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ゴシップボーイズ

 普段から人を小馬鹿にした態度ばかり取るし、何かにつけて魚市場の競売人じみた声を張り上げる男だ。けれどその芯に通る己の道を阻まれたと感じた時のゴードンは、青い炎ような怒りをめらめらと燃やす。 「言っといたよな、差し止めは全ての媒体においてなのか、ちゃんと確認しろって」  今回ばかりは言い逃れのしようもない。ゴードンは黙って、タブレット一杯に表示される写真を凝視していた。  『市長の新しい兵隊さんは元陸軍』ウェブ版イーリング・クロニクル紙によると、相合傘でケバブデートを洒落込んでいることになっているハリーと、エリオットのフラットメイト。ご丁寧にも望遠レンズまで使ったバストアップだから、顔は隠しようがない。いや、「兵隊さん」の方は黒い長方形で目隠しされているから、まだ良心があると言えるだろうか。 「どうして今頃」 「近頃何も事件がないから、穴埋め記事だろ。そうでなくても、3人いる編集部員全員が共和党の新聞社だぜ……エルがキレるぞ、奴も『同居する市長付戦略官』ってばっちり匂わせされてる」  噂をすれば影で、憚るような咳払いが廊下を近付いてくる。電子煙草を吸っていたのだろう。一応本人は、隠していると言う建前を取っているので、これまで誰も指摘した事はなかったが。 「市長は?」 「モーが軍時代の仲間を手配してくれた。そっちの同居人はどうだ」 「今日は運良く仕事が休みだから、家に篭ってるよ。あと数日は有給を使って貰う」  じろりと表情のないゴードンの横目を追いかけるようにして、エリオットは身を強張らせたヴェラスコに苦笑を投げた。 「この件に関しては、私も迂闊だった。ヴァルのスマートフォンにも何度か記者から連絡があったそうだが、詐欺電話だと思って全部着信拒否にしてたらしい」  ここのところ慣れない業務に追われて辛気臭い顔が常のモーも、今回ばかりは本気の焦燥を浮かべている。オフィスへ駆け込み、ドアをきっちりと閉めてから、額の汗を手首で拭う。 「市長宅前、この建物の全ての出入り口、全てメディアが張ってます」 「今日はリモートワークだな。彼の家のパソコン、設定終わってたか? まだなら俺が」 「いや、数ヶ月前のコロナ疑惑の時にインストールした」  てきぱき組まれていく段取りへ、普段ならば勇んで突撃し合流するのに。借りているモーのデスクで、ワードにマスメディア向けの声明文を打ち込んでは訂正し、エンターを押してはバックスペースを叩きながら、時に眉間を揉む。こんな程度でへこたれてどうする、いや猛省しろ。広報担当官として大失態だ。  しばらくぎゅっと目を閉じ俯いていたら、不意に肩へ手を置かれる。 「心配しなくても、こんな話題すぐに皆忘れるさ。前に俺が、月次予算用のエクセルの関数を全部壊した状態で理事達に送った時も」 「あれの集計結果、全部コンマがピリオドで入力されてたから修正済……今度書式設定について教えるよ……」  あとデスクトップの散らかりようが凄まじいから片付けたら。組んだ手の上に額を乗せ呟けば、優しい温もりは無言で一歩後ずさった。 「まあ今回は、世論も同情に傾くだろう。幾ら公人とは言え、こんな一目で根も葉もないと分かるゴシップ、常識のある人間なら眉を顰める。市長のコメントを発表すれば、午後には非難の矛先は記者側に向いてる、災い転じて福となるかも知れないな」 「聞いたかヴェラ、1時間で書き上げて、ハリーに承認貰えよ!」  怒鳴りつけられて首を竦めるヴェラスコへ至極満足げな笑みを浮かべながら(ぶん殴ってやりたい!)ゴードンは怠そうに腰を叩いた。 「とは言え、だ。これで街の連中は、ハリーが知らない男と並んで歩く度、興味を示していいと思うようになる。前から話してたが、とっとと結婚してくれたら、余計な事へ係わされずに済むんだがな」 「確かに」  しばらくはヴェラスコが固いキーボードでタイピングする音だけが、空調の効き過ぎたオフィスへ満ちる。やがて徐に口を開いた時、エリオットの表情は普段の余裕など完全に脱ぎ捨てていた。 「これは前から考えていた事だ。私がプロポーズする」 「いやあんたは駄目だろ、当事者なんだから。泥沼三角関係とか書かれるのがオチだ」  すかさず却下しながら、ゴードンは渋面の中で捻じ曲がる口髭を撫でた。 「かと言って俺も無理。元嫁は宗教的にかなり厳格なんだ。男と結婚したら、娘達との面会権を取り上げられる」  この数年で一体何回行使した権利だよ、なんて憎まれ口を叩く資格は、今のヴェラスコにない。 「後はお前らのどっちかだな。潔く立候補しろ」  背後でモーが1インチは飛び上がったとありあり想像する事が出来る。益々頬杖に顔を押し付け、ヴェラスコは呻いた。 「最初の結婚は、心から愛し合っている人と、ノリと勢いでしたかった……」 「なんだよ。あれだけヤリまくって、ハリーのことが嫌いか」 「そうじゃないけど……そうじゃなくてさあ」 「こんな事、間違ってます」  その一言を放つ為、モーは相当な勇気を必要したに違いない。普段より明らかに重たげな足取りをそれでも必死に前へ進め、陰謀を企む男達をひたと見据える。しょぼくれた大型犬は、今や主人の危機へ立ち向かう番犬へと生まれ変わっていた。 「そうでなくても、彼の権利は侵害されています。本当なら市長だって、自分の好きに男漁りをしたいはずです。なのに俺達が籠の鳥みたいに囲い込んで、魅力を隠してる」  拳を振り上げる勢いで熱弁される、市長の淫乱さに関する見解へ、吹き出したのゴードンだけ。エリオットはいつもの温和な微笑で頬を凍りつかせ、心を込めて諭す。 「いいかい、モー。これは性的指向など関係ない。現役市長が公然と一夜の相手を探し回って、不特定多数の人間とファックするのは、社会的に許されていないんだ」 「公職者の職業倫理って奴だな。まあ、どっちが好みか位は聞いてやってもいいんじゃないか」  エリオットがスマートフォンを耳へ当てている間に、ゴードンはスラックスのポケットから10セント硬貨を一枚、テーブルへ投げて寄越した。 「賭けても良いが、彼は絶対選ばない。ならこっちでお膳立てするまでさ。いい加減腹括れよ、ん?」  「もしもしハリー? そちらは大丈夫か?……良かった。突然だが、ヴェラとモーが君と結婚したがってる。今でなくても良いが考えてくれ」まるで昨日会ってきた州議員の様子について説明しているかの如く、エリオットは澱みない口ぶりで話を進めようとする。が、すぐさまその表情は曇り、くるりとこちらへ背が向けられた。 「コカインなんかやってない。いや、気持ちは分かる。だが前からこの案については……」  見合わせるモーの顔にも、己と全く変わらぬ感情が浮かんでいる。ヴェラスコはそう思おうとした。だって不公平ではないか、同じ災難を被っているのに、自分だけがこんな引け目のようなものを感じるなんて。  モーは己より5インチは背が高いし、今は立っているし、海兵隊出身だ。威圧感が勝るのも仕方がない。殆ど憤りを発露とする溜息を吐き出し、ヴェラスコは硬貨を掴み取って元ジャーヘッドに渡した。 「表。どれだけ気に食わなかろうとも、家族第一主義は国全体に蔓延してる。上まで行きたかったら、一番力のある多数派へ、小判鮫みたいにくっついて行くしかない……僕は、彼を呼吸出来る場所まで押し上げる為なら、何でもしてみせる。自由に息をする彼を見届けたいんだ」  モーは黙って、手の中のコインを見つめていた。悔しい事に、この鈍臭い男もまた、いや愚直故、己と同じ位の力強さでハリーへ食らいつけると、ヴェラスコは知っている。  コインは高く弾かれる。ぱしりと逆の手の甲に押しつけられた大きな手のひらを僅かに開き、モーは答えた。 「裏」 「その角度じゃ下から見えてるんだよなあ! 変な忖度しなくていいから」  ああ、やってしまった。ここで黙っていたら、見て見ぬふりを出来たら。己は今頃親子二代に渡る人権派弁護士としてそれなりの評価を得、可愛い妻子と新築の家、犬だって手に入れていたかも。  安寧を阻むのは、両親が受け継がさせた正義感だ。それを誇りに思うよう、世間は無邪気に仕向けてくる。当事者の心中など何も推し量ろうとせず。 「駄目だ、包容力とペニスの大きさならモー、可愛さと開発のし甲斐についてならヴェラだと、決めあぐねてる」 「だろ。そう思って、こっちで決めといた。おめでとうさん、ファースト・ジェントルマン」  肩を叩くゴードンの手を振り払う気力さえ残っていない。いや、今踏ん張れなくてどうする。がっくり垂れていた頭を持ち上げ、ヴェラスコはパソコンに向き直った。原稿の締め切りは、あと30分足らずなのだ。

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