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第28話 玖月

雨は昼過ぎから降り出して、今はザァザァと音を立てて降っている。散歩は午前中に行けてよかった。 玖月のベッドルームに入ると、昨日二人がもつれるように抱き合った形跡があった。恥ずかしくもあり、嬉しくもあるその形跡を黙々と片付けた。 岸谷のベッドルームも同じだ。二人の体温がまだ残っているような跡がある。嫌でも色々と思い出され、恥ずかしくなるが淡々と片付ける。 玖月がいつも使っている方のランドリーで洗濯しようとしていた。手に掴んだものをジッと見て動きを止めてしまった。 手に掴んだもの。 それは岸谷のTシャツだった。 いつもはお互いのランドリーバスケットに、それぞれの服や下着が入っており、それらはそれぞれの場所のランドリーで洗濯をしている。 だが、昨日は玖月の部屋で岸谷は服を脱ぎ、そのままにしていたから必然的に玖月のランドリーバスケットに岸谷のものが入っていた。 一緒に洗濯しようかどうしようか迷い、Tシャツを手にして悩んでいたら、岸谷の匂いがしたので思わず顔を埋めてしまった。 岸谷のTシャツから、昨日ベッドの中で抱きしめられた記憶が広がる。嬉しくて、会いたくてと記憶も忙しく巡りだす。 結局Tシャツは洗濯出来ずに、部屋の中で持ち歩いてしまった。こんなことではいけない。家事代行サービスの仕事として来ているのに、そう思っているが行動は考えと真逆となる。 人材コーディネーターの仕事をし、昼過ぎにひまると食事をとっていたら岸谷からメッセージで連絡が入った。『ちょっとだけ電話できるか?』という内容だった。『いいですよ』と返事をしたら、すぐに電話がかかってきた。 「玖月?今、大丈夫?」 「はい!大丈夫です!」 電話で話をすることはあまりないので、緊張してしまい、かかってきた電話を受けて、背筋をピンとさせてしまった。 「くくく…なんでそんなに元気いいんだ。今日は朝早くから起こしてごめんな」 岸谷の笑い声を耳にし、少し安心する。早朝、家を出て行った岸谷なので、仕事で何か大変なことがあったのかと、ずっと心配していたからだ。 「玖月、今日はやっぱり帰れそうにない。帰るのは明日…になると思う。とりあえず今日の夜にもう一度電話をするから、何時頃なら大丈夫?」 「夜ですか?何時でも大丈夫です。優佑さんの都合でいいですよ。今日はひーくんの散歩も終わったし、僕はどこにも行きませんから」 「おお、わかった。そしたら、夜電話する。その時に詳しく伝えるけど、急で悪いんだが、明日ひまるを連れて帰るって彩から連絡があった。明日の午前中にそっちに行くらしいから、ひまるが帰れる準備をしておいて欲しい。本当に急でごめんな。しかも、俺がいなくてすまん。悪いと思ってる」 ひまるが自宅に戻るとは昨日聞き知っていた話だが、こうも急だと心の準備が出来なくて慌てる。それでも、忙しい岸谷に余計な負担をかけないように気丈に振る舞う。 「わかりました。ひーくん、やっとご家族のところに帰れるんですね。今日はブラッシングして、明日帰れるように準備しておきます。こっちは大丈夫なので、優佑さんは心配しないでください」 夜にまた電話するよと言い残し、岸谷からの通話は終了した。 相変わらず雨はザァザァと降っていた。明日はひまるが帰るというから晴れるといいなと部屋から空を眺める。 「ひーくん、明日お家に帰るんだって。よかったね、みんなと会えるよ。僕はちょっと寂しいけど…」 ひまるをぎゅっと抱きしめた。尻尾をブンブンと振り、ペロペロと顔をたくさん舐められた。 「ひーくん!あはは、ちょっと…もう倒れちゃうよ」 ひまるが帰れるように準備を進めるため、色々な部屋を回り、忘れ物がないか点検をする。ペイントハウスは広いから、こんな時は大変だなと感じた。 家事代行の仕事のことなので、会社に連絡を入れておく。陽子と知尋にメールで報告をした。 『明日、岸谷さんのところの犬が自宅に戻ることになりました。岸谷さんは出張中なので今日はいませんが、明日には帰ってくるようです』 そう報告した後すぐに知尋から電話がかかってきた。 「玖月?岸谷さんとこの犬は明日帰るんだな?そしたらお前も明日には戻ってこい」 「えっ?ちー兄、明日?えっ、でも…」 突然投げられた言葉に動揺してしまう。明日には岸谷が帰ってくるとは思うが、このままではまた離ればなれになってしまう。 「なんで驚く。そうだろ?犬が帰れば契約終了って話になってたじゃないか。まあ、明日岸谷さんが戻って来て話してから帰ってきてもいいけどな。どうせ、お前の家は岸谷さんとこの下なんだし」 「…まぁ、そうだけど。でも、優佑さん今、北海道にいて明日も遅くなるかもしれないし、あっ、後で電話がかかってくるからその時に伝えとこうかな。明日、下の自宅に戻るって」 離ればなれとはいえ、自宅はすぐ下だ。何かあればすぐに来れる距離だし、それにここの家事代行が終了すれば堂々と付き合えるって岸谷が言っていたことを思い出し、前向きに考えを切り替えようとした。 「…お前さ、今、優佑さんって呼ばなかったか?それに電話?プライベートの連絡先を教えたんだな。下の自宅って言ってるってことは、お前の家、岸谷さんに教えたのか?何?そんなに距離が近くなってるのか?」 電話の向こうで知尋の怒りを感じる。しまったと思ったが遅かったらしく、立て続けに質問をされた。冷静で頭の回転が速い知尋がひどく怖い。知尋の勢いに玖月は黙り込んでしまった。 「客先で何やってんだよ。一線引いて付き合わないといけないってわかってないのか?友達じゃねぇんだぞ!相手はお客様でうちの会社と契約してるんだ。遊んでるな!いいか、明日絶対帰って来い。犬を引き渡したらすぐだ。岸谷さんにもこっちから伝えておく」 最後に凄い勢いで言われ、電話を切られた。 それからは呆然としながらも、知尋に言われた通り自宅に戻る準備も始める。 玖月の契約も終了する時がきたようだ。

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