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第17話 玖月

パスタを食べたらお腹がいっぱいに膨れた。グラスを片手にソファに行こうと岸谷に誘われる。 ソファで飲むお酒はワインに切り替わった。美味しい赤ワインを飲もうと岸谷が誘ってくれたからだ。 ソファで飲むなんて、ちょっと前までは、自分の中の潔癖症マイルールに引っかかり絶対に出来なかった。 それが今では、ワイングラスとチョコレートを持って、ソファに座ってるんだもんなぁと、酔った頭で玖月は考える。 「そうか…すごい。決断力ですね、だから優佑さんからはバイタリティっていうか、力強さを感じます。仕事でここに来ているのに、毎日力強く引っ張られて、グイグイ進みますし、僕のマイルールも、どんどん更新されていってます」 お酒の会社を立ち上げたきっかけを聞く。有名で美味しいお酒も沢山あるが、若い世代が奮闘して作っているお酒も沢山あるという。 そんな未来ある人たちと仕事をしたい、その人たちが奮闘して作ったお酒を埋もれさせたくないと常に考え、販売する会社を立ち上げたそうだ。強引で野心家だが、ビジネスの世界ではそれが軸になり成功している。 自分とは違う大きな器の人を見て、玖月は純粋に憧れてしまう。望んだこと、やりたいことを叶えている人は大きく見えて、カッコいい。岸谷のように自分も目標を持ちたいと強く思うようになった。 美味しいお酒を飲んでいるから、いつもより砕けた会話に移ってきた。今日は二人で行ったスーパーでも楽しかった。最近はこんな感じで二人で過ごす時間が特に多い気がする。 「しかし、玖月のマイルールって面白いよな」 あははと、隣で岸谷は笑いながら玖月の前髪を指でとかし、横に撫でつけている。 ずっと髪を撫でられている。なので、玖月の前髪はピシッと横分けになり、おでこが丸出しになってしまった。岸谷に髪を触られるのは不快に感じない。 「ええっ!面白くないですよ。マイルールなんて、やっかいだし、いいこと何もないです。僕は本当にイヤ。嫌いですね、マイルール。何でこんなに色々と気になってしまうんだろう」 ひまるはもう寝ているようだ。隣の部屋に行ったっきり、リビングに入ってこない。さっきまで岸谷と遊び、騒いでいたから疲れてしまったのだろうか。結構大きな声で二人笑っているが、起きてこない。 「あはは、そうか?俺は、玖月のマイルールは一本筋が通ってて好きだけどな」 「筋が?」 「うん、そう。玖月がマイルール発動するのは人に対してだけだろ?」 「発動って…まぁ、そうですね、多分。ひーくん相手だと、何をやっても大丈夫ですし、ふふふ、ひーくんには頬擦りも出来ますよ」 ひまるのことを考えるとニヤニヤと笑ってしまう。どこを切り取って思い出してもかわいい。イタズラしても許してしまう気持ちはわかる。 「だろ?人に対してはマイルールが出ちゃうから、自分で潔癖症なんだって思ってるんじゃないか?でもな、きっとそれは、玖月が常にまわりに対して気を使っているからだと思うぞ。例えばさ、買い物でも掃除でも、まわりの人はどう思うだろう、嫌がるかもな、気になるだろうな、もしくはこうやったら気分がいいのかなって、考えてるんじゃないか?多分な、玖月はまわりを思う行動が潔癖症にも繋がってるんだと思う」 そうなのだろうか。岸谷が言うことに納得する部分もあれば、疑問に感じるところもある。 「そうなんでしょうか…でも、別れた彼女の手料理は食べられなかったんですよ?それって、まわりが快適になる行動じゃないですよ」 「うーん…それはその女の子が料理をしている過程の何かが嫌だったんじゃないのか?自分がやられて嫌なことだったんじゃないかな…何となくだけど、玖月と生活していてそう思うよ。玖月は丁寧だから、料理とか掃除とか日常生活が丁寧じゃないと気になるんだろうなって…それが玖月のマイルールじゃないかなって思ってるよ」 料理だったら手抜きは許せる。だけど、髪を結ばなかったり、服の袖を捲ったりしないでキッチンに立っていたので、確かに彼女の行動で気になる部分はあった。 「綺麗好きで几帳面、そして丁寧なんだ。それを玖月はやってるだけだろ?」 過剰だけどスーパーの商品も素手で触ったら失礼かなと思うことはあった。それと、自分が食べている姿を人に見せるのは抵抗がある。相手を不快な気持ちにさせないかと考えてしまうからだ。食べるという行為を見せるのはハードルが高い。だから気の許せる人とではないと食事を共にすることが難しい。 「じゃあ、なんで優佑さんは大丈夫なんでしょうか。優佑さんに嫌なことは、ひとつもないです。ホッとすることしかないですよ」 「あはははは。そんな簡単に言っていいのか?嬉しいよ、ありがとう」 ソファで飲むお酒も美味しい。リビングのテーブルに置いてあるチョコレートを摘み、口に含むと冷たい感触に少し驚く。それだけ自分の体内が熱っているからだろう。思っているよりきっと酔っているはず。岸谷も終始ご機嫌なようだ。 「不思議ですけど…優佑さんといると何だかなんでも大丈夫になるんです。と、いうよりハプニングが多いから?そんな暇が無いのかな…」 「なんだよ、そのハプニングって。あ、あれか?ひまると一緒にTシャツを破いたやつか…」 ひまると遊ぶと物が壊れると岸谷が呟き、また玖月がそれに反応して笑い出してしまう。 ひまると岸谷の行動は、今まで玖月が経験したことがないことばかりだ。だから、思い出すと、自然に声を上げて笑ってしまう。 ひまると生活している岸谷と、仕事をしている時の社長の顔とは違うように感じる。 仕事の話を聞いて、岸谷は大胆な行動をし会社を動かしているとわかる。一緒に生活をしていると日々驚くこともあるが、男らしくカッコいいと感じることが多い。プライベートでも仕事でも岸谷の話を聞くと、魅力的な人だとわかる。そんな岸谷を羨ましいと思っていた。 「優佑さんが羨ましいです。本当に僕なんて面倒くさいことだらけだから、いつまで経っても結婚出来ないんですよ。どうしたらいいんでしょうか」 ひとしきり笑った後、砕けた会話が続いたので、玖月がボソッと独り言のように呟いた。ワインを手酌でグラスにドボドボと注ぎ、岸谷のグラスにも注いだ。 「えっ?玖月、結婚したいの?」 「したいですよ、結婚ですよ?したくないですか?結婚したら一人前なんですから」 「なんだよ、一人前になりたいから結婚したいのか?」 「そうです。僕はなーんにも役に立ってないんです。親の会社で働いているのに、母にも兄も迷惑をかけっぱなしで。足を引っ張らないようにしなきゃって思うんだけど、潔癖症になっちゃったし…」 小さい頃からいつも兄と比べられていた。 比べられてもその通りだしと、特に気にしていなかった。 玖月は兄の知尋が大好きだ。周りから何を言われてもいいが、知尋には迷惑をかけたくない。何か役に立つこともしたい。だけど、出来ないことが辛い。だったら、結婚して早く一人前になろうと思った。結婚したら母の陽子も知尋も安心してくれるだろう。心配をかけずに一人前になるには結婚しかないと思っている。 「そうか、お兄さんがいるのか」 「兄はすごいんですよ、何でも出来るんです。頭が良くて、小さい頃から成績も良かったし…結婚もしてます。僕にないものをたっくさん持ってるんです。ふふふ」 酔っているからか、饒舌になってしまう。 「玖月だって持ってるものあるだろ?親切で、丁寧ってところは君の財産だ。大切に育てられたんだろうなって感じるよ」 また前髪を撫でられる。ピシッと横分けにされ、おでこが丸出しになっているのは変わらないが、優しく撫でられ、酔って熱った顔にあたる岸谷の手が気持ちいい。 「俺に触られて嫌じゃない?眠くなってきたか?」 「ふふふ。優佑さんの手は気持ちいいです。でも、そろそろ眠くなってきたかもしれません」 どれくらい飲んだろうか。ふわふわとして、何を話してもクスクスと笑ってしまうが、それも酔っているからだと、頭のどこかでわかっている。とても気持ちが良く、まだ飲んでいたいのに、眠気には勝てそうにない。 明日も休みでよかった。明日は何をしようかなとぼんやり考えていた。 ホームベーカリーで、パンが焼き上がる時間はさっきタイマーでセットしておいた。朝食はパンにしよう、初めて作るパンは上手に出来上がるかなと、玖月は考えていた。 「じゃあ、寝るか?送っていくよ」 「どこにですか?送っていくって」 「え?玖月のベットルームだよ?あっちの部屋まで送っていくよ」 「あははは。同じ家の中なのに、送っていくなんて変ですよ。大丈夫です、いつもひとりで行ってるし」 それでも送っていくと岸谷が言うので好きにさせることにした。岸谷も相当酔っているようである。 簡単にリビングとキッチンを片付けて、後は明日に張り切ってやりますと玖月は岸谷に声をかけた。 「じゃあ、送っていきましょう。どうぞ」 そう言って、手を出されたので、 「はい。では、よろしくお願いします」 と言って、岸谷の手の上に、玖月は自分の手を置いた。部屋の中だ、もちろん今はもう手袋はしていない。 そのまま手を引かれてゲストルームまでを、酔ってる二人はクスクスと笑いながら歩き始めた。

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