよ。まだ子供だから」 「本当にごめん。玖月を起こさないようにって思って必死になってたら、こんなだろ?そうだ、どこか買い物行くか?破けちゃったし、新しい服を買って渡すよ」 「いいですよ。部屋着なんですから」 「じゃあ、服代も請求してくれ。家事代行サービスの中に入れておいてくれよ」 「いいんですって。じゃあ、ひーくん、これをおもちゃにしてあげるね。ちょっと待っててね」 朝一番で掃除をしようとしていたが、ここはひとりで生活している場所ではない。誰かと一緒に生活していると、自分以外の誰かの気持ちを優先することがある。今日は休みだし、のんびり成り行き任せにしてみることにした。 そんなことを考えられるなんて、少し余裕が出てきたのかもしれない。それに、破けた服でおもちゃを作るなんて、潔癖症なのに考えられないと、他人事のように今日も自分のことを考える。 ひまるが破いたTシャツで、おもちゃのロープを作ってあげた。シャツを引き裂いて、三つ編みにして結べば出来上がりだ。 「ひーくん!おいで!ほら」と、玖月がひまるの前でロープをフリフリと動かすと、飛びつくようにして咥えていた。 ロープを咥えたので、左右に動かして軽く引っ張ってあげると、ひまるは大喜びして、尻尾をブンブンと振っている。 「すげぇ、玖月は何でも作れるんだな」 「優佑さん、ひーくんと遊んでてもらえますか?僕、掃除してきますから。あんまり引っ張ってまた色々と壊さないように」 ひまるを岸谷に任せて玖月は掃除を始めようと思っていた。 「今日と明日は、玖月はお休みの日だろ?掃除はしなくていいよ。俺がやるから」 「でも…掃除しないと落ち着かないんです。ちょっとだけいいですか?お願いします」 やはりこの辺は、潔癖症のマイルールが発動している。気になるところを掃除しないと気がすまない。 「うーん、本当はなぁ、やらせたくないけど、仕方ないか。わかった、じゃあ終わったらスーパー行こう。昨日約束しただろ?掃除してる間に俺はひまるを散歩に連れて行ってくるから」 「はーい」と返事はしたが、玖月は既に一心不乱になり掃除を始めていた。 ◇ ◇ 車を出すよと岸谷に言われたが、まだ車に乗るのはハードルが高いため断った。 マスクと手袋をして、歩いて数分のところにあるスーパーに岸谷と二人で歩いて行く。ひまるは散歩から帰ってきて、疲れたのか寝てしまったから、お留守番だ。 「そういえば、ずっと気になってたんだけど、玖月の家ってこの辺なの?前に、あのスーパーで会ったよな」 そうだった。毎日の生活が目まぐるしくて、玖月は自宅にも戻っていなければ、岸谷に自宅がどこかと話もしていなかった。 まぁ、お客様なので個人情報を伝えることはしないから言わなかったのだが、岸谷には伝えておこうと思った。 玖月の住まいは岸谷のペイントハウスの下で、同じマンションだ。近所に住んでいると、この仕事が終わっても外で顔を合わせてしまいそうだしと、思ったからだ。 「実は…優佑さんの家の下に住んでます」 「ええっ!うちの下?下の階ってこと?」 「そうなんです。マンションの上にペイントハウスがあるのは知ってましたけど、まさか優佑さんだとは知らなかったです。それに、入り口は別なんですよ。ペイントハウスは専用のエレベーターじゃないですか。僕の住んでるところは、みんな同じエレベーターを使ってるんです。メールボックスも同じ所に並んでるし。優佑さんと同じマンションだけど、違う場所みたいな感じですよ」 「そうか…だから家事代行をお願いした時、すぐに来てくれたのか。偶然ってすごい。へえ…いつか玖月の家に遊びに行ってみたいな」 「えっ?ひーくんと一緒に?」 「ひまるはダメだろ。あいつ絶対、興奮して物を壊すだろうし。部屋をめちゃくちゃにされちゃうぞ?最初にうちに来た時、覚えてるだろ?」 あははと二人で笑いながら歩いていた。最初に岸谷の家の家事代行をしてから、気がついたらもう数週間経っている。 この数週間で自分の行動や変化に驚いている。他人と生活を始め、潔癖症のため外したくても外せない手袋を、呆気なく外すことができ、そして昨日の夜はマスク越しでキスもした。 そうだ… キスをしたんだ。 昨日は二人で楽しく飲んでいた。初めて他人と楽しく飲めて玖月は感動していた。潔癖症だから出来ないと思っていたことを、岸谷が簡単に壊して、ひょいひょいと出来るようにしてくれているからだ。 色々な話を始めて、お互いの恋愛まで話が飛んでいった。笑い合って、キッチンで岸谷が何かを作った時、マスクの上から唇を重ねられたんだった。 酔って覚えていないわけではない。忘れたわけでもない。朝、顔を合わした時から思い出していたが、わざと忘れたように振る舞っていただけだ。思い出さないようにしていただけだ。 あの時何を作っていたんだっけ…そうだ、確か岸谷にクラッカーのピザの作り方を教えていたんだと、玖月は思い出す。 マスクの上からだが、キスをしたのが衝撃的で、あの時、何を作っていたかと思い出すのには少し時間がかかった。 「あっそうだ!玖月、昨日のこと覚えてる?」 「へええっっ?」 昨日のキスを思い出していたところに、岸谷からも昨日のことをと、ストレートに問われてしまう。覚えているかと。 「何を驚いてんだよ。昨日のさ、玖月に教えてもらって作ったピザあるだろ?上手く出来なくて、手直ししてくれたじゃないか。あれ、SNSにアップしたの覚えてるか?あれがさ、さっき見たらすごい数の『いいね』が付いててさ…」 ああ驚いた。 キスのことではなかった。岸谷は、酔っていたのでキスをしたのを覚えていないのだろうか。キスといってもマスクの上からだし、ひまるの真似をしたようなことも言っていたような気もする。 「あ、はい、覚えてます。優佑さんが上手く出来ないっていってたやつと、僕がそれをちょっと手直したやつの2枚アップしてましたよね?お酒と一緒に撮ったやつですね」 「そうそう。それ。俺の作ったひどいやつが、玖月の手直しで美味そうになったって、ギャップがすごいってさ、コメントをいっぱいもらってる」 立ち止まり、「ほら」と携帯のアプリを開いている岸谷の手元を覗くと、本当に凄い数の反応が見えた。 「うわぁ、すごい!優佑さんって元々頻繁にアップしてたんですか?うーんと、会社のアカウントなんですか?」 「いや、俺の個人のだよ。だけど会社名とかは名乗ってオープンにしてる。うちの会社の公式アカウントは別にあるけど、昨日はプライベートだから俺個人のアカウントでアップしたんだ。ほら、アイコンはひまるだよ」 「あっ本当だ。ひーくんの後ろ姿、かわいい!えー…優佑さんの個人SNSは僕もフォローしてもいいですか?」 「もちろん!俺も玖月をフォローしてもいい?」 スーパーまであと少しなのに、道端で二人は立ち止まり、お互いのSNSをフォローし合った。 近くのスーパーまで二人で歩くと気持ちが良く時間がかかると知る。 それが楽しいということも知った。

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