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第36話 玖月

「す…すいませんでした。遅くなりました」 「よかった…忘れられちゃったかなぁって思ってたよ。あっ、いや、遅いって言ってるんじゃないよ?大丈夫、大丈夫。さあ、食べようか、お腹すいたね。玖月くんも一緒に食べれる?うんうん。そっか、そりゃよかった。あっ、美味しそうだね」 キッチンでは、大急ぎでリクエスト通りの料理を作った。途中、岸谷も手伝うと言っていたが「今はそこに座っててください!」と言い、玖月ひとりフル回転で作り上げた。 料理はひとりで作ったが、ダイニングに運ぶのは岸谷に手伝ってもらっている。三人分の料理を、何とか短時間で作れたと思う。 好きな人に再会でき、話を聞いている途中だったが、今は仕事中である。他のことより、仕事に集中。職務を全うしなくては、いけない。 そして何よりも、改めて高坂と顔を合わせるのは恥ずかしさを感じる。高坂が岸谷のお父様だと知ったというのもあるが、さっきのやりとりを見せてしまっているからだ。 ダイニングに戻ってすぐ岸谷は「親父、改めて紹介する。玖月は俺の恋人で大切な人だ」と、堂々と高坂に伝えていた。 隣でテーブルに食事を並べていた玖月は驚き「うわぁぉ」と声を上げてしまったが、お味噌汁のお椀を、ひっくり返さなくてよかったと思っている。 動揺しているのは玖月だけのようで、岸谷の言葉を聞いた高坂は「あっそう。何?喧嘩してたの?」と軽い調子だった。 息子である岸谷の恋人が玖月であり、同性だと知っても、特別何か言われるわけではなかった。陽子と同じ反応のようである。 高坂は「ふーん…それより優佑、俺は玖月くんとの食事を毎回楽しみにしてるんだから、早く食べよう」と言い、三人で夕御飯をとることになった。 ◇   ◇ 「腹減った〜。久しぶりの玖月のご飯だ。おっ、これ好きだよ。美味い!やっぱり俺のドストライクだな。うーん、美味い」 さっきまで真剣な顔をしていた岸谷は、今は目一杯ご飯を食べて飄々としている。食べっぷりがいいのでお腹が空いていたようだ。 高坂も岸谷と同じような顔をして食べている。玖月は二人をこっそりと眺めた。 「玖月くん、マスクも手袋も外れて良かったね。それってやっぱり心の持ちようなのかな。っていうか、優佑…これからどうするんだ?あっ、玖月くん、僕もこれ好きだよ。具沢山のお味噌汁」 「ああ、うん…今日はこれから玖月と一緒に荒木さんのところへ挨拶に行く。真剣にお付き合いしますってお伝えしてくるよ。玖月いい?挨拶に行ってそのまま一緒に俺の家に帰ろう」 あっちこっちに会話は飛んでいき、突然二人に話を投げかけられ、それぞれに向かいうんうんと玖月は頷く。 二人共、美味しそうに食べてくれているが、玖月は上手くご飯が喉を通らない。 だけど、食べないとなればきっと二人から心配されるだろう。だから何とか懸命に食べていた。 「そうだね、ご挨拶は早い方がいい。玖月くんを、ちゃんと大切にしますって言ってくれよ。それにしても、お前は…もう玖月くんを泣かせるようなことはしないでくれ。今日は痛々しくて見てられなかったぞ。玖月くん、大丈夫かい?あっそうだ、明日は休みだし、今日は飲まない?お酒、一緒に飲む?優佑は車だから飲まないだろ?」 「あっ、あの、」ビールは出していたが、次のお酒のリクエストを聞かなくちゃと 玖月が席を立とうとした時、遮るように岸谷が口を開いた。 「玖月、いいよ、もう酒は出さなくて。親父、もういいだろ。邪魔するなよ。明日は休みでも、荒木さんのところに今から行くんだから飲まないよ。今日は帰るけど、また近いうちに来るから」 「何を言ってるんだ。俺は、玖月くんと話をして一緒に食事をするのを楽しみにしていたんだ。お前の方こそ邪魔をするなよ」 「もう、いいから早く食べろよ」と、岸谷は言いながら夕御飯を平らげている。 高坂は「お前は本当にかわいくないな」と口では言っているが、息子との食事は嬉しそうだった。 似ている。 高坂と岸谷はよく似ている。 これから玖月の母に、挨拶に行くという岸谷は、恐らく少し緊張しているようだった。 その緊張をほぐすように、わざと高坂は岸谷にふざけてつっかかっているように見えた。 岸谷の方も、ぶっきらぼうな物言いだが、高坂のことを気にかけている節がある。 頭の回転が速い二人は、お互いの状況をすぐに理解して順応しているんだろう。 岸谷と玖月が会えなくなり、離ればなれで不案な日々から、玖月の潔癖症はぶり返してしまった。 今日、玖月に会って高坂にはそれがすぐわかっていたと思う。 それに玖月の潔癖症は、本人の気持ちの問題で症状が大きく左右されるということがあるのではないか、とも言われた。高坂には、よく見られていると感じる。 そんな玖月を落ち着かせるために、ダイニングで気持ちを聞いていたんだと、玖月は考えていた。 「高坂さんと優佑さんはすごく似てますね...親子だったと聞いて納得します」 「えーっ」 「ほぅ...」 と、二人から同時に驚かれた。 「ふふ...似ています。今日は一緒にお酒が飲めればよかったですけど...すいません。 次回があれば、是非よろしくお願いします」 何だか胸に挟まっていたものが、すとんとどこかに落ちたような気がした。 「玖月、親父にそんなこと言うと、嬉しくてすぐに予定入れちゃうぞ」 岸谷が苦笑いをして、高坂と玖月を交互に見ていた。 「じゃあ、いつにする?」 ちゃめっ気たっぷりの笑顔で高坂に聞かれた。

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