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第46話 岸谷※

プライベートは順調だし、仕事も好調だ。何も言うことはなく、問題もない。 あとちょっとで今年も暑い夏がやってくる。玖月と過ごす初めての夏だから、楽しみにしてる。夏休みはどこか二人で旅行に行ければと考え、岸谷は浮かれている。 今日のランチはコンビニのおにぎり。会社のデスクで食べる。昼はこれだけにして、夜に玖月とゆっくり食事をする予定だ。 玖月のSNSを見ると、夜ご飯はイタリアンにしようかなというコメントと、献立のメモがアップされていた。それを見て『いいね』を送り、コンビニでおにぎりを買ってきた。だから昼はこれだけにしておく。 玖月との生活は以前よりも快適に過ごせている。それは、恋人という関係になったのが大きい。 恋人との生活は毎日が楽しく幸せを感じ、色々な発見もある。それが二人には新鮮であり、案外合っていたようだ。窮屈に感じることはない。 玖月の潔癖症は、あれからずっと影を潜めている。そのことについて、二人で話をしたことがあった。 玖月のルーティンは色々とあるようだが、岸谷との生活はストレスを感じることがなく、ライフスタイル上で許せることも多くなり、自分で制限していたマイルールがかなり更新されたと言う。 岸谷に「甘えることが多くなっちゃったかも。わがまま言ってたらごめんね」と、ちょっと困ったような、心配顔で言う玖月がかわいかった。 「そんなことないよ!わがまま言って!」と食い気味に返事をし、力強く玖月の身体を引き寄せ抱きしめてしまったが、内心は甘えてくれてるんだ…と、岸谷は嬉しく思い感動していた。 毎日、慎ましく丁寧に暮らしている玖月が、唯一甘えてくれるのは俺か、俺だけだな!と思うとニヤニヤとし、ニヤけが止まらなかった。だらしない顔をしているだろうが、それでもいい。 いずれにしろ、家の中では自由に、自分の好きなように過ごせているようで安心している。 ライフスタイルといえば、基本的に玖月は在宅ワークだが、岸谷は毎日会社に出勤している。 朝は玄関でキスをしてから出勤し、帰宅した時は「帰ってきたよー!」と両手を広げて玖月を胸に迎え入れる。玖月の方も、岸谷が帰宅すると、タタっと笑顔で駆け寄って、キスをしてくれる。好きな人が家にいるって最高だ。 なるべく食事を一緒に取り、休日はキッチンに二人で立ち、夜は同じベッドに二人で全裸で寝ている。 毎日、キャッキャッと笑っている玖月を目を細めて見ているのが、この上ない幸せだと本気で岸谷は思っている。 バカップルと言われてもいい。いい年をしてと笑われても全く気にならない。誰に何を言われても、この幸せを続けられればいいと思っている。 それに家の中だ。誰も見ていない。だからこそ、大胆にイチャイチャとすることができている。あんなこともこんなことも出来るのだ。 そんなことを考えながら食べていたランチのツナマヨのおにぎりは、あっという間に食べ終わってしまった。 次は梅こんぶに手を伸ばす。おにぎりにかかっている薄いセロハンを剥がしながら、充実している生活を振り返り、次は密かなる計画をと、沸々考えていた。 自宅であるペイントハウスは広い。部屋数もそれなりにある。以前、玖月が使っていたゲストルームやランドリールームもあり、横に長く部屋が続いている。 ひとりで住んでいた時は、掃除がめんどくさいなと思っていた部屋数だが、今はその多い部屋も有意義な使い方をしている。 先週は、リビングとバスルーム、それとゲストルームで抱き合った… 岸谷はネットで箱買いしたローションとコンドームを、各部屋にこっそりと置き、スタンバイさせていた。 仕事から帰ると一緒に風呂に入ろうと岸谷が誘う。二人で入るバスルームは必然的に抱き合うことになると玖月もわかっているようで「一緒に入ってもいいよ」と言う時と、「今は忙しいからひとりで入って」とやんわり断る時がある。 断られず一緒に入ってくれる時は、バスルームで岸谷とのセックスを受け止めてくれていた。 リビングもそうだ。二人ソファでくつろいでいるうちに、キスをし始め玖月の身体を弄り、イチャイチャとしてしまう。 ツンと尖った乳首をいじると、身体をくねらせる。そんな玖月を膝の上に乗せ、ソファの上でセックスをした。 バスルームやソファ近くに、ローションを隠しておいてよかったとつくづく思う。雰囲気をぶち壊すことなく、サッと取り出せるからだ。 突然出したローションとコンドームを「隠しておいた」と玖月に素直に告白すると、苦笑いはするものの、文句は言わず許してくれている。 そしてこの前の週末は二人で酒を飲み、久しぶりに手を繋いでゲストルームまで行こうと岸谷が誘った。ゲストルームは、玖月が家事代行で来ていた時に使っていた部屋だ。 恋人になるキッカケを作ってくれた部屋では、初めて玖月の身体を触れ合った日を思い出す。 手を繋ぎながら二人で部屋に入ると、玖月が教えてくれたことがあった。 「いつもこの部屋のドアを閉めた前で、向こう側にいる優佑さんの足音が部屋の前から遠ざかっていくのを耳を澄まして聞いていたんだ。部屋の前からいなくなっちゃったって、さみしく思ってた。ふふふ…」と、玖月に告白され岸谷は胸が痛くなるほど締め付けられ、ぎゅっと強く抱きしめてしまった。 そんなかわいいことをあの時思っていたのか!と喜ぶ反面、寂しい思いをさせてしまったと胸も痛む。 改めて教えてもらったら、心がザワザワと動き始め、玖月を抱きしめてベッドの上で何度もキスをし、好きだと伝えた。 「俺だって、閉められたドアの前から自分の部屋に帰るのは寂しかったんだぜ。あーあ、玖月は部屋に入っちゃったかって、いつかこの部屋に入れてくれねぇかなとか、今日も入れなかったかとか、毎日思っててさ…どうやったら入れるかなって部屋に戻ってひとりで考えてたよ」 ベッドの上であの時の気持ちを玖月に伝えると、嬉しそうにケラケラと笑っていた。 当時はこう思ってたと告白するのは少し恥ずかしいと、恥じらう玖月の姿を見て、岸谷の下半身には熱が集まってきた。 上から覆い被さり唇や頬、顔中にキスをし、下半身をグリグリと押し付けていたので、その熱が玖月に伝わったようだった。 「もう…ここにも置いてあるんでしょ?」と玖月に言われたので「うん」と素直に頷き、その部屋に配置してあったローションとコンドームを取り出した。 ゲストルームではあの頃を思い出し、興奮して何度も求めた。玖月を翌日起き上がれないほど、グッタリと疲れさせてしまった。 あの時出来なかったことが、今だと出来るって、なんて幸せなんだと実感する。 変態、絶倫、スケベ、と言われるかもしれない。だけどずっと玖月が欲しかったのは本当だ。玖月に同意を得て全身で愛せるようになった今では、タガが外れたので、底なしの性欲になり自分でも呆れている。 そう。 今、岸谷は密かに実行していることがある。 それは岸谷の想い出から生まれた、密かなる計画だ。ペイントハウス中で、玖月と愛を語り合うことを目的とした計画である。 全ての部屋という部屋で、玖月に愛を語りたい。あの時こんなことを思っていたんだ!と伝えたい! そしてペイントハウスの全部屋を制覇したい!だって、俺は全ての部屋で玖月に触れたいと、あの頃考えてたんだから! と、絶賛変態活動中の岸谷はペイントハウスを思い出し、会社のデスクで鼻息を荒くしていた。 もう一度言うが、変態、絶倫、スケベ、しつこいと、言われるかもしれない。わかっているが、玖月を愛するあまり行き過ぎる行為をしてしまう時があり、少々気をつけている。 玖月との思い出を振り返りながら、色々な場所で愛し合うためにと、岸谷はスムーズに計画を実行したいあまり、あらゆるところにローションとコンドームをスタンバイさせている。密かなる計画には綿密な手配が必要だ。 イチャイチャが始まり、いざ愛し合おうとする時に、ローションやコンドームがないと困る。 寝室までダッシュでローションを取りに行くには、岸谷の家は無駄に広いため時間がかかる。それにダッシュには、タイミングも必要だ。いきなりダッシュして玖月を怖がらせてはいけない。雰囲気は大事だ。 だから、あらゆる場所にローションを配置しておく必要があった。サッと取り出し、雰囲気を壊さないように、安心してセックスをしたい。 それに一番の理由は、玖月を気持ち良くさせたいこと。痛い思いや、辛い思いをさせたくない。セックスをするにはローションは必ず必要であると学んでいる。 おにぎりを食べながら、次はどこにローションをスタンバイさせるかなぁと、密かなる計画を考えているうちに、なんとなく似ている行為を思い出した。 「ん?ひまる…マーキング?」 以前、ひまるがマーキングをしていたのを思い出した。犬のマーキングは、自分の存在をアピールするためだと聞く。 ひまるは玖月のランドリーバスケットからよくTシャツやら靴下やらを持ち出し、咥えてリビングを歩っていた。ひまるはそれを自分のベッドや、自分のお気に入りの場所に置いたりしていて、玖月に怒られている姿を岸谷は横目で見ていた。 本気で玖月も怒るわけではないのがわかっているようで、ひまるは玖月に怒られても、羨ましいだろとでも言いたそうな顔で岸谷を見ていた。それに、隙があると玖月のベッドルームに入り込み、自分の匂いを擦り付けていたようだ。 そんなひまると何度も睨み合ったことがある。目を逸らしたら負けだと思い、凝視していると最後はいつも吠えられていた。 あいつ…絶対、俺に対しての当てつけだ。と、岸谷はひまるとの生活を振り返る。 しかし、今の玖月との愛の痕跡をあらゆるところに残したいという密かなる欲望は、ひまると同じようにマーキングしてアピールしているのか…と、岸谷は気がつき唖然とする。 「マーキングがどうしましたか?犬はもう妹さんの所に戻ったんじゃなかったんですか?まだ社長の家にいるんですか?」 猫好きの秘書が話しかけてきた。岸谷がマーキングと無意識に呟いていたのが聞こえたようだ。 「ああ、うん、もう帰ったよ。いや〜犬はかっわいいよなぁ、マーキングしちゃったりしてさ」 上手く誤魔化すことができたと思う。が、かわいいか?マーキングは…と、またひまると睨み合ったことを思い出す。 「うちの猫ちゃんもマーキングしてたんですよ。自分のなわばりにニオイをつけたいんですよね。だけど今はもう去勢手術したから大丈夫なんですけど」 「去勢手術?」 「そうなんです。旦那と一緒に色々考えて…病院の先生にも相談して去勢手術しました。でも、やってよかったかな。マーキングもしなくなりましたし」 去勢手術…マーキングをし続けたら俺もされてしまうのだろうか。岸谷はブルっと身震いをする。 密かなる計画が、もし玖月に嫌がられていたらと思うだけで、途端に不安になる。 玖月に嫌われたくない。やはり、全部屋制覇したいと思うのはやり過ぎなのだろうか。いや、でも、しかし…答えは出ない。 「社長…大丈夫?何でそんなにおにぎりを睨んでるんですか。もうそろそろお昼も終わります。午後からは営業部との戦略会議に出てもらいますから、簡単に資料に目を通しておいてくださいよ」 優秀な秘書に怪訝な顔で見られた。密かなる計画はまた後でゆっくり考えることにする。

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