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怖かった

千晃 side  ビジネス街の一角にひっそりと立つ、中層ビルの地下駐車場に車を停めた。わざと時間をかけて車から降りる。エレベーターで目的の階に着くと、軽い緊張感と共に、待ち合わせの店へと入った。  最近は滅多に来ることのなかった、高級と呼ばれる類いの隠れ家的フレンチレストランだった。看板も店の扉に小さく掲げてあるだけ。見た目にはそこがレストランとはわからない。一見さんはお断りで、最初は必ず常連客の紹介が要る。  千晃自身に高級志向は全くないが、職業柄か千晃の同僚たちは高級品を好む人間が多かった。そんな同僚たちと仕事の付き合いで何度か来たことがあるのだが、いつの間にか千晃も常連に格上げされていた。まあ、ファミリーレストランへは連れていけないような人間と食事をする時に利用できるので、助かってはいる。  名前を告げると、予約の確認もされぬまま個室に案内される。まだ相手は来ていないようだ。  うんざりするほど長いリストから適当にワインを注文した。携帯をマナーモードに切り替える。急患に備えて振動したら気づくように、(かばん)の上に置いた。運ばれてきたワインを(すす)りながら、個室の窓から見える街明かりをぼうっと眺めた。  ふと、この前の誉と食べた焼き肉が美味しかったことを思い出す。肉自体も美味しかったが、店の雰囲気や店員たちの人柄も良くて気に入った。なにより誉と一緒に食べたことが本当に楽しかった。大人になってから、あんなにリラックスして人と過ごしたことなどなかった。  あの日。用事があった先で、たまたま本屋を見つけて立ち寄ったと誉には伝えたが、本当は違った。休みを代わって欲しいと同僚に言われて、急遽(きゅうきょ)できた休日を持て余していた。そんな中、なぜか無性に誉に会いたくなったのだ。  誉の携帯番号も住所も知らなかった。聞こうか迷ったこともあったが、誉がどことなく教えたくなさそうだったので、事情があるのかもしれないとあえて尋ねなかった。いや、たぶん。自分も二の足を踏んでいたのだ。誉との関係を密にしてもいいのかどうか。  正直、怖かった。「愛情」なんて一生縁のない感情だろうと思っていた。それなのに、突然に湧き上がったそれに戸惑う自分がいたし、今まで扱ったこともない感情に勝手がわからなかった。  そしてそれを誉に求めても本当にいいのだろうかと、ためらいもあった。誉に対して湧き上がったこの感情を、一方的にぶつけるのは嫌だった。誉の気持ちを確かめてもいない。もし自分だけ独りよがりで突っ走っても、それじゃ今までの誉の相手たちと何も変わらないのではないか。そう思った。

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