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第24話 玖月

昼はキャンセルしたと岸谷のSNSを見た時に、今日の夜ご飯はお肉にしようと決めていた。玖月がSNSに上げたメモ書きの献立にも肉料理と書いてある。 いつもより少し早めに岸谷は帰宅した。帰ってきて早々に「腹減った」「肉だろ?」と嬉しそうに言いビールを飲んでいる。 「優佑さん、今日アップしていたお酒って会社のですよね?」 二人で夕食を共にするのはもう日常だった。岸谷と一緒にいると、潔癖症なんて本当にどこかに行ってしまったように感じる。 岸谷が今日SNSにアップした写真には、タグ付けがしてあった。 「I’m proud of you.」誇りに思う 「exclusively for ……」独占する 「beacon of hope」希望の光 という全て英語の名前でお酒が三本アップされていた。会社のお酒だとは思うが、玖月は見たことがないお酒だ。新商品なのだろうか。 「あっあれな、デザインと名前を変えたんだ。元は海、空、太陽だよ。来週から新しくして販売スタートする。まだ販売前だけど、俺のSNSとか会社のSNSで頻繁にアップする予定」 「ええーっ!」 玖月が好きなシリーズのお酒は、今までとは全く違うデザインと名前に生まれ変わっていた。 確かに、前の名前とデザインでは、「パッとしねぇな」と、ずっと岸谷は言っていた。 新しいデザインに変わったお酒は、スッキリとしたボトルになり、個性的で集めてインテリアにしたくなるようなデザインになっている。   「見た目もな、重要ですって社員に言われてさ。かっこよくオシャレであれば家に置いてあっても、雰囲気も崩れずにいいんじゃないかって、うちの社員から提案があったんだよ。女性達からは美味しいお酒でも、オヤジくさいデザインや安っぽいデザインが家の中で見えるところに置いてあるのはちょっと…って言われたし。だから、方向転換して生まれ変わってもらった。それに、名前も思い入れのあるものにしたんだ」 スマホで新しいデザインの写真を見せてくれた。海、空、太陽という名前から、全て横文字の英語の名前に変わっていた。  『海』という名前だった酒は『I’m proud of you』と英語の名前になっていた。全く別物のように生まれ変わっている。 「あなたを誇りに思う…って意味ですよね。すごい!優佑さんっぽくてすごくいいです。お酒ってやっぱり不思議。このお酒で後押しされる人って多くいると思う。名前も大切ですね。本当にそう思います。すごく魅かれます。こっちの『beacon of hope』は誰かにプレゼントしたいな…ああ、素敵です。優佑さん、すごい!」 ネーミングに興味を持ち、何だろうと手に取る人はいると思う。そこからリピーターにもなるだろう。それにこのネーミングだとプレゼントにもぴったりだ。 「なんか、すごい…このお酒をプレゼントされたら嬉しいだろうな。メッセージ性がありますし」 「まあな。何か特別な思いを伝える時があれば、その時にこの酒を使ってもらえば嬉しいし、気軽に飲んでる時の会話のキッカケになってもらってもいい。酒を販売する理由ってそこかなとも思ってるよ」 「優佑さん!何か飲みますか?週末じゃないですけど、作りますよ?」 食事中、ビールは飲んでいたが岸谷の新しい取り組みを聞き嬉しくなり、一杯だけお酒を飲みませんかと誘うと、岸谷から「乾杯しよう」と食い気味で言われた。 じゃあ氷を入れたグラスに『太陽』を入れて日本酒ロックにしようということになり、岸谷が率先して作り出した。日本酒ファンには邪道だって言われそうだなと、岸谷は言い笑っている。 「こっちの『太陽』は『 exclusively for ……』って名前になったんだ」 「うーん、この点々の意味がわからないです」 何だろう。意味が知りたいというのもネーミングの面白いところかもしれない。 「ここに何を入れるかは、その人の自由って感じかな。exclusively for you.だと、あなた専用ってことでグッと恋愛や人間関係に近くなるだろうけど、何を独占、専用にするかは、別に人じゃなくったっていいんだしって、社内で意見が出てさ。自由に考えてもらおうってことになったんだ」 「へぇ…それがこのお酒の名前なんですか」 「海外ではウケるかもってことになってさ。でも、意味なんてよくわかんないだろ?だから新しくこの酒の広告を作ることにしたんだ。広告を通して意味が通じるようにってさ。玖月知ってる?木又(きまた)(ゆう) って広告デザイナー」 「知ってます!知ってます!海外のデザインアワードとかで賞を取ってる人ですよね?あっ、ほら、あの食器のデザインもそうですよね。いつも話題になるし、カッコいいデザインを出すからSNSでも人気じゃないですか。僕、彼のSNSフォローしてますよ。えーっ?木又悠に広告デザインしてもらうんですか?すごい!」 その後の話も驚きっぱなしで、すごいしか言葉が出なかった。食事が終わって二人でソファに移動した。それぞれグラスを手にしている。週末の過ごし方のようだ。 岸谷の会社が広告デザイナーである木又悠に直接交渉したという。最初は営業担当や広報が交渉していたが、岸谷本人から木又に連絡をとる機会があり、そこからは結構個人的に親密な関係になったという。 「木又さんって、まだ直接会ったことないからオンラインかメールでのやり取りだけだけど、良い人だよ。俺も結構熱くなってさ、色々伝えたからウザいと思われたかと思ったけど、そうでもなかった。広告展開も来週からスタートすることになった」 そういえばさっき海外でウケると岸谷は言っていた。聞き逃してしまったので、改めて聞いてみる。 「優佑さん、そういえばさっき海外でウケるって言ってませんでした?海外って?」 「うん、そうなんだ。空港で販売する事が決まってさ。国内線と国際線、それDUTY FREEに置いてもらうことになった。だからこそ木又悠にデザインをお願いしたかったんだ。最高の形で、もう一度売り出したいって思ってな」 「免税店にも?全国展開どころか、世界進出じゃないですか!優佑さん、すごいです」 「いや、ここからがスタートだから。この後は時間をかけずにどんどん進めていくよ。だからさ、この後忙しくなりそうなんだ。もしかしたら帰って来れない日もあるかもしれない。あ、それと…ひまるがそろそろ自宅に戻りそうなんだ。彩の旦那の骨折も治ったらしくてさ。ひまるを連れていく日を調整中だよ。伝えるのが遅くなってごめんな」 ソファに座るといつも頭を撫でられる。今日も大きな手の親指で前髪をすかれ、おでこを撫でられる。 ひまるとお別れする日が近づいているという。岸谷の妹は無事出産し、子育てしながらの生活も順調そうだった。オンラインでひまるの様子を伝え、何度か会話をしたことがあるので、その様子はわかっていた。幸せそうだなと感じる家族である。 それに妹の旦那の骨折が治れば、ひまるが帰るのは最も自然なことだ。 ひまると離れるのは寂しいが、ひまるも家族が恋しいだろうし、随分と離れて暮らしているので、ストレスもたまってしまうかもしれない。 わかってはいることだが、ひまるとお別れだと考えると、なんとも言えない寂しさが胸に広がる。 「そうなんですか…いよいよ、ひーくんとお別れですか。でも、ひーくんも家族と離ればなれで寂しいだろうし、早く自宅に戻った方がいいですよね」 「彩がまた俺にひまるを頼むって言ってたから、ひまるがまたここに来る時は玖月に連絡するよ。一緒にドッグラン行こうぜ」 「本当に?是非是非。よろしくお願いします」 ひまるが帰るということは、玖月もここの仕事は終了となる。仕事では終わりとなるが、今の岸谷の言い方だと、プライベートで玖月を呼んでくれると言っているようだ。それはそれで嬉しくも思う。 「あっ、そういえば今日の仕事先でお昼ご飯を食べたんですけど、そこで『海』を飲んでました。ふふふ、僕、嬉しくなりましたよ」 「ん?今日?」 岸谷が玖月を撫でていた親指の動きが止まった。日本酒を飲みながら岸谷を見上げると、玖月をジッと見つめながら急に考え込んでいるようだった。 「玖月…今日、外の仕事だったよな?いつもそこで昼飯を作って一緒に食べるんだろ?」 「あ、はい、そうです。僕は飲まなかったですけど、相手の方は飲んでたので。その時『海』を飲んでました。美味いって言ってましたよ」 「ふーん」と急にトーンダウンした岸谷は、ソファに背をつけ座り直した。岸谷の手もおでこから離れていく。 何か余計なことを言ってしまったのだろうか。外の仕事の話はしない方がよかったと、後悔する。岸谷のプライベートの情報は出していないけれど、お酒の話はギリギリの情報だったかもしれない。それが、岸谷は気に障ったのだろうか。 「あの…」 「あ、いや、なんでもない。玖月、そんな顔するなよ。ちょっと考えてただけだから。ほら、な」 はははと笑いながらまた髪を撫でられる。よかったと玖月はホッとした。 もう一杯だけ飲むかと岸谷がお酒を作ってくれた。

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