56 / 61
第56話 岸谷
自分の家も無駄に広いと感じるところがあるが、この家も同じだ。
シンボルツリーというのだろうか、家の中庭にモミジが植えてあり、風情のある和の庭になっている。
秋になれば真っ赤に紅葉し、美しい風景に変わるのを知っている。小さい頃、この庭で遊んだ記憶を思い返す。
ここにひとりで住むには広すぎるだろう。だけど、最近は少し賑やかになってきたかもなと、遠目に家を眺めた。
車を駐車し、玄関までの黒玉砂利をザクザクと音を立てて歩く。
きっと、いつものように小さな和室にいるのだろう。これだけ広い敷地でも小さな和室がお気に入りなのは、笑えるところだ。
ほら、やっぱりここにいたよと、ため息が出そうになるが堪える。それは、何となく親父が小さく見えたからだ。
「親父...やっぱりここかよ。好きだな、この部屋。狭くね?」
「あ!優佑。あれ?玖月くんは?一緒じゃないのか?」
「玖月は色々忙しいの。今日は俺だけだよ。話もあるし、だろ?」
この前から、高坂の言葉や態度が何となく引っかかるから、調べていたことがある。それは高坂酒造の業績だ。
高坂酒造は、利益があり業績悪化というわけではない。だけど、その利益が今はそこそこだ。そこそこというのは、上がりもせず下りもせず横ばいってこと。
今はまだいいが、このままだと今の状態から、伸びることは期待できそうになく、やがて廃業となるリスクに直面するだろうと考えられる。
もし廃業という事態が起これば、従業員や取引先など広い関係者に迷惑をかけてしまう。だから早期の業績改善を目指す必要がある。それをきっと高坂はわかっている。
「飯食った?何か作ってやろうか?」
「えーっ、なんだよ突然。お前の作るのなんか…っていうか作れるのか?それになんだよスーツなんか着て。今日は休みだろ?」
「まあ、そうだけどさ、一応それなりの話もあるだろ?プライベートでもなく、仕事でもなく...あ、仕事か。ははは、まあ、いいや。昼飯、作ってやるよ。最近は俺も玖月と一緒に作ることあるんだぜ」
高坂からの返事を聞かず、キッチンまで行く。キレイに整理整頓されているキッチンだ。冷蔵庫を開けると、玖月の作り置きが目に入る。それには手を付けず、何を作ろうかなと食材を眺めた。と、いっても胸を張って作れるものはない。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、冷凍庫から餃子を出しフライパンに並べて焼いていく。餃子が入っている袋の裏には、焼き方の説明が書いてある。便利だ。
厚揚げが冷蔵庫にあったので、オーブントースターにぶち込んだ。それと、大切な白米が必要だ。冷凍庫に保存してあったのを見つけ、レンジでチンをする。これは最近、家でもやっていることだから迷わず出来る。
まあ、これでいいだろうと油断していたところに、餃子から焦げた匂いがしてきた。テキパキと家事をするのはやっぱり苦手かもしれない。玖月のことは、本当に尊敬する。
「親父、昼飯出来たぞ。餃子にしたよ。ちょっとさ、ぐちゃってなっちゃった。ははは、まあいいだろう。ほら、あと厚揚げもあったからさ、オーブンで焼いたよ」
「玖月くんの作り置きは?あっただろ?」
「うーん、あれはさ、親父が食べればいいよ。ほら、今日は俺が作ったやつ食べろよ。冷凍食品だけど、美味そうだろ?」
小さな和室まで運び、二人で不格好な餃子を食べた。高坂は終始、気に入らない顔をしていたけど、ちょっとだけは嬉しそうだった…と、思う。
「古くからあり、歴史もある酒造だろ?だから、すぐに会社が傾き始めるわけではないが、先代も俺もワンマンでやってきた結果というか、このままだと万が一、俺が病気や怪我で倒れてた場合、一気に売上、利益は減少して業績不振に陥るだろう。経営者としての勘や、個人的なスキルに頼っていたところがあるからな」
食事をしながら、ぽつぽつと高坂が語り始める。やはり話題は高坂酒造の後継ぎの話だ。先代や高坂のしてきたことが、今では罷り通らないとわかっているような話をされる。
こちらもその話をするつもりで来てるから、今日は喧嘩腰にもならずに済みそうである。
「会社が倒れないようにするには、ある程度専門能力があって、組織をまとめる管理能力を持つ人材が必要で、思い込みや勘に頼らずってところか…それで、親父はこれから既存客の維持と、新規開拓の二つが必要だと思ったんだろ?そこで俺に後継って話かよ。ずるいよな」
高坂は会社の状況や、その周りの流れが全てわかっており、すぐに行動に移していたんだろう。
「お前がやってくれればいいんだ。優佑なら従業員を守り、企業拡大、会社を成長させることができるだろ?彩や彩の夫はまだ若い。俺が伝えることになる。教えているうちに俺がくたばってしまう。そしたら遅いんだ」
「そうだったとしても、他に方法はあっただろ?」
「他の方法?ないな…優佑に託すしかないと思う。それに、お前にはこれからそのような者も育てて欲しい、そう思ったんだ」
親父も頑固だ。折れない。それでも、言いたいことはほとんどわかった。予想通りだった。だけど、ひとつ聞きたいことがある。
「ちょっとだけ、わかんないことがある。この話を初めてした時、何故、あの時玖月を同席させた?」
二人で話をしてもよかったはずだ。玖月を巻き込むことの意味は何だろう。
「うーん、単純に俺の味方をしてくれるかなぁって思った。お前は、玖月くんに弱いだろ?だから、玖月くんが俺の味方をしてくれたら優佑も気持ちが傾くかなぁって…
だけど、そんなことはないよね。玖月くんは優佑の方をやっぱりとるよ。そりゃそうだよな。あははは」
「当たり前だろ!親父の方を味方するなんて、そんなわけねぇよ。玖月を甘く見るなよ」
いや、違うな。
試していたんだろう。
俺のことも、玖月のことも。
「あとはね、僕が自分勝手でワンマンだったからかなぁ。仕事でも、プライベートでもさ。だから優佑にはそうなってもらいたくなくて、パートナー?っていうの?大切な人には少し、仕事のことも知っておいてもらいたいって思ったよ。勝手な話だけどね。家族だし、仕事のことも、何も、苦労もさ、わかって欲しいかなぁって」
こっちが本心だな。
二人の間に、二人のこと以外の問題が起きたらどうなる?って。その時は、家族だし一緒に共有した方がいいんだろう。そのことを高坂は言いたかったようだ。
それに、高坂が自身のことを『僕』と呼ぶときは機嫌のいい時、素直な時、本心を語っている時だ。その無意識の癖は知っている。
「そうか、玖月が聞いたら嬉しいって言うと思うよ」
「じゃあ、やってくれるのか?高坂酒造の後継ぎだ。お前にやってもらいたい」
「これは…俺からの提案だ」
持ってきていた提案書を、丁寧に高坂に渡した。それを見て高坂は目を見張る。その後は口数が少なくなって、食い入るように書類を読んでいた。
「ほう...生意気だな、お前は…」
「親孝行だろ?連絡くれよ。俺からの提案に乗るっていうんなら。俺の答えはこれだ」
その日の遅くに高坂から電話があった。岸谷からの提案の連絡だ。一言二言で話をし終わると、高坂は玖月に電話を変わって欲しいというので、携帯を玖月に渡す。
「今日はね、優佑の焼いた餃子食べたけど、ぐちゃぐちゃだったんだ。あいつ、料理できなくせに、作るって言って聞かないんだよ。玖月くん、今度優佑と一緒に泊まりに来るといいよ。そしたらさ、僕のところのお酒飲もうね。優佑の下手な餃子を玖月くんにも食べてもらいたい。本当、ひどいんだよ?じゃあ、待ってるね」
そう言っていたと玖月が笑っていた。
高坂が自身を『僕』と呼んでいたようなので、本心が伝わってきた。
ともだちにシェアしよう!