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余韻 ★

 とても長い時間に感じた。そう思えるくらい、誉とのキスに酔っていた。でも実際には1分にも満たなかっただろう。  いつまでも誉の唇を貪っていたかった。それほど、誉とのキスは気持ち良かった。しかしそんな願いは(かな)うはずもない。  ぐっと、誉の両手で引き()がされた。はあはあと肩で息をして、顔を火照らせた誉が、こちらを困ったように見上げた。潤んだ瞳が色気に満ちていて、千晃の欲が刺激される。 「なんで……」  誉が口を開いたその時。乱暴に扉が開かれ、もの凄い形相で男が入ってきた。そのままの勢いで、千晃へと詰め寄ってくる。 「何してんだよ」  すっかりこの男の存在を忘れていた。ようやく誉がいないことに気づいたらしい。千晃が何か言う前に、誉が慌てて間に入ってきた。 「なんでもないから」  そう誉が言うと、男は()ねた子供のような顔で誉を見た。 「……誉さん、後ろに付いてきてるかと思って……風呂んとこまで気づかずに1人で行っちゃったし……」 「ごめんごめん。この人が昔の知り合いに似てたから声かけただけ。だけど、人違いだったから」 「…………」  男は誉の説明に全く納得していないようだった。しかし、誉は素早く男の腕を(つか)んで、無理やり扉へと引っ張っていった。誉がこちらを振り返る。 「本当に、失礼しました」  軽くお辞儀をすると「ほら、行くぞ」と扉を開けて慌ただしく出ていった。  無音のサウナ室に1人取り残される。むっとした暑さが突然に戻ってきた。  そんなはずはないのに。キスした時に、誉から唇越しに何かが入り込んで、それが千晃の体の中をゆっくりと浸食しているような感触がする。でも、不快ではない。  千晃はしばらくその感触に包まれて立っていた。誉とのキスの余韻を味わいながら。

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