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第35話 玖月
ひまるが帰った日、岸谷は出張先の北海道から自宅に戻り、玖月に連絡をしたが繋がらなく焦ったという。
メッセージを送っても既読にはならず、電話ももちろん繋がらない。SNSにコメントをつけてアップしても、いいねは付かなかった。
玖月に何かあったとすぐにわかった。
だから、家事代行サービスに連絡を入れた。連絡を入れながらも、出張から帰った翌日の日曜日は玖月を探して歩いたようだ。
岸谷の自宅の下に住んでいるのは知っている。だけど、部屋番号はわからない。一階のエントランスに座って待っていたり、スーパーに行ってみたりと一日中近所を探し、玖月を待っていた。
それに休日だからか、家事代行サービスから返信はなく、電話をしても繋がらない。陽子の連絡先はすぐにわからず、途方に暮れていたという。
アメリカに行く日がすぐに迫っていたため、翌日の月曜日に直接、家事代行サービスの会社に岸谷は出向いた。そこで知尋に会ったようだ。
「兄に会ったんですか?」
岸谷の話を聞いている玖月の顔が厳しくなる。
「うん。知尋くんに何とかお願いしたんだ、玖月に会わせてくれって。俺の玖月に対する気持ちも伝えたけど、門前払いだった。ほとぼりが冷めれば、一過性の熱は冷めるだろうってな。それに仕事で行っているうちの者に、何してくれてんだって言われてさ。本気で謝罪したよ。だけど、玖月を好きになってしまった。好きだという気持ちは変わらない。それは認めて欲しいって伝えて。俺さ、しつこいだろ?だから食い下がったんだ。それで、玖月に会わせてはくれないけど、なんとか知尋くんの連絡先だけもらって、毎日メールでお願いしてた。アメリカからも毎日。しかも長文送ってたから最後は嫌がってたな」
知らなかった。知尋からはそんなこと言われたことも、聞いたこともない。玖月はずっと、岸谷から連絡がないと思っていた。
もう二度と会えないかもしれないと思って、毎日味がない日を過ごしていた。
「そんなこと知らされなかった。優佑さんからは連絡がないと思ってた」と玖月が不貞腐れて呟くと「そんな顔しないでくれ」と頬を撫でながら言う。
毎日毎日メールを送っているうちに、知尋の態度が変化してきたという。
最初は岸谷の一方通行だったメールに、知尋から返信が入るようになった。
何度連絡してきても玖月には会わせないという内容が返信には書いてあった。だけど、最後は毎日返信がくるようになったという。
「俺がさ、アメリカにいるから玖月のこと近くで見れなくて心配だから、何とか元気で会えるように見ていて欲しいって送ったら、お前より俺の方が玖月を見てるから心配なんか勝手にするなって、えらい怒った返信がきてさ。ああそっか、コイツも俺と同じように玖月のこと大切なんだよなって、兄だもんなって妙に納得しちゃってさ。だから、そうか、よろしく頼む、帰ったらすぐに迎えに行くってまたメール送ってさ。そしたら、お前ちゃんと話聞いてんのか?よく読め!って書いてあってさ」
はははと岸谷は思い出したように笑っている。
「知尋くんは知尋くんなりに玖月を心配していたんだと思う。仕事で行った先の家主がスタッフに手を出すなんてさ、まぁ…あっちゃダメだよな。それで、お前みたいな奴は信用できない、こっちで玖月は幸せにさせるって、すげぇ勢いのメールの返信もあってさ。それについては俺も謝ったよ。そりゃそうだよなって」
「そんなの…僕の気持ちは、ちー兄に決められたくない。それに、優佑さんからの連絡があったって僕に伝えないのはひどい」
「違うよ。俺が信用ないから」と、岸谷に手をぎゅっと握られる。そんな顔するなよと言い、また頬を撫でられる。
「アメリカから帰る日を知尋くんに伝えたんだ。だから帰ったらすぐ玖月を迎えに行くから会わせてくれ、どこにいるか教えてくれって頼んだんだ。そしたら最後にアイツ、それが本気なら俺に頼まなくても探し出せるだろって言うんだよ。玖月がいる場所は教えなくったっていいだろ、俺はまだ認めていないって」
岸谷も相当切羽詰まっていたのだろう。途中、知尋のことをアイツと呼んでいるのがちょっとおかしかった。
「だからさ…ちょっと卑怯かなって思ったけど、親父のこと使ったんだ」
「高坂さんがお父様ってこと?」
うん、と岸谷は頷いていた。
岸谷と高坂では苗字は違う。本当に親子なのだろうか。それに、玖月が今日高坂の家にいるのがよくわかったなと思う。
「玖月が月に一度、外の仕事で俺の家から家事代行に行ってただろ?途中から、ん?って思うことがいくつかあったんだ」
岸谷は高坂の家で月に一度、食事会をしているそうだ。食事会はシェフを呼んで行うようだが、その食事だけでは満足しなかった岸谷が、冷蔵庫の中を覗いたら作り置きのご飯を発見したので食べてみた。本当に偶然だったと言う。
「食べたら玖月の作る飯に似てるなって思ってさ。一度気になったら知りたくなって、そこからが始まりかな。かまかけて親父に聞いてみたり、うちの日本酒を置いて帰ったり、色んなことやって確かめたんだ。親父はあの通り、食えない性格だから中々教えてくれなかったけど、家事代行を使ってるってことだけ教えてくれた。でも、決めては玖月が家事代行で行った家主が『海』を飲んでいたと言った時かな。あの時、ネーミングを変えるからもう『海』は市場から引き上げてたんだ。だからあのタイミングで『海』があるのは親父のとこだなって。ああやっぱり親父のところに玖月は家事代行に行ってるんだなってわかったんだ」
高坂は離婚しており、子供である岸谷と彩は奥様が引き取ったそうだ。だから苗字は違うらしい。
離婚はしたが、父親であるためその後も交流は続き、大人になってからも月一で会う関係になっていると言っていた。
「知尋くんにお願いしても、玖月にすぐ会わせてくれなさそうだから、親父を使って何とか玖月に今日会えるようにしたんだ。親父に家事代行サービスを使う日を教えろって言って、来週だとかなんとか言うから、今日に変更してくれってアメリカから連絡してお願いしたんだ。色々文句言ってたけど、ここに家事代行で来る人は俺の好きな人で、大切な人なんだって親父にも言ってある。紹介するからって言ったら、驚いてたけど、まあ、何となくわかったと思うよ。それに今日はずっと親父とメッセージでやり取りしてたから、玖月がここに来たのもわかってたよ」
まだよく整理がつかないが、岸谷と自分の気持ちに変わりはなく、迎えに来てくれて、会いたいと思っていたことに間違いはないとわかった。
「だから、ごめんな。俺がもっと準備よくできて、隙がなければ不安にさせることもなかったのに」
岸谷が椅子から立ち上がり、まだ座ったままでいる玖月をすっぽりと抱きしめる。
「会いたかった…優佑さん…ずっと、ずっと寂しくて不安だったけど…ずっとずっと優佑さんが大好きな気持ちのままだった」
涙が止まらなかった。岸谷のスーツに顔を埋めているから、涙のシミが出来ちゃうと思うけど、岸谷が抱きしめてる手を緩めてはくれない。
「好きだよ…玖月。ずっと君だけを想っていた。離れて不安だったのは俺も同じだよ」
マスクの上からキスをされた。岸谷を見ると笑っていた。つられて玖月も笑い返す。
一緒に生活をしていた時を思い出す。いつもキッチンでは、マスクの上からキスをされていた。不意打ちのキスをされていつも驚いていた。
不安にさせて、心配させて、大好きにさせて。やっと会えたのに、またあの頃を思い出させて。それでもまだ大好きで。
マスクを外して玖月から岸谷にキスをした。玖月からのキスに岸谷は驚いた顔をしている。
いつも驚かされてばかりなので『ふふん、してやったり』と思うが上手く笑えず、また涙が溢れてしまった。
「玖月、もう離さないよ。俺と一緒にいてくれる?」
抱きしめられて、うんと頷く。
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