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第19話 玖月

岸谷が帰宅する迄の間、掃除に洗濯を黙々とこなし、今は夜ご飯の準備をしている。 ひまるは電話の後からずっと、心配そうに、くーんくーんと鳴き、玖月の周りをウロウロと歩き、離れずにいる。ちょっとした気持ちの揺れ具合など、ひまるにはすぐにわかってしまうんだなと玖月は思った。 「ひーくん、ごめんね。びっくりしちゃったよね」 ひまるの体全体を撫でてあげても、心配そうに玖月を見上げる顔は変わらない。ひまるに心配をかけたくはないが、ため息はもれてしまう。そうすると、ますますひまるは心配顔になっていく。 「ただいま。シャワー浴びてくるぞ」 岸谷の声が聞こえてきた。いつの間にかそんな時間になっていたかと、玖月はハッとする。ここでまた別のミスをするわけにはいかない。しっかりしろと、心の中で自分に叱咤し、夜ご飯の準備を再開した。 「おかえりなさい」 シャワーを浴びてキッチンまで来た岸谷に声をかける。 「おい…どうした?何があった?」 何も伝えていないが、岸谷が心配そうな顔で玖月の腕を掴んだ。ひまると同じように何か気持ちを察知することが出来るのだろうか。 「あ、あの…大丈夫です。ご飯はどうしますか?」 「いやいやいや…こっちのひーも、こっちのひーも同じ顔をしてるぞ?」 そう言い、玖月とひまるを岸谷は交互に指をさしている。ひまるにも気持ちが伝染してしまっているのかと、申し訳ない気持ちになる。 「よし、飯の前にちょっと話を聞こう。ひまる、おいで。玖月も」 リビングのソファまでひまると玖月は岸谷に連れて来られた。ソファに座るように言われ、岸谷はひまるを抱き上げソファに座る。 「おい。ひまる、これ離せよ」 ひまるはおもちゃを咥えている。それは以前、玖月が作ってあげたロープのおもちゃだ。そのおもちゃを咥えて、ずっと玖月の周りをうろうろとしていた。玖月のことが心配なのか、元気付けようとしているのか、そんなひまるの行動に胸が締め付けられる思いをする。 「ひまるも玖月も同じような顔して…ひまるが玖月のシャツのおもちゃを離さないなんて、何かあったんだって思うだろ」 毎日一緒に生活をしているので、いつもと違うと岸谷には分かったのだろう。 明日のことを岸谷に伝えなくていけない。ご飯の前に伝えるのは申し訳ないと思いながらも、何かあったのかと聞かれているし、話し始めることにした。 明日の朝、急遽謝罪のため外出することを岸谷に伝える。自分の仕事にミスがあり、お客様と会社に迷惑をかけてしまった。家事代行の会社で、スタッフの配置ミスがあり、その配置をブッキングしたのは人材コーディネーターの玖月であると、掻い摘んで伝えた。 先方のお客様に明日謝りに行ってくるが、昼過ぎには帰ってくることになる。月に一度、家事代行をしている外の仕事と同じようなスケジュールとなってしまい、岸谷には迷惑をかけてしまうが、数時間だけ外出することを許してほしいと伝えた。 玖月の話を黙って聞いていた岸谷が口を開いた。 「わかった。そうか…じゃあ、明日、俺は在宅ワークに切り替えるよ。週末だし丁度いい」 ちょっと待ってろと言い残し、岸谷はソファから立ち上がり自室へと行ってしまった。 岸谷に自分がミスをしたことを伝えたが、呆れられてしまっただろうか。やっぱり自分は半人前だから、仕事も半人前と岸谷は思っているのだろうか。岸谷に呆れられたらと思うと、泣きたくなる。 「秘書に連絡したよ。俺が在宅でも問題ないってさ。じゃあ、飯食べるか?あれ?もう玖月は食べちゃった?」 携帯をいじりながらリビングに岸谷が戻ってきた。 「優佑さん、本当に申し訳ございません。急に家を空けてしまうなんて、契約違反になってしまい、すいません」 ソファから立ち上がり岸谷に向かって頭を下げる。情けない自分が恥ずかしい。 「契約違反って、そんな深刻に思ってないぞ、俺は。あ、そうだ、玖月のとこの家事代行サービスからメールをもらってたみたいだ。ほら、これだろ?」 手を引っ張られソファに座り直す。ほら、と岸谷に携帯を見せられたので、画面を目で追うと、会社から岸谷へ謝罪のメールをしているのがわかった。玖月が急遽明日、数時間外出し、その間は家事代行が出来なくなるからだ。なので、明日一日分の家事代行料金は請求しないと書いてあった。 「玖月?どうした、しょぼくれて。謝罪に行くのが怖いのか?」 「いえ…これは僕のミスなので、自分から社長にお願いしたんです。謝罪に行かせてくださいって。だけど、今までこんなミスをしたことがなく、やっぱり集中力が足りないのか…反省しています。優佑さんにもご迷惑をおかけして、本当にすいません」 「自分のミスって判断が出来て、自らが名乗り出て行くってのは、みんなが出来ることじゃない。誰だって謝罪に行くのは嫌だぞ?それを責任持って自分の言葉で謝罪するって言うのは人としてえらいと思う。逃げずに行くんだって決心したんだろ?」 「誰かが僕の代わりに行くっていうのはちょっと違うかなと…」 「そう自分でわかっているなら大丈夫だ。頑張れ、応援してるから。俺は明日朝から家にいるし、こっちは問題ないから、時間は気にせずに行ってこいよ」 またしても器の大きな岸谷の言葉に救われる。そしてますます自分が半人前だとわかり、落ち込んでしまう。 「腹減ったな…玖月もまだ食べてない?じゃあ、俺がなんか作ってみようか」 うつむいている玖月に、岸谷は明るい声で話しかけてくれる。気を使わせてしまったようだ。 「あっ、すいません。すぐに準備します」 玖月よりも先に岸谷がキッチンに向かってしまう。後を追うように玖月もキッチンに入っていった。 「おお!なんだ、作ってくれてるじゃないか。美味そう!今日は和食?」 「すぐにやります…後は焼くだけなので。すいません、僕の話が長くなってしまったから」 マスクを付けて手を洗うと、続いて岸谷も手を洗い始めた。平日一緒にキッチンに入ることはないが、今日は隣に居てくれるのだろうか。隣にいると安心する。 「落ち込んだ時って、あったかいものを食べると案外気持ちが落ち着くんだよな。俺は、何度も玖月のご飯に救われたよ」 「優佑さんも落ち込んだ時あったんですか?」 驚いて隣にいる岸谷に向かい大きな声を出してしまった。いつも明るく、笑顔でいる岸谷から落ち込むという言葉が出るのは考えられなかった。 「そりゃあ、あるよ。結構、落ち込むことあるんだぜ、俺。でもな…家に帰ってきて玖月のご飯食べるだろ?あったかい飯を食べると、身体と脳が動くっていうかさ…よくわかんないけど、食べ終わると、何であんなことで落ち込むんだって思って。明日からやってやろうぜって気持ちになってるよ。いつもありがとうな」 知らなかった。岸谷を毎日見ていたのに、気が付かなかった。 落ち込む、へこむ、など気持ちの浮き沈みはある。でも、玖月の場合それは潔癖症やプライベートに関して出てくる感情だ。今まで仕事に対して落ち込んだり、へこんだりすることはなかった。 今までも同じようなミスはあったのかもしれない。あったとしたならば、玖月の知らないうちに周りが対処してくれていたから気が付かなかったのだろう。 玖月もまた、今までそれほど真剣に仕事に取り組んでなかったのかもしれない。どっちにしろ反省することばかりだ。 「…優佑さんでも落ち込むことあるんだったら、僕の落ち込みなんかちっぽけですね。今まで何をしてきたんだろう…」 「落ち込むのに大きいも小さいもないぞ。そんな顔するな。ほら、まずは食べてから考えよう。食べたら作戦会議しようぜ」 「作戦ですか?」 「そうだ。明日、謝罪に行くんだろ?作戦は必要だろ?なんだよ、ノープランで行くつもりかよ、あっぶねぇな。大丈夫だ、任せろ」 なっ、と笑顔で言う岸谷はまた玖月を救ってくれている。こんな気持ちの時に話ができ、聞いてくれる人がいるってなんて心強いんだって思い、岸谷の横顔を眺めた。 ◇ ◇ 落ち込んでいたから、ご飯が喉を通らないかと思ったが、岸谷に「ほら、食べろ食べろ」と言われて、お味噌汁だけ残さず食べた。 「美味かった…俺、具がいっぱい入ってる味噌汁って好きなんだな、知らなかった。それと、やっぱりこれがドストライク。俺の好みど真ん中」 今日は和食だ。その中でも、岸谷の好みというのは、具沢山のお味噌汁とだし巻き卵。食べる前にはキッチンで恒例の写真も撮っていた。 今度自分で作ってみようかな、難しいかな、教えてくれよと言い、岸谷は玖月に笑いかけてくれる。 食事が終わったので、食器を片付ていると、岸谷も立ち上がり一緒に片付け始めていた。後片付けはやりますよと伝えても、一緒になってキッチンに運んでくれていたので、あっという間に終わる。 「さて、食べ終わったからこっちおいで」 ひまるが遊んでいるリビングに連れて来られた。玖月がソファに座ると、ひまるもピョンっとソファに飛び乗り、玖月の上に乗り甘えている。 「さっきの話の続きをしよう。明日、玖月が謝罪に行くようだけど、ひとりで行くのか?」 「そうです。僕のミスなので、僕が行かせてくださいと言ったのですが…やっぱり、半人前だから僕ひとりだと失礼ですかね」 「いやいや、そういうことじゃない。謝罪って本当は二人以上で行った方がいいんだよ。でも日程的に難しいんだろ?だからひとりで行くんだもんな」 「そうなんですか…謝罪のやり方も知らないのに、勝手に決めてしまいました」 「ははは。玖月、落ち込むな。ひとりで行くって決めて、社長も任せたというなら問題ないだろう。原因がはっきりわかってるってことなんだな。それよりその後だ。すいません!って先方に謝った後、じゃあこれからどうするんだって聞かれたら、何て答える?」 ひまるが二人の間に入り、遊んで欲しそうにしている。岸谷と玖月でひまるの体を撫でてあげているから、尻尾を振っていた。 「えっと、これからはミスがないように気をつけます。確認不足がないようにしますって伝えます」 「うーん、そうだな…誠意は伝わるかもしれないけど、具体的には?って話になるかもな」 「具体的に…ですか」 そんな先まで考えていなかった。ミスをしたのは自分だ。申し訳ない、謝りたいと思っている。だけど、その後じゃあこれからどうやってミスを防ぐのか、具体的な案はあるの?と聞かれたら、即答できる自信がない。 「それを考えるのが、作戦会議だ。よし、今まで謝りまくってきた実績がある俺が教えてやろう」 ははは、心配すんなと、岸谷は笑いながら玖月の前髪をまた横分けに撫で付けているから、玖月のおでこがプクッと丸見えになっている。話をしている岸谷の親指で前髪をすかれ、その指が、玖月のおでこをかすめる。 人の行動特性に合ったミス対策をするのが重要だと岸谷は言う。何だか難しいことだが、玖月がひとりでしている事務処理に、チェックを入れればいいという。 確認不足だったと言った玖月に、だったら何度かチェックをすればいいと岸谷は言う。 セルフチェックとダブルチェック、そしてチェックリストを作ってミス防止をするなどが手っ取り早く出来る対策だと教えてくれた。 「なるほど…チェックリストを作ってひとつずつ確認作業をするって、ミスを防止するだけじゃなく、気持ちもスッキリしそうです。いつも頭の中では、やってましたが、リストを作ったりはしていませんでした」 「玖月の丁寧な性格だと、チェックリストがあるとしっくりくるかもな。それと、玖月の仕事はよくわかんないけど…オンラインとか対面でヒアリングして相手の状況を聞くのもいいかもしれない。会話しないと伝わらないこともあるだろうし、相手側のニュアンスもあるんだろう。玖月のことだ、一度知り合いになれば親切で丁寧に対応するだろうし、一度顔を合わせると相手も安心するから案外心を開いてくれる。でもまぁ、その辺は予定を合わすのが難しいこともあるから、メールとかでいいのか」 ヒアリングと聞いて、見えなかったピースが見つかり、急スピードでパズルが埋まっていくような錯覚があった。 ずっとモヤモヤとしていたことが、やりたいこととして目の前に浮かんできた気がした。あまりにもしっくりきて、玖月は鳥肌が立つ思いをする。 人材コーディネーターとはいうものの、お客様も家事代行スタッフも、どちらにも玖月は会ったことがない。今まで書類の上だけでの付き合いをしてきた。 辞めていってしまう家事代行スタッフもいたり、契約を更新しないお客様もいた。 その度に、何故だろう、どんな事情で辞めることになったのだろう、契約更新しない理由は何だろうと、何度となく双方のことを考えたことがあった。それぞれ理由は色々とあるだろうが、その理由を玖月が知ることはなかった。 岸谷の言うように、ヒアリングを双方に取り入れたらどうだろうか。お客様と相性のいい家事代行スタッフを派遣出来るかもしれない。スタッフ側にもヒアリングをすれば、何か問題があっても回避できるかもしれない。玖月は色々と考え始めていた。 「おーい、玖月?聞いてるか?」 「優佑さん、何だかパズルが出来上がっていく気がします」 「ん?パズル?」 いつの間にか前髪ではなく、親指でおでこを撫でられていた。岸谷の手は相変わらず大きく、親指でおでこをくすぐられるのが気持ちがいい。 「明日、お客様に謝罪して、これからのこともお伝えしていきたいと思います」 「面と向かっての謝罪は怖いかもしれないけど、君の真面目で誠実な気持ちは伝わるはずだ。だけどな、忘れるな。毅然とした態度でいろよ。そうしたら上手くいく」 知らない人の家に行くのは心配だった。仕事とはいえ、万が一潔癖症が出たらどうしようとも思う。しかも謝罪だ。何を言われるか考えると怖い。だけど、岸谷の話を聞き、なんだか気持ちが安定してきた。 自分のミスを無かったことには出来ない。きちんと認めて謝罪し、これからの提案も出来るように準備をしようと思った。 こんなに前向きな気分になるなんて、自分でも驚くほどだ。スッキリとしている。 隣に座る岸谷を見るとジッと玖月を見ていたようで目が合った。この人が教えてくれたことを無駄にすることはなく、明日は全てやってこようと思う。

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