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第14話 玖月
「スーパーってすげぇな。いっぱい買っちゃうのか…知らなかった。でもまた行こう、今度は車にチャレンジしてみようぜ」
久しぶりに行ったスーパーは楽しかった。
ホームベーカリーでパンを焼く為に使う物だけを買う予定が、あれこれと他にも購入してしまい、二人でかなりの荷物を持ち帰ったことになった。
「ふぅ…本当に…そうですね、優佑さんがスーパーに行く時は、僕も車に乗るチャレンジをしてみます。優佑さんが一緒だと、大丈夫な気がするので」
玖月が岸谷を見上げ笑いかけると、嬉しそうにしていた。スーパーに買い物に行き、そしてもっと二人の距離が縮まったような気がする。最初の最悪な印象はもうどこかにいってしまっていた。
スーパーに到着して早々、店員に傘の忘れ物がないかと尋ねた。「たくさんあるんですよ」と笑いながら言われ、スーパーの奥の方に案内してくれた。
そこはスーパーでの忘れ物がずらっと置いてあり、保管しているという。傘がたくさん置いてある所から、岸谷が置いてきた傘をすんなり見つけてくれた。
紫色の折りたたみ傘で、取っ手に金のハートがひとつ描いてある。なんとも派手で独特な感じの傘だ。独特というか、センスが自分とは真逆なほうにいっていると玖月が感じるほどだ。横では、こんなにたくさんの忘れ物があってもこの傘は間違えようがないと、岸谷は苦笑いしている。
岸谷が傘を投げて渡した時、投げられたことに驚き、玖月はどんな傘だったかは覚えていない。
「これ、俺のじゃないぞ?秘書のだぞ?」
「何も言ってないじゃないですか」
岸谷の秘書は女性だという。あの日、このスーパーで岸谷は秘書が車で来るのを待っていて、玖月と会ったらしい。
出掛けに雨が降って来たので、秘書に折りたたみ傘を持たされたと言い、この傘は広げると大小のネコの絵が描いてあるんだと、その折りたたみ傘を広げて見せてくれた。
広げた傘には大小の猫のイラストがゴロゴロと描いてあり『にゃあ、にゃあ』と、ひらがなで猫の鳴き声も書いてあった。
遠くからでもよくわかるような派手なネコのデザインにまた玖月は驚きつつ、岸谷の方を見ると苦笑いをしていた。
そんな紫の派手な傘をさして歩く岸谷を想像すると、笑いが込み上げてくる。背の高いイケメンが、女性用のしかも派手な傘をさして歩くのは目立つだろうし、ネコがゴロゴロとたくさん描いてある派手な傘は、二度見をする人もいるだろう。
その姿を想像して、玖月はその後の買い物中は笑いを堪えるのが大変だった。
「玖月…マスクしてても笑ってるのがわかるぞ」
「…すいません。もう、なんだか止まらなくって」
そんな玖月を横目で見ている岸谷と目が合うとまた、笑い出してしまうので、結局二人で笑いが止まらないまま買い物をすることになり、ひとりでスーパーに来る時よりも、だいぶ時間がかかってしまった。
それに、外でこんなに楽しく笑うのは久しぶりだなと感じるほどの出来事だった。
岸谷の家に到着し、玄関に荷物を置くとすぐにひまるが尻尾をブンブン振って、玖月の足元まで絡みついてきた。たっぷり寝て元気いっぱいなようだ。
屈んで頭を撫でると、ぴょんぴょんとジャンプをしているから、床にペタンと座り目線を合わせて撫でてあげると、玖月の顔をぺろぺろと舐めてきた。不思議とひまるに舐められるのは嫌ではなく、愛おしく思う。
ひまるが玖月に戯れつき相手をしている間に、岸谷が買ってきた食料を冷蔵庫に入れたりと片付けをしてくれていた。その手際の良さにびっくりする。
「ひーくん、お留守番えらかったね。ご飯にしようか、ちょっと待っててね、シャワー浴びてくるから。優佑さん、片付けありがとうございました。ちょっと待っててくださいね。すぐ来ますから」
「ゆっくりでいいよ。俺も浴びてくるよ」
玖月は以前、スーパーから帰ってくると真っ先に除菌シートで買ったものを拭き、その後シャワーを浴びていた。
だけど今日はそのいつものルーティンとは違い、岸谷が手伝ってくれたことも自然と自分の中に受け入れられ、窮屈ではなかった。除菌シートで拭かなくても、全く気にならない。
岸谷と一緒にいると、毎日色々と変わっていくことが多い。また一層マイルールにも変化が見られた。
そういえばと、岸谷はスーパーの中で、立ち止まって見つめていたコーナーがあったなぁと、シャワーを浴びながら玖月は思い出していた。
笑い合ってスーパーの中を歩いていた二人だが、いつも玖月が買うお酒のコーナーで岸谷は立ち止まり、少し考え込んでるようだった。この時だけは真剣な顔をしていたのを覚えている。
岸谷の会社、株式会社アーネストが販売している玖月お気に入りのお酒がスーパーには置いてあった。その他にもビールやワインなど色々な会社のお酒が陳列されていた。
「みんな…どんな酒が好きなのかな…」
突然、岸谷に聞かれた。岸谷の横顔を見ると陳列されているお酒を見つめ、静かに呟いていた。
岸谷の言葉は、玖月に聞いたのか、それとも独り言だったのか、わからないくらいの口調だった。
「どうでしょう。みんな様々ですかね」とありきたりな答えをしたが、あの時、岸谷は他に何か言いたかったのではないかと思う。
シャワーから出てリビングに行くと、岸谷がもうひまると遊んでいるのが見えた。玖月が作ったおもちゃのロープを引っ張り合い、相変わらず二人は仲良くしている。
ひまるにご飯をあげた後、マスクを手に玖月がキッチンに入ると、岸谷も続けて入ってきた。
「玖月、何作る?俺も手伝うよ。役に立たないと思うけど、なんでも指示してくれ。今日玖月は、家事代行は休みの日だろ?」
「ふふふ。ありがとうございます。じゃあ、お昼は何を食べましょうか。パンはすぐに焼けないので、うどんかお蕎麦にします?」
「蕎麦!ざるそばが食べたい。あっ、作ったらまた写真撮ってアップしてもいい?」
「ふふふ。いいですよ。じゃあ、ざるそば作りましょう。優佑さんは、海苔を切ってください」
「わかった、了解。海苔だけじゃなくて、ネギも切るか?」
スーパーなど、外出する時はまだマスクに手袋は外せないが、岸谷の家の中では、マスクも手袋も外せていた。
他人と一緒の時、それも人の家で外せるのは、高坂の家とここだけだ。
だけど、キッチンに入る時だけはまだ、マスクを外せずにいる。料理をする時は何故か気になってしまうのだ。
隣にいる岸谷がマスクをしていなくても気にならないが、玖月自身はしなくては落ち着かない。潔癖症は緩やかに症状が治っているようだが、また新しく、変なマイルールも出来上がってしまっている。
「ああぁ!ネギ...難しい..。こんなに薄く切れないよ?玖月の切ったネギと比べると、俺のは本当にひでぇな」
岸谷がネギと海苔に格闘している間、玖月はパパっとその他に、おかずも作っておいた。岸谷の切ったネギはザクザクと太めに切られており、海苔は手でちぎったようだ。
「大丈夫ですよ。食べれば美味しいですから。さあ、ダイニングで食べましょうか。お蕎麦を盛り付けしますね」
「ほら、見てみろよ」と、撮ったスマホの写真を岸谷に見せられた。
岸谷のスマホを覗き込んでみると、そこには不格好に切れて、若干繋がっている岸谷が切ったネギと、綺麗に薄く切れている玖月がお手本で切ったネギが並んでいた。
ネギの写真を撮るなんて、変だ。可笑しいと玖月が笑い出したら、岸谷も一緒に笑い出し、二人で声を上げるまで笑いころげてしまった。今日は朝からやたらと笑い合うことが多い。
「俺が切ったネギ、繋がってて不恰好…慰めてくれ、玖月」
そう笑いながら両手を広げ、ぎゅっと抱きしめられ、またマスクの上からキスをされた。
忘れていなかったんだ。
昨日のこと。
酔って忘れては、いなかったんだ。
唇が離れる時に、不織布のガサっとした音が耳に残る。音が聞こえるから余計リアルな感触が唇に残ってしまう。
「嫌だった?大丈夫?」
「だ、大丈夫です…嫌じゃなかった…」
「そうか、よかった。よし、じゃあ食べるか。今日の夜はもっと何かを作ってみたいな。玖月、指導してくれよ?」
「はい」と言おうとしたが、無意識に息を止めていたようで上手く声が出なく、むせてしまった。
気持ちと身体が別々な行動を起こすなんて、初めて経験する事だった。
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