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絵になるな

「あれ」  夕方のピークが終わって手が空いたので、レジの奥で参考書に真剣に向かっていると、いつの間にか千晃がカウンター越しに立っていた。全く気配がしなかったので、すぐに気づかなかった。さっと参考書を隠して立ち上がる。 「どうしたの?」 「こっちにくる用があったんだ。この辺で働いていると言ってたから、ここかもしれないと思って」  会えたな。そう続けて千晃が微笑んだ。自分のことを思い出して、探してくれたのか。誉はその事実に(うれ)しくなる。 「今日は、忙しい?」 「いや。休みだし、用も済んだ」 「俺、もうちょっとしたら上がりだから。ジム行く?」 「それなら……ジムじゃなくて飯でも食おう。せっかくだし」 「飯、いいね。そしたらあと30分くらいだから」 「向かいのカフェにいる」 「うん」  残りの30分、誉はいそいそしながら仕事を済ませた。思わぬ食事の誘いに気分が上がる。店長への挨拶もそこそこに、逸る気持ちを抑えながら千晃の待つカフェへと向かった。入店してきょろきょろと見回すと、奥の席に千晃が座っているのが見えた。  絵になるな。  シンプルなタートルネックに、細身のジーンズ。全身をすっきりとした黒のモノトーンでまとめたその姿は、まるでモデルのようだ。そんな彼が、コーヒーカップを片手に静かに本を読む様子を、周りの女子学生や仕事帰りのOLらしき集団が、ちらちらと気にしているのがわかった。千晃へと近づいていくと、一斉に女の子たちの視線がこちらを向いた。 「お待たせ」  千晃の待ち合わせ相手は一体どんなやつなのだろうと、品定めされているのを感じながら千晃に声をかける。誉が女だったら、もっと厳しい視線を送られたに違いない。千晃が本から顔を上げて、誉に軽く微笑んだ。それだけで、店内が色めき立った。  しかし当人は全く気にしていないらしい。興味のない様子でさっさと荷物をまとめると、カップの載ったトレイを持って立ち上がった。 「いくか」 「うん」  返却口にトレイを置いてカフェを出ると、とりあえず駅へと向かった。

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