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第23話 玖月

「お酒を飲む理由ってなんでしょうか?」 今日は高坂の家に、月に一回の家事代行で来ていた。いつものようにキッチンの掃除をし、昼食を高坂と二人で食べる。今日も、この家の空気は気持ちがいい。 「ほほう…最近、玖月くんは元気そうだし、ツヤツヤしてる。やる気が見えるようだよ。だけど、そんなことを考えているのかい?それにしては、今日も飲まないみたいだけど」 今日は和食。食事の締めには、味噌汁を出す予定だ。岸谷が好んでいる具沢山の味噌汁をここでも作ってみた。 ニコニコと笑いながら玖月の話を聞く高坂は、珍しく日本酒を飲んでいた。高坂は酒造メーカーの社長だが、いつも玖月とのランチではワインを好んで飲んでいる。だから、今日は非常に珍しい。 「今日はこの後、仕事があるので飲むのを控えてます。すいません。最近、仕事が楽しくて…少し考えていたことが会社の中で採用されたってこともあるんですけど。まだまだ未熟者ですが、やりたいことをやらせてくれて。ふふふ、何だか毎日楽しいんです」 あれから、玖月の提案が良い方向に向いていた。平林とのヒアリングも終えて、無事に優秀で平林の希望するスタッフを派遣することも出来ている。双方との関係も順調だ。 その後も次々とお客様とスタッフ両方へ、ヒアリングとフォローが進んでおり、玖月も忙しく動いていた。 「陽子ちゃんからも聞いてるよ。玖月くんが途端に仕事に前向きになり、やる気になって輝いてるって。自慢の息子さんだね」 「えっ…そ、そ、そうでしょうか…だとしたら嬉しいです。少しでも僕に出来ることがあればやりたいなって…思って」 「それで?どうしてお酒を飲む理由を考えてるの?」 更にニコニコとしながら日本酒を飲んでいる。 「あっ…いやぁ、あの単純に高坂さんがお酒を飲む理由って何かなって知りたくて」 「玖月くんは?最近飲んでる?」 「それが、最近、美味しいお酒ばっかりなんです。今までは潔癖症の症状も出るからひとりで飲むのが多かったんですけど、最近はある人と一緒に飲むことが多くて…それがびっくりするくらい楽しいんです。潔癖症も症状が出ないし。だからこの頃思うんです。お酒って何を飲むかじゃなくて、誰と飲むかってことなのかなぁって」 はははと、高坂が機嫌良く笑い出した。いつもニコニコとしているが、声を上げて笑うのは珍しい。 「玖月くんは良い酒を飲んでるみたいだね。そうだな、お酒を飲む理由って言われたら僕も同じことを言ってるかもね。お酒って面白いよね、不思議と誰かと一緒に飲むと自然にその人と仲良くなれるし、打ち解けることが多い。飲んでる時は楽しい、嬉しいだけじゃなくて、時には悩みや不安を話しながら飲むこともあるだろう。お酒がなくてもそんなこと話し合える人もいるけどね。それでも、人の想いを後押ししてくれるアイテムの中では、お酒は最高だし、世界共通だと思うよ」 高坂の言う通りだと思った。もちろん、お酒は好きだし美味しいなと単純に思う。だけど『一緒に飲む人』がいると、あの時飲んだあれ、美味かったなとか、あの時のご飯も美味しかったよねって、思い出すことも多い。 「ですよね。それだけ記憶が濃くなるんだと思うんです。楽しかったことや、二人で考えたこととか、お酒と共に鮮明に記憶に刻まれていくっていうか…それに、お酒を飲むと素直に認めることも出来るというか…あの、お酒を販売する理由も同じなんでしょうか」 岸谷が言っていたことを思い出す。スーパーのお酒コーナーで立ち止まり、呟き考えていた岸谷を玖月は思い出していた。 「ははは。今日の玖月くんは何だかとっても面白いね。そうだな…僕の中ではお酒を飲む理由の延長に、お酒を販売する理由はあるかな。いつどこで誰がどんなお酒を飲むのかは、その人の自由だし、人がどのお酒を選ぶかってのも自由だろ?だけど、人の想いを後押しするのを手助けはしたいと思っているよ。せっかく飲むんだ、最高の酒を提供してあげたいねぇ…どんな状況でも、あの時の酒は美味しかったって言ってもらえるように提供はしたいよね」 さすが酒造メーカーの社長、言うことも考えることもスケールが大きい。なるほどと、玖月は頷き前のめりで話に釘付けになる。 「ちなみに今日は何を飲んでますか?日本酒ですよね?珍しいですね」 「うん、そう。これはね、昨日もらったんだ。まだまだ若い酒だけど悪くないよ」 そう言って見せてくれたのは、岸谷の会社が販売しているお酒の『海』だった。それを見た玖月は慌てて伝える。高坂が飲んでいるのを見て嬉しさも込み上げてくる。 「それ!僕も好きです。『海』は美味しいですよね。えっと、白身魚とか合いますし、あっ、焼き鳥とかチキンにも合います。この前は魚の煮付けと一緒にいただいて、美味しかったです。このシリーズは他にもあるんですよ。全部僕は好きですね」 早口で喋る玖月のことも笑顔で見ていてくれる。高坂を前にするといつもホッとし、安心できるのは、岸谷を前にしても同じ感覚がありとても似ている。 だが、二人の違いはドキドキとしないことだ。高坂にはドキドキと心臓が波打つことはない。だけど、岸谷だとドキドキとし、最近はそれが特に多くなってきていた。 夜寝る前に、ドアの前で挨拶をする時。ドアから遠ざかっていく足音。SNSのコメント。どれひとつでも岸谷にはドキドキとしてしまうことがある。 帰り際に、上機嫌な高坂から「今日の酒は最高に美味しかったよ」と言われた。 玖月の方は、少し話し過ぎたと反省していたが、高坂は気にしていないようだった。 帰り道にSNSアプリを開き、岸谷の写真を確認すると『腹減った。今日の昼は忙しくてキャンセルだった』とコメント付きのコーヒーの写真がアップされていた。 玖月は急いで家に帰り、夜の献立を考え、メモに起こしそれをSNSにアップした。こんな日は、岸谷の好きなお肉をガッツリ食べさせたい。 すると、『今日の夜は肉だってよ!よし!早く帰れるように頑張る』というコメントと一緒に、岸谷の会社のお酒がアップされていた。 このやり取りも、くすぐったくて玖月は好きだった。クスッと笑うと足元にひまるが戯れ付き始めた。 「ひーくん、お散歩行こっか」 玖月の言うことがわかるひまるは、嬉しそうにリードを咥えて持ってきた。

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