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第16話 玖月
二人で作る料理は楽しかった。広いキッチンだから二人でいても窮屈ではない。使い勝手がいいキッチンだなと、いつも思っている。
相変わらず岸谷に包丁を持たせると、ハラハラとさせられるが、ビールを飲みながらキッチンにいる岸谷は終始ご機嫌なようだった。
「お酒も料理も玖月に任せたい」と岸谷からリクエストがあり、それならばお酒に合うあれを作ろう、これもいいなと考えているうちに、つまみが出来上がった。
「腹減った…料理って作ってると何でこんなに腹が減るんだ」
今はそう独り言を言いながら、岸谷はビールを片手に玖月の手元を動画で撮っている。
「さあ、ひとまずこれで食べましょうか」
沢山料理が出来たし、美味しそうだしと、笑顔で岸谷を見上げ伝えると、一瞬間がありその後に「ありがとう」という言葉と一緒に、キスが降りてきた。
ん?
今の行動をもう一度巻き戻しして考える。
玖月は料理を作っていた。岸谷はそれを動画に撮っていたが、出来上がったので、動画を取るのをやめ、携帯をしまった。食べましょうかと玖月が言い岸谷を見上げた。
あれ?
ちょっとおかしい。
今、僕はキス待ちした?よね…
昨日からマスク越しにキスをされているので、料理が出来上がった時、玖月は無意識に岸谷を見上げてキスが降りてくるのを待っていたようだと気がつく。
何をやってるんだ。
自分からキスされるのを待って突っ立っていたなんて。
このタイミングでキスするんだろうなって思い、玖月が無意識で岸谷からのキスを待っていた。そんな間があった。
玖月は自分の行動にびっくりし、キッチンで呆然と考え込んでしまう。キッチンでのキスが習慣になってきているからだろうか。それとも、マスクをすると岸谷からキスをされると、無意識に頭の中で紐付けされているのだろうか。
今までは、岸谷からすかさずキスをされていたが、今のは完全にキスをして欲しいと、玖月が待っていたような『間』が一拍あった。どうしたというのだろう。自分のことがよくわからない。
「おーい、どうした?食べるのはこっちでいいか?」
ダイニングテーブルに料理を並べている岸谷に声をかけられ、ハッとする。
「あっ、はい!今、行きます」
さっきまでキスをしていた空気を薄めるように、パタパタとキッチンの中を玖月は動き回った。
◇ ◇
ダイニングテーブルに広げられたのは、二人で作った料理と3本のお酒。
これから、この3本をそれぞれ飲み比べをしようとなる。
お酒には、海、空、太陽と名前が付いており、それぞれの名前がラベルに書いてある。デザインがお洒落なお酒は岸谷の会社のものだ。
「だっけどよ…平凡なんだよな、このネーミング」
岸谷はお酒のボトルを掴み、ラベルをピンッと指で弾いている。
「そうですか?海は海っぽいですよ、深い味わいで。空は空っぽいし?スッキリしてて。それぞれにあってますけど。それにこのお酒は本当に美味しいです」
「うーん、美味しいけど、見た目がなんかパッとしねぇな…」
お酒が好きな二人だから飲み始めてから、ぐいぐいと進んでいる。
ふーんと岸谷は言い、次のお酒を作り始めようとして立ち上がり、キッチンに向かっている。玖月も近くまで行き手伝うことにした。
「じゃあ、次は『太陽』いきます?お腹具合どうですか?パスタか何か作りましょうか?」
「おお!俺、パスタ食べたい。作るの協力するからまた指示してくれ。この酒に合うパスタってある?」
岸谷は身体が大きいからか、沢山食べる。しかも、いつも美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐が大いにある。
「そうですね、『太陽』は何にでも合いますから。うーん、ショートパスタにしましょうか、アラビアータかな…これはグラスも冷やしておくといいんですよね」
玖月が言い終わらないうちに、岸谷はいそいそとお酒と新しいグラスを冷蔵庫に入れ冷やし始めた。後ろ姿を見ても、ウキウキしているのがわかるから笑ってしまう。
「ちょっと順番間違ったかな。太陽、空、海の順番で飲んだ方がよかった?」
ペンネを茹でてる玖月の横に立ち、岸谷は斜め上を見ながら呟いている。
「太陽は前菜でも合いますからね。でも、いいじゃないですか。これでお酒の理由が何かわかった感じしないですか?」
「そうか?何を飲んでも酔うとか?」
「違いますよ!もう…まぁ、そう言われたらそうですけど」
「あっ、わかった!また最初からやり直しが出来る!だろ?」
「何ですか、そのやり直しって…」
「もう一度最初から飲み直しだよ」
酔ってきているから、適当なことを言い合うだけで大笑いしてしまう。今日もまたキッチンで楽しく料理が出来るのが嬉しい。
岸谷には、ペンネを茹でてもらうことにした。玖月が手際よく、パスタのソース作りをしていると、「ひー、これでいい?」と呼ばれた。『ひー』と呼ぶからには岸谷が酔ってきたというのは、昨日学んでいることなのでわかる。
「何ですか?ふふふ…そんなにお湯の中でペンネを勢いよくグルグルとかき回さないでいいんですよ?お鍋が吹きこぼれないように見ててくださいね」
クスクスと笑い、茹でてる鍋から視線を移し「ねっ?」と岸谷を見上げるとまたキスをされた。
キッチンだからキスをしたのだろうか。いや、マスクをしていたからしたのかも。そんなことを考えていたから、唇が離れていっても、そのままジッと岸谷を見つめてしまう。
「マスクの上からだと慣れた?」
「慣れた…もう、ずっと慣れた。もう平気。びっくりしない」
何だか岸谷の余裕な発言にちょっとムッとし、プイっと顔を背けてパスタのソース作りに専念する。
恥ずかしくて、子供みたいな言い返しをしてしまったとすぐに後悔し、チラッと隣を見ると、笑いを堪えている岸谷と目があった。
「…何ですか?」
「ひーが可愛いなと思って」
「可愛くないですよ。僕は男ですから。それに、また優佑さんはマウスウォッシュの事を思い出して笑ってるはずって知ってますから」
あははと、岸谷が堪えきれずに大っきな声で笑ってる。さっきキス待ちをして焦っていた玖月の気持ちも、きっと岸谷にはわかっているはずだ。なんだか、余裕ある大人な態度の岸谷にムッとしたり、ホッとしたりする。
「ほら、もう吹きこぼれる」と、恥ずかしさからぶっきらぼうな言い方になり、ソースの中にペンネを入れるように続けて岸谷に指示を出す。
岸谷に揶揄われてるとわかっているが、胸がふわふわとして、気持ちも浮ついてしまう。それが何故だかはよくわからない。だけど、胸がキュッとなることが嬉しいと感じる。
「じゃあ、これを食べてやり直ししましょう!お酒は飲み直しが出来るんですよね?」
「そうだ!その通りだ。じゃあ、また乾杯するか」
パスタと一緒に『太陽』で乾杯をする。
リアルで乾杯をすることにも、慣れてきていた。
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