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第22話 玖月

陽子と知尋に報告をしなくては。それと平林に連絡を取らなくては。やることが次々と頭の中を巡り、気が焦る。 陽子と知尋にメールをすると、すぐに陽子から返信があった。少しだけオンラインで繋げられるかという内容が書いてあった。 パソコンを立ち上げて、オンラインルームで通話できるように準備をする。すぐに陽子と知尋がルームに入ってきた。 「玖月、どうだった?大丈夫?」 「大丈夫です。平林さんに謝罪して、そのままバスルームとキッチンの掃除をしてきました。それで、この後のこともお話して何とか許してもらいました。家事代行も継続していただけます」 二人は、よかったと言いホッとしているようであった。 「玖月、よくやったな。ありがとう」 知尋から褒められて、嬉しさが込み上げてきた。とはいえ、元は玖月のミスが原因だ。喜ぶことを抑え、気を引き締め直す。 「それで、これからのことというか、お客様に関することなんですけど…」 玖月は、これから自分がすべきこと、したいことを二人に伝えた。 平林が希望していた掃除の内容は、契約内容を見てもわかることだが、実際に本人と話をしてわかったことがあった。 他人に任せる家事代行サービスでは、苦手な場所の掃除をして欲しい、ざっと全体を掃除して欲しいなど、人それぞれ希望する内容が違い、細かいことは会話をしてわかることがあると感じた。 なので、オンラインや対面でお客様が必要としている家事代行サービスの内容を出来る限りヒアリングしたい。また、派遣するスタッフにもヒアリングをしたいと思っている。 ヒアリングは一度ではなく、定期的にお客様と派遣するスタッフの双方に行いたい。ヒアリングをすることで、お客様からの細かい要望に応えられるし、スタッフ達のケアも出来るはずだ。 今日謝罪に行った先の平林の話を伝え、彼には毎日快適に過ごせるように全力を尽くすと、伝えて帰ってきたことを二人に説明をした。 平林が希望する家事代行の内容とスタッフは確認出来た。だから、これからは全てのお客様に同じようにヒアリングをしたいと、繰り返し説明をする。 「今回のことで、僕がやっていたことを改めて見直しました。お客様からの要望が漏れないようにチェックリストも作りました。ですが、ヒアリングもさせて欲しいと思っています。ひとりで勝手な行動はしません。必ず報告します。相談します。だからお願いします。やらせてください」 陽子と知尋は黙って玖月の話を聞いている。 「よくわかった。だけど、お前はそこまでやらなくていい。ヒアリングをするのもこっちの仕事として営業に組み込むから。平林さんとの約束も継続してこっちでフォロー出来るようにする」 知尋にあっさり返されてしまった。それでは人材コーディネーターの役割が果たせない。何とか玖月は食い下がってみる。 「営業が契約してくれた仕事を、今度は僕がお客様とスタッフにヒアリングして、継続契約出来るようにします。対面やオンラインが難しい場合は、状況に合わせてメールやお電話をしますから。お願いです。やらせてください」 それでも知尋は渋っている。玖月の体調が悪くなった場合はどうするのかと聞かれる。今は症状が落ち着いてはいるものの、潔癖症は治っていない。何かあってからでは遅いと言われる。 話は平行線のところに、今まで黙っていた陽子が口を開いた。 「わかったわ。玖月に任せましょう。平林さんからスタートさせてね。それと、私も平林さんと事務所に改めて連絡しておく。だから、玖月の方も準備しておいて。連絡方法や状況など逐一報告してもらって進めましょう。報告は知尋と、契約してきた営業担当にして。何か問題が出たら都度修正していきましょう。それでいいわね、玖月も、知尋も」 「ありがとうございます。すぐに準備して報告します」 画面の向こうにいる二人に玖月は頭を下げた。 「おい…玖月、岸谷さんの家事代行も手を抜くなよ。そんなに色々やって大丈夫なのかよ…」 知尋はまだ渋ってはいるものの、陽子からの決定に従った。そしてやんわりと、岸谷の家の家事代行もしっかりやれと言われる。 オンラインを終了し、考えていたことをまとめる。平林に送りたい内容を知尋へ一旦メール送信し、確認してもらう。また、派遣するスタッフも選抜して一緒に報告をした。OKが出ればすぐに平林とスタッフに連絡を取り、家事代行サービスをスタートさせる。その後のフォローの日程もスケジュールに入れておいた。 集中して仕事をしていたが、やっと一息つける。大きく伸びをしていたら、ドアの向こう側から、カリカリという音と、クーンクーンと鼻を鳴らす声が聞こえてきた。静かにドアを開けてみると、そこには尻尾を振っているひまるがいた。 「ひーくん!今日はごめんね」 ひまるは、ワンっと元気に吠えて玖月に向い、ジャンプしてきた。しゃがみ込み体を撫でてあげていたら、顔をペロペロと舐められる。ドアの向こうで待っててくれたと思うと本当にひまるが愛おしい。 ひまるを連れてリビングに戻る。岸谷も掃除は終わっていたようだった。 「優佑さん、片付けしてくれてありがとうございます。ご飯にします?食べますか?」 「大丈夫だったか?終わったのか?」 仕事の心配をしてくれているようだ。ソファからガバッと立ち上がり、玖月の元に大股で歩み寄ってくる。 「優佑さんからのアドバイスがあったから、ヒアリングを双方にしたいってお願いしたんです。兄は渋ってましたけど、最終的にはOKもらえました。これから、お客様とスタッフのフォローを開始することになりました」 岸谷を見上げ笑顔で玖月は伝えた。やりたいことの一歩が進みそうである。それもこれも岸谷からのアドバイスと後押しがあったからだ。 「よーし!じゃあ、飯にするか。腹減ったな。玖月も腹減っただろ?昨日は味噌汁だけだったもんな」 「そう…ですね。何だかお腹空いてきました。あれ?さっき何か作ってましたよね?」 さっき帰ってきた時、岸谷はキッチンで何か作っていたようだ。それに、いい匂いもしている。この匂いは知っている。食欲をそそる匂いで玖月も大好きだ。 「カレーを作ったぞ。腹減った時はカレーだって言うし。つうか、カレーなら作れるだろって思ってな。玖月も腹減らして帰ってくるだろうと思って作ってみたんだ」 「うわっ!すごい!」 ふふんと、機嫌良くキッチンに入る岸谷の後に続き、玖月もポケットからマスクを取り出し、一緒にキッチンに並ぶ。玖月のことを気遣うような岸谷の発言が嬉しい。 「んなーっ!マジか…水っぽい」 お鍋の蓋を開けて、ガッカリと肩を落としている岸谷の横から、そのお鍋の中を覗き込む。確かに水分が多い気がする。野菜やお肉を大きなお鍋で煮込んで作っている。 「俺はカレーも作れないのかよ…」 「カレーって意外と難しいんですよ。でも凄いですね、この短時間で作るなんて」 「そんなことねぇだろ。なあ、これどうやったら食べれる?」 「えっ?このままでいいじゃないですか。美味しそうですよ。ご飯はありますか?お米です」 「やば!何もやってない…」 そういえばこの前、ご飯を冷凍にしたなと思い出す。冷凍庫をガサガサと探すとすぐに白米が見つかった。 よかった、これでカレーライスが食べられますよと岸谷に伝えるも、こんな水っぽいカレーは美味しくないはずだとまだ言っている。 それでも玖月は、岸谷が作ったカレーが食べたかった。玖月のことを考えて作ってくれたのだ。それを思うと胸が熱くなると伝える。岸谷は腕を組み困った顔をしていた。 「優佑さん、これ写真撮ってもいいですか?ダメ?」 「ええーっ…うん、まぁ、いいけど。SNSにアップする?ごめんな、玖月に作ってあげたかったのによ、カッコ悪いな俺。しかし、これってどうにかならんのか…」 岸谷が作ったカレーは水分が多く、いい匂いだけど味が薄いと岸谷は唸っていた。 「優佑さんはカッコいいですよ。それにこれは、僕にとって世界一のカレーです。ありがとうございます」 「ん?んん…嬉しいような、そうでもないような、複雑な感想だ」 僕は嬉しいですよともう一度伝える。だって、特別なようで、岸谷を独占出来たような気もする。それに、ひと仕事してきて誰かが作ってくれたご飯を食べれるなんて、なんて贅沢なんだと思ったからだ。 その日の夜、いつものようにドアの前まで岸谷に送ってもらい、部屋に入ってから 岸谷が作ったカレーの写真と一緒に『世界一のカレーありがとうございました。おやすみなさい』と書いてアップした。 岸谷の方は、ひまるの寝顔の写真と共に『どういたしまして。次はちゃんと出来るようにチャレンジします。おやすみ』というコメントがアップされていた。

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