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第15話 玖月
「なんだよ!みんな笑いやがって、ひでぇな…」
リビングでひまると遊んでいると、ソファに座っている岸谷が急に大声を上げるから、ひまるがビクッと驚いている。
「どうしたんですか?」
「いや、さっきのネギと蕎麦の写真をまたSNSにアップしたら、凄い勢いでコメントが送られてきたんだよ」
おいでと岸谷手招きをされたから、どれどれと岸谷の隣に座り、スマホを覗き込む。
そこにはさっき撮ったネギの写真と、二人でざるそばを食べた食卓の写真がアップされていた。
『へこむ俺に「大丈夫。食べれば美味しいから」と言ってくれた』と、岸谷が書いたコメントが見えた。
「優佑さんのアカウント大人気ですね。僕もいいねしておきます」
「ははは。ネギも切れないのかとか、海苔が雑とかみんな笑いやがって…よし、これを機会に料理を上達してやろう。そしてコイツらを見返してやるんだ」
今日の夜から料理を特訓してくれと、岸谷は言っている。人と一緒に料理を作ったりすることが楽しいと昨日玖月は知った。だから岸谷からそう言われると嬉しく思う。
「じゃあ、今日の夜は張り切って作りましょう!何がいいでしょうか」
「酒も飲むだろ?夜は酒に合う何かがいいな。何飲むか…」
そういえば、と玖月はさっきのことを、また思い出した。
「優佑さん、さっきスーパーのお酒コーナーで何か言いかけていませんでしたか?」
真剣な顔をしていた岸谷を思い出した。いつも笑っている岸谷なのに、あの時は少し違っていた。
「あれ?そんな感じだった?ごめんな、仕事を引きずったのかもしれない」
「仕事、忙しいですか?」
平日は遅くに帰ってくることもある岸谷なので、忙しいんだなとはわかっていた。
「ああ、うん、そう。忙しいっちゃ忙しいけど…最近さ、ちょっと考えてるんだよ」
会社の業績は悪くないが、新しいことを始めているわけではないので、伸び悩み中であるという。
「うちの会社はさ、日本酒だけじゃなくてリキュールとかも扱ってるんだけど、これって決定的なものが無くてさ。玖月が好きだって言ってくれるシリーズあるだろ?あれだって美味しいって言ってくれる声はあるし、胸を張って提供できるけど、全国展開はまだ出来てないんだ。だから会社の顔になるような何かを模索中でさ、なんか付加価値をつけられないかなってさ」
だからみんな何を好んで飲んでるのかなって、お酒を前にすると考えてしまうらしい。
「それになぁ…」
少し顔を上げて岸谷は遠くを見ている。
「なんですか?」
「ああ、うん。それに最近ある人に言われたことがあってさ、」
岸谷は『酒を販売する理由』は何かと問われ、理由がわからないうちはずっと渦の中に居るだけだと言われたらしい。
「わかるよ、理由。今日は酒を飲みたい、今日は酒をやめよう、今日はみんなと楽しく飲みたい、ひとりで飲みたい、それぞれあるよな理由。だからそう言われた時、何言ってんだ?ってムカついたんだ。だけどなぁ…もしかしたら俺はわかってないのかもなとも、思ってんだ」
こんな話、つまんねぇよなと笑って岸谷は言うが、お酒を販売する理由なんて玖月には想像つかない。
だけど、大好きな『お酒を飲む理由』って何?って聞かれたら、それは即答で答えられない。
『お酒を販売する理由』と『お酒を飲む理由』は同じ話じゃないかと思いながら聞いていた。
それに、お酒を飲む理由と改めて自分に問いただしてみると、なんだろう?好きだから、ご飯を食べる時にあったらいいなと思うから、それくらいしか答えは出てこない。だから岸谷が悩んでいるであろうことは、同じように考えてしまう。
「優佑さん、偶然にもお酒が好き同士一緒に生活してますし、期間は限られてますが、その理由を探ってみましょう」
「おお?玖月、どこのタイミングで火がついた感じ?」
ソファに向かい合わせで座っている岸谷に、ニヤニヤと笑いながら尋ねられる。
「お酒の理由?のとこですかね…何だか自分にも問われているような気がします」
「頼もしいな、ありがとう。君が味方でいてくれれば俺は何でも出来そうな気がするよ。最近特にそう思う」
玖月のおでこにかかった髪を横に撫でながら笑顔で岸谷は答えてくれた。
潔癖症は相変わらず影を潜めている。
◇ ◇
「さあ、優佑さん。夜になりました。やってやりましょう。何から作って、何から飲みましょうか」
ソファでひまると遊んでいる岸谷に、マスク姿で玖月は声をかけた。キッチンで料理を作る気満々、やる気十分の姿で声をかけたのに、岸谷はソファの上で横になりゲラゲラと笑い出した。
あの後、お互い洗濯をしたり、片付けをしていたらすっかり夜になっていた。
だから意気込んで玖月は岸谷に声をかけたのだ。お酒の理由を見つけましょうと。
それなのに、玖月の勢いに岸谷は笑ってばかりいる。
「玖月、何を敵討みたいに言ってんだよ」
「だって…哲学みたいなことを言われたんですよね?二人で飲んで紐解けば、何かわかるかもしれないですよ」
ふんっと腕まくりをして伝えると、ソファの上でまだ転げ回って岸谷は笑っている。玖月の戦闘態勢が可笑しいと言う。
「案外、男らしいな玖月」
「…言われっぱなしで面白くないって、さっき優佑さんが言ってたじゃないですか」
ひまるが楽しそうに岸谷にまとわりついている。岸谷は玖月の腕を引っ張り、ソファに座らせた。
「そうだな、ありがとう。玖月は優しいな。でもな、美味しく食べて、美味しく飲もうぜ。そんな難しい顔するなよ」
岸谷にくしゃっと髪を撫でられる。
岸谷の指先を感じ、昼にキスをした時の感触が不織布から唇に戻ってくるような錯覚を覚えた。マスクの中で唇が熱くなっていく気がした。
「じゃあ、何食べようか」
うーんと、伸びをしている岸谷を見つめた。
「今日は、お酒から選びましょう。僕の好きなシリーズ3本のお酒からそれに合う料理にしましょうか?」
「OK!玖月先生、よろしくお願いします」
今度は玖月が岸谷をソファから引っ張り上げ、キッチンまで連れて行った。
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