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あんな形で
本当に驚いた。一瞬、自分が強く望んだせいで、千晃の幻を見ているのではと思ったぐらいだ。驚きすぎて、声をかけるタイミングも逃してしまった。それに、ホストの男が同行していたので、千晃と関わることに躊躇(ちゅうちょ)したこともあった。
ここ最近このホストの男とは、さりげなく距離を置いていた。相手が本気になりかけていることを察知していたからだ。この時も何度も断った。だが、男の脅しに近い、いつもの言い分に押し切られる形で渋々来たのだ。そうは言っても、今回ばかりは男に感謝しなくてはならないだろう。結果的にとはいえ、千晃と会える機会を作ってくれたのだから。
ただ、男がサウナで千晃に妙な対抗心を抱いたせいで、わけのわからない会話に付き合わされるとは思わなかった。男が話すことの半分は、誉が身に覚えのないような話だった。確かに体の関係はあったが、そこに男が話すような甘い言動なんてこれまで一度もなかったのに。
初対面の人間がいる前で、男同士のことを赤裸々に話す男に対して嫌悪感が生まれた。受け答えが慎重になった。しかし、相手の機嫌を損ねるわけにはいかず、それなりに愛想良く対応しなくてはならなかった。
会話を千晃に聞かれているのも嫌だった。そして、そんな自分の打算を千晃に見破られていたことも。
『どうして無理して笑うんだ?』
あの言葉はぐさりと胸に突き刺さった。もの凄く的を得ていた。でもそれをはっきりと指摘されることは、自分の今までの生き方を否定されたようなものだった。だから思わずムキになって、ついつい言い返してしまったけれど。
あんな形で口を塞がれるとは。
九条千晃という男は、顔が綺麗 なだけじゃなくて。自分をちゃんと持っている。そう感じた。そしてそれを貫き通す意志の強さも。それでいて、とても臆病なキスをする。強引さの中にも、どこか怯 えたような、必死で甘えるような、そんなキス。今まで出会った男たちにはない、不思議な魅力を持っている男だった。
もっと知りたい。もっと話してみたい。千晃がどんな人間なのか。
もっと理解できたら。なぜ突然、鏡に彼が現れたのか、その答えもあるかもしれない。
そう思って、ジムへの入会を決意したのだった。ホストの男に入会したことを気づかれないよう、再三の注意を払って。
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