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第29話 玖月

岸谷に会えなくなると悲しくなるが、自分の自宅はすぐ下だしと、気分を無理矢理上げたりとしているうちに夜になった。 ひまるとも明日お別れになるから、部屋の中でも必要以上に玖月からべったりとくっつき戯れあっていたが、ひまるは眠くなったようでトコトコとひとりで寝に行ってしまった。 岸谷もいなく、ひまるも寝ているこの部屋は広く感じ寂しい。洗濯が出来なかったTシャツを握りしめていると、岸谷からメッセージが入った。『電話していいか?』と書いてある。 時刻は深夜0時。遅い時間だ。こんな時間まで仕事をしているんだなと思うと、余計な心配はかけたくなくなる。昼間、知尋に言われたことは簡単に伝えようと思い、『電話、大丈夫です!』と元気なメッセージを返した。その直後、岸谷から電話がかかってきた。 「玖月?遅くなってごめんな。そっちは大丈夫?」 「大丈夫ですよ!問題ありません」 ひまるが寝ているから小声で話し始めると、岸谷からどこで通話をしているかと聞かれた。リビングだと答えると、もう遅いからベッドに行くようにと言われる。 「優佑さんのベッドに来ました。このままここで寝ますから」 「今日も全裸になるだろ?真っ裸になってベッドの中に入りなよ」 笑い声が耳に残る。もう…と言いながらもベッドに入るために服を脱ぎ始めた。下着姿になり、そのままベッドの中に入る。 「ベッドに入りました。下着は付けてますけどね」 「ああ…残念。そっちに帰りたかった。昨日の今日で、おあずけなんてたまんねぇよな」 揶揄うような話から、ひまるの話になる。明日の午前中に迎えがくるそうだ。荷物はまとめてあるし、後は迎えるだけだと玖月は伝えた。とりあえず、ひまるを送り出したら岸谷に連絡することを約束した。 「それと、優佑さん、仕事大丈夫ですか?朝早かったし、夜はこんなに遅くまでじゃないですか」 「うーん、そうなんだよ。ちょっと大変でさ。まぁ、ちょっとだけな、大変なのは」 今朝早くに呼び出しをされたと言っていたのは、これから名前を変えて売り出しするお酒の先行販売についてだったという。 来週から空港で販売が決まっているので、会社や岸谷個人のSNS等で宣伝をしていたところ、広告デザインをお願いした木又悠もSNSに岸谷の会社のお酒をアップしたらしい。 木又宛にと、岸谷が事前にアメリカの個人宅にお酒を届けていたため、それを受け取った木又が写真にとりアップしたようだ。 広告は来週からスタートする。その広告のお酒が気に入った木又から、自分のSNSにアップしていいかと相談が入り、どうぞよろしくお願いしますと答えたと岸谷は言う。 木又悠の広告は日本でもアメリカでも大人気であり、彼のSNSも注目されている。そして、今アメリカでは空前の日本酒ブーム真っ最中だ。木又のSNSを見た人達から問い合わせが殺到してしまい、急遽、先行販売をネットで開始することになったという。 「す、すごい!優佑さん、凄いですね。やりましたね」 「そうなんだ。嬉しい悲鳴なんだけど、バタバタしててさ。今日も木又さんと早朝にオンラインミーティングして、千歳行きの飛行機も時間を遅くに変更したんだ。だから今日帰れなくなっちゃって、ごめんな。それと、来週は急遽アメリカに出張も入っちゃって…中々時間が取れなくて本当にごめん。明日は帰れるから」 「大丈夫ですよ!こっちは気にせず全力でやってきた方がいいですよ。うわぁ、本当にすごい!あのお酒はすごく美味しいからファンもたくさん増えますよ」 岸谷は忙しく大変な日々が続きそうであるが、話題になり、人気になれば嬉しいかぎりだ。岸谷が考えている『お酒を販売する理由』が形になっていると感じる。 「それとさ…あのSNSあるだろ?俺の個人のやつと玖月のやつ。俺らがさ、ちょっとだけ話題になってるの知ってるか?」 「えっ?写真アップしてるSNS?」 毎日お互いのSNSで写真とコメントをのせる遊びを楽しんでいるが、それが話題になってるという。理由を聞き玖月は驚いた。 新しく生まれ変わったお酒をSNSで宣伝した岸谷個人のアカウントが、木又のおかげで更に人気になり、フォロワーが増えたという。木又がアップした写真に、岸谷のアカウントをタグ付けしていたからだ。 岸谷をフォローした人達の中には、過去にアップした写真を遡って見ている人がいたらしい。 そこで、何となく個人的なコメントが多くあるのがわかり、岸谷のフォロワーやフォローしてる人から玖月が特定され、岸谷が出している個人的なコメントは玖月に向けてのものであり、また玖月の方も岸谷のコメントへの返事をSNSにアップしているとわかったようだという。 二人がしている遊びが、世間に知れ渡った感じだろうと、岸谷は言っていた。 「だから、玖月のアカウントも人気になってるはずだよ。木又さんも玖月のアカウントをフォローしてるし…」 「ええーっ!うそ!あの木又悠がっ?」 「おい…そんな大きな声出してひまる起きないか?あはは、そうなんだよな。木又さんにも言われちゃってさ、恋人とSNSでやり取りしてて楽しそうですねってさ…バレちゃったっていうか。でもさ、まぁ悪いことしてるわけじゃねぇし。明日も俺は玖月にコメントと写真をアップするよ」 どうやら世間で岸谷と玖月のやり取りは『萌える」『キュンとする』という声が多いらしい。「後で確認してみな。フォロワー増えてるから」と岸谷に言われ唖然とする。 「とにかく、何にも問題はないよ。SNSだって会社のやつじゃなく、個人のだし、浮かれててもいいだろ?うちの秘書とか社員からは、社長が恋人に甘いって揶揄われたよ。イチャイチャしてるとか言われてさ。そうか?そうかもなって言っといたけど。後は恋人が料理上手で羨ましいとも言われたし」 「えっ、みんな知ってる?本当に大丈夫ですか?会社とか仕事に影響が出るんじゃないですか?」 「そんなことで影響出るような仕事してないから大丈夫だよ。全部本当のことだし、心配するな。それより毎日楽しみにしてるってみんな言ってたぞ。女性からは特に言われる」 あはははと、また豪快に笑っている声が聞こえる。おおらかというか、大雑把というか、岸谷といると玖月の悩みや心配なんてどれもこれも小さいものだと吹き飛ばしてくれるほどだ。本当に岸谷は大きな人で、器も大きいと思う。 「後は、そっちに戻ったら荒木さんにご挨拶に行って…どうしようか、俺のところで一緒に暮らすか?」 岸谷は笑いながら、これで、やっと荒木さんに報告にいけるよと言っている。 「あの…実は今日、兄から電話がありまして…」 「ああっ!そうだ、俺のところにメールあったぞ。ひまるが帰るから家事代行サービスの契約は明日で終了って書いてあった」 知尋が怒っていることは伏せて、明日一度自宅に戻ると岸谷に伝えた。 家事代行サービスの契約は終了しても、別に急いで帰ることはないだろうと岸谷は言っていたが、仕事とプライベートの区切りをつけるため、一度きちんと自宅に戻ると、玖月は伝えた。 連絡を取ろうとすればすぐに取れる。それに玖月の自宅は下にあり、すぐに会いに行けるからと、明るく岸谷に言った。 「だから、明日ひーくんを送り出してから掃除して、洗濯して、あっ、とりあえず冷蔵庫の中の物、調理しておきますね。優佑さんが帰ってきてすぐ食べれるようにしておきます。冷蔵庫か冷凍庫に入れておくので。それと、鍵は置いておきます。ひーくんが怖がる自動ご飯マシーンの中に入れておきます。優佑さんが帰ってくる前に僕は自宅に戻ってるので、びっくりしないでくださいね」 「えーっ…鍵は持ってろよ。別に返さなくてもいいだろ?玖月が一度帰るのも本当は嫌だけど、ケジメをつけるためには仕方ないもんな」 「だからこそです。ケジメをつけるために鍵は返しておきます。連絡くれれば会いに行けますから」 「まぁ、そっか。じゃあとりあえず、明日そっちに戻ったら連絡するから。俺が会いに行くよ、玖月の部屋まで。下だろ?連絡したら教えてくれよ。そこまで行くから」 「はい、わかりました。でも忙しかったら無理しないでください。ふふふ、部屋を掃除しておきます。それと…ちょっとお願いしてもいいですか?」 「ん?」 「昨日、優佑さんが着ていたTシャツがどうしても洗えなくて…今、ベッドの中まで持ってきちゃってるんです。今日、これを着て寝てもいい?仕事でここに来ているから本当はこんなことダメなんだけど…」 寝る時に何か着て寝るのは苦手だけど、今日はひとりで寂しい。岸谷の匂いがするTシャツを着て眠れば抱きしめられているような気がして、少し寂しいのが紛れると思う。ベッドのシーツ類は全て洗濯したので、岸谷の匂いが残るものはこのTシャツしか今はない。そう伝えたのに、岸谷からの返事は聞こえない。 「えっ?もしもし?優佑さん?聞いてる?」 「…聞こえてる。んなーっ!なんで俺がいない時にそんな可愛いこと言うんだよ!真っ裸よりめっちゃエロいじゃないか。俺の!俺のTシャツ着て寝る?ああ!」 「別に…エロくはないでしょう…」 エロい!エロいだろ!早く帰りたいと岸谷は言う。 「ヤバい…ヤベェ…勃ってきた。昨日のこと思い出した。玖月、今度会ったら俺のTシャツ着てくれよ?約束だぞ?」 「ええーっ…なんで?じゃあもう寝ましょう。明日も早いですし。また連絡します。メッセージ送りますから」 興奮して喋りまくる岸谷を何とか宥めて電話を切った。 ベッドの中から起き上がり、岸谷のTシャツを着た。これでもう寂しくない。岸谷とのやり取りを思い出し、クスクスと笑いながら寝れそうだと思う。

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